「メディアとフランス」、お世話になりました (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

 私事で恐縮ですが、この春をもって名古屋大学を離れることになりました。7年の間、まことにお世話になりました。元々メディアの世界しか知らなかった自分をフランス語科の先生方をはじめ研究科の皆様は暖かく迎え、ご指導下さいました。授業を一緒に作ってくれた学生の皆さんにも心から感謝します。

 着任した当時、自分がフランス語科のHPに記事を書くようになるとは夢想だにしませんでした。ですから飯野和夫教授から「何か書かないか」とお誘いをいただいた時は大いに迷いました。しかし、「何事もやらないよりやった方がいいだろう」と考え、拙文を載せていただくことにしました。お読み下さった方、貴重な感想やご教示をいただきました方々に、この場を借りて深く御礼申し上げます。

 連載の内容は「メディアとフランス」というタイトルでありながら、だんだん政治や社会一般のことに広がっていってしまい、忸怩たる思いがします。しかし私は、メディアというものはそれだけで独立し、完結した領域であるというふうには考えていません。政治、経済、文化、歴史などあらゆることが関わってくるのがメディアです。メディアに関する勉強も同じことでしょう。メディアコースの学生諸君には「世の中のことは全部はつながっているんだ。だから幅の広い好奇心を持ちなさい」と繰り返し言っております。

 そのように偉そうなことを言ってはおりますが、自分自身が書いてきたものを眺めると、何十年かメディアの世界で仕事をしてきて、また多少勉強もしたつもりだけれど、形になったものはこれだけかという気がします。書家の篠田桃紅さんは「人生、やり尽くすことはできない。いつもなにかを残している」と言っておられます。篠田氏に比するのはおこがましい限りですが、その言葉に深い共感を禁じ得ません。

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 連載の中では、メディアをめぐる制度や制約についても何回か触れてきました。私はメディアの編集権や言論の自由というものは、最初から確立されたものとして存在している訳ではなく、日々の葛藤や格闘の中で彫琢されていくものだと考えています。学生諸君と話していると、彼等が編集権や言論・取材の自由といったものをどこかからか、あたかも「配給」されたもののように感じているふしがあって、「そうじゃないんだよ」と言いたくなることもあります。

 また私は、メディアに関してどんなに素晴らしい制度が作ったところで、それを動かしていくのは結局人間だとも考えています。その意味でメディアに関係する人々(それはメディアに日々接している方々ももちろん含んでのことですが)の見識と力量が常に問われているのだと思います。マックス・ウェーバーは「一国の政治は所詮、その国の国民の民度以上に出るものではない」と喝破しましたが、メディアについても同様のことが言えるのではないかと思います。

 人生を長く生きてきて、人間と人間の間には絶望的なまでに深い川が流れているのかもしれないと思うことが増えました。しかしそこにか細い橋を架けようという試みが、表現であったりメディアの仕事であったりするのかもしれません。

 最後に贅言を申しました。皆様のますますのご発展を心よりお祈り申し上げ、御礼の言葉とさせて頂きます。

 

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放送を規制・監理する機関のあり方(日米仏) (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

現在、日本において放送関係の規制や電波監理の業務を担当している機関は、国の行政官庁である総務省である。我々日本人は、総務省の前身である郵政省という役所があった時代から、放送関係の業務を行政官庁が担当することを当たり前のように考えてきたところがある。しかし実は、行政官庁が規制・監理にあたるという放送行政のあり方は、世界の先進国の中では例外的なことと言ってよい。

世界の放送界に圧倒的な影響を与えてきたのはアメリカだが、米国において放送と通信に関する行政を担当しているのは連邦通信委員会(FCC)という組織であって、この委員会は一般の行政官庁とは異なる「独立行政委員会」と呼ばれる性格を有している。FCCは放送免許の交付と更新を決定する「裁定権」だけでなく、放送と通信に関する規則を制定する「準立法権」をも有する、きわめて強力な機関だが、通常の行政官庁がそうした権限を行使している訳ではない。

今回のテーマは、フランスの放送規制・監理機関である視聴覚高等評議会(CSA)の性格についてだが、そのためにはまず、世界の放送における規制・監理機関のプロトタイプであるFCCについての説明から始めなければならない。

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独立行政委員会としてのFCCが設けられたのは、第二次世界大戦以前に制定された1934年通信法によってである。この法律は近代国家の統治機構の中でユニークな性格を持つ「独立行政委員会」という機関を誕生させた。近代の国家は言うまでもなく立法、行政、司法という三権によって構成されている。しかし、合議制の機関である独立行政委員会はそれら三つのいずれにも属さず、「第四の権力」と呼ばれることもある存在である。この独立行政委員会は業務遂行の責任を、国民の代表である議会を通じ、国民に対し直接負っている点に特徴がある。現在、アメリカの独立行政委員会には他にSEC(証券取引委員会)やITC(国際貿易委員会)などがあって、それぞれ活発な活動を展開しているが、FCCは独立行政委員会のはしりのような存在だった。

では、なぜ放送行政の分野で独立行政委員会という制度が設けられたのだろうか。その理由は明らかだろう。ひとつは、放送という政治的中立と公正が求められる分野の行政に、権力や政党が影響を与えたり圧力をかけたりすることを極力困難にしようというねらいからだった。もうひとつは、放送や通信に関する行政には高度な専門性が要求されるから、専門知識を備えた専門の委員会を設け、そこに規制・監理業務を任せるのが適当だと考えられたからである。

FCCを構成しているのは5人の委員(コミッショナー)である。委員の人選にあたっては上院の厳しい審査が行われ、大統領は議会の審査を通過した委員の中から委員長を指名する。アメリカの政治は民主・共和両党による二大政党制の下で動いているが、ここで興味深いのは委員5人のうち3人までは民主・共和どちらの政党に所属していてもよいとされていることである。各委員がどの政党の党員であるかは、FCCのホームページの委員紹介欄にも明記されている。

我々日本人から見ると、独立行政委員会という制度は放送行政への政治の介入を困難にする趣旨で導入されたのに、委員が特定の政党に所属することが公認されているというのは理解しにくいことかもしれない。しかしそもそも、FCCという組織は二大政党制というものを前提とした制度なのである。「委員長や委員は社会全体のために奉仕すべきパブリック・サーバント(公僕)だが、そのことと委員が二大政党のどちらの政党に属しているかということとは何ら矛盾しない」と多くのアメリカ人は考えるのである。そして現在、先進国の多くではFCCのあり方に倣うかたちで、三権から独立した放送や通信の規制機関が設けられている。

ちなみに日本にも独立行政委員会は存在している。国家行政組織法第3条で定められた、「三条委員会」と呼ばれる機関がそれで、公正取引委員会、中央労働委員会などが代表的なものである。しかし独立行政委員会の活動の影響力と権威はアメリカのそれに及ばないといっても過言ではないだろう。

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あまり知られていないことだが、戦後の日本でも一時期、放送に関してアメリカ型の独立行政委員会が設けられたことがある。1950年、日本では放送法、電波法、電波監理委員会設置法のいわゆる電波三法が制定されたが、その中のひとつ、電波監理委員会設置法によって設けられたのが電波監理委員会だった。

その頃、日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって占領統治されており、電波監理委員会の設置はGHQの強い意向に基づくものだった。当時の吉田内閣はGHQに対し、アメリカ型の独立行政委員会の導入は行政の責任の所在を曖昧にするものだと主張し、激しく抵抗したが、マッカーサー元帥は吉田首相に宛てて書簡を送り、日本側の反対を押し切った。こうして生まれた電波監理委員会は、いわばFCCの日本版だった。

 電波監理委員会は国会の同意を得て首相が任命した委員長と6人の委員によって構成された。しかしこの電波監理委員会はサンフランシスコ平和条約によって日本が独立を回復するや、1952年に廃止され、放送行政は郵政省(当時)の所管へと移行した。最初に述べたように、現在の日本のようなかたちで行政官庁が放送行政に直接関わる形態は、先進国においては例外なものとなっている。

その後、日本では「放送行政の面で独立行政委員会型の組織を復活すべきだ」という声は断続的に上がった。2009年秋の政権交代の後、与党となった民主党からは「放送行政は行政官庁ではなく、独立行政委員会型の機関に委ねられるべきだ」という意見が出されたが、以後具体的な動きにはなっていない。

現在、日本では三条委員会の委員長など、「第四の権力」の中でも特に重要なポジションの人事を内閣が行う際には、国会の同意が条件となる場合がある。いわゆる「国会同意人事」と呼ばれるものである。NHK会長を任命する権限を持つNHKの経営委員も、国会の同意を得て初めて選任されることになっている。

NHKの経営委員が国会同意人事の対象となっているのは、国会を通して国民各層の意思を委員の選任に反映させよう、という意図からである。しかし、国会による同意が形式的なものとなっているという批判は根強い。国会同意人事とは言っても、委員長や委員の候補者を呼んで、その人物の考え方、識見を徹底的に問う、アメリカ上院のような審議はほとんど行われていない。

歴史に「もしも」は禁物だが、電波監理委員会が廃止された時、それと引き換えるかたちで、議会が経営委員の候補者の徹底的な審査を行うことを制度化すべきだった、と指摘する声もある。

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1970年代後半以降、フランスの放送行政は目まぐるしく変遷を続けた。ドゴール大統領の時代からずっと放送を独占していたORTF(フランス放送協会)は1974年、ジスカールデスタン大統領によって解体され、次の政権を担った社会党ミッテラン大統領は放送の民営化を進めた。

自由化に伴い、フランスでは自由化された放送を規制・監理する機関が設けられた。いくつかの組織が生まれ、そして改組された後、1989年、視聴覚高等評議会(CSA)が誕生し、以後これが規制・監理機関として定着している。2015年6月20日付の本欄で、「フランス語音楽割り当て制度」についての文章を書いたが、この制度に関する放送局への監視業務も視聴覚高等評議会が行っている。

創設された当時のCSAの委員の選出方法は独特で、大統領、上院議長、下院議長がそれぞれ3人の委員を指名し、委員長は大統領が指名することになっていた。委員のこうした選任の仕方はフランス独特と言ってよいだろう。フランスには法律が憲法に違反していないかなどを審議する憲法院(憲法評議会)という組織があるが、憲法院の裁判官もCSAの委員の場合とまったく同じように選任されているのである。

その後、CSAの委員の選出の仕方は修正され、委員の数は2人減って7人になり、また大統領が指名できるのは委員長1人だけとなった。上下両院の議長による指名については、議会の文化委員会の議員の5分の3以上が選任に賛成することが求められるようになった。これによって、委員の選任に野党の意向も反映されやすくなったとされている。

このように、フランスの放送規制・監理機関であるCSAについては、議会の監視機能が強化された。しかし私の理解では、CSAはアメリカ型の独立行政委員会とはかなり性格を異にしている。CSAは担当する業務の責任を、国民の代表である議会に対して一義的に負っている訳ではないからである。

とは言え、中央集権で「上から下へ」の性格が圧倒的に強かったフランスの行政において、こうした委員会が生まれ、今日まで定着してきたのは画期的なことだろう。

「放送や電波に国境はない」と言う。もちろんその通りだ。ただそれはニュースや番組などの情報が直ちに他の国に伝えられて、そこでも大きな影響を与えるということだけでなく、放送のあり方や仕組みも互いに影響しあったり反発したりするということなのである。放送の歴史を紐解いていると、そうしたことに気がつくことが多々ある。

 

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外国語の力が急低下する時、急上昇する時 (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

元々乏しい外国語の力がいちだんと落ちるのはどういった時だろうか。年齢? 元から低い水準にある所為か、私の場合は必ずしもそうではない。

これまで外国語を使って仕事をしてきた経験から言うと、バッテリーが落ちるように、急に言葉が聞き取れなくなったり出て来なくなったりするのは、次の三つの場合だった。眠い、暑い、腹ぺこ。この三つの条件が揃うと、我ながら悲しくなるくらい外国語の能力が低下した。昔、ロンドンにいた時、西アフリカのセネガルに取材と交渉の仕事で出張したことがあるが、ハードスケジュールと暑さでフランス語はおろか英語も出てこなくなってしまった。しかし屋外の仕事が終わって冷房の利いた建物の中に入ると、自分でも不思議なくらい、また言葉が口から飛び出してきた。

厳しい条件の中でも外国語を使う仕事ができるようになるには、過酷な環境下では頭脳が働かなくなることを見越して、頭の中にある蓄積を事前に少しでも大きくしておくしかないのだろう。

戸外の作業の場合、その場の気温や湿度を自分で調整することなどもちろんできないが、睡眠時間や腹具合なら自分で手当できる部分が大きいから、私は大事な交渉やインタビューに臨む前は、できるだけ睡眠時間を取り、腹に何かを入れておくようにしていた。すきっ腹だと、アルコールを勧められたりした場合、たちまち酒がまわってしまうからということもあった。

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逆にほんの短い間だけだが、「自分はこんなに外国語ができるのか」と感じさせてくれた時もある。放送局でニュース番組を担当していた時のことだが、放送が始まる直前か直後に、衛星経由で外国からの映像やインタビューが飛び込んでくることがしばしばあった。これはしびれる体験だった。番組のテーマ音楽はもう鳴り始めている。番組の後半にその映像素材を何としても突っ込まなければならない。

どこを使うのかを決めるその作業は「切り出し」と呼ばれていた。切り出した後は、使う部分にすぐに翻訳の字幕をつけたりコメントを書いたりしなければならなかった。これら一連の作業は、本当に心臓が胃袋から飛び出しそうな経験だった。私は切り出しが間に合わず、放送中の画面が真っ白になってしまう夢を今でも見ることがある。

幸い放送が出なかったことはなかった。私だけでなく、「切り出し」の作業を担当した人間が口を揃えて言っていたことだが、そうした修羅場になると、自分のリスニング力がぐんと伸びるような気がした。いつもだと何回も聞き直さなければ聞き取れない言葉や言い回しがすっと頭に入ってきて、「オレはこんなに外国語ができただろうか」と感じることがあった。スポーツでも同じことだろうが、集中力というものがいかに大事かということなのだろう。

しかし本番が終わってしまえば、そんな自信はかげろうのように消えてしまい、リスニングにはずっと悩まされ続けた。アメリカでは弁護士などと難しい交渉も行ったが、ただ彼等との議論は、何が問題になっているかという点は明らかだったし、相手からどんな選択肢が提示されそうかなどの予想も比較的立てやすく、話されている内容自体は高度でもリスニングはむしろ楽だった。

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悪夢のようなニュースの切り出し作業だったが、今にしてみると、私はそれを決して嫌いではなかったように思う。人は苦しいとか悲しいとかいった思いを最小にして生きていきたいと願うが、そうした感情がなくなってしまった時、人間は自分が生きているという生命感そのものも失ってしまうものかもしれない。ヨリ強い刺激を求めるのは人間の性なのだろう。自分の外国語の力がすごいレベルにあるような錯覚に陥らせてくれる一瞬には、麻薬のような魅力があった。

切羽詰まった状態で一瞬の恍惚を味わえるためには、普段から単語力など、自分の中にある蓄積を大きくしていくしかないのだろう。ラジオ講座『攻略!英語リスニング』の講師、柴原智幸先生は番組の中で繰り返し、「知らない単語は聞き取れない」と言っておられる。本当にその通りだ。その言葉に従って、普段から単語など「原資」を少しでも多くしておくしかないのだろうと思い、学生諸君にもそのように話している。

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高額紙幣のはなし (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

欧米の社会では日常生活の中で、高額の紙幣を使うことが本当に少なくなった。少し前まで私が暮らしていたアメリカでは、スーパーのレジで50ドルや100ドルといったお札を出すと、露骨に嫌な顔をされた。偽札が多いということがいちばん大きな理由だろう。そういった額のお札を渡すと、受け取った店員は天井の照明に向けて紙幣を開き、透かしを確認していた。何度も同じ経験をしたことがあるから、そうした確認は従業員のマニュアルの中で指示されているのだろう。

高額紙幣が嫌われるもうひとつの理由は、店員に現金を多く扱わせることは危険だということでもあるのだろう。日本の小売店もだんだんそうなってきたようたが、欧米の店では、現金を取り扱う店員の数を極力しぼっている。性悪説と言ってもいいだろうが、このあたり、日本の商店とはずいぶん様子が違っている。

例えばレジが一か所にしかない店で買い物をする場合、お客ははるか遠くまで商品を持っていかなければならない。気の弱い私など、「もし万引きと間違えられたらどうしよう」と、レジにたどり着くまで気が気ではない。

アメリカでは一定額以上の取引の際は、カードやチェック(小切手)や電子取引を使うことが常識になっている。だから偶々高額の紙幣が手元に回ってくると、持て余した私は銀行に行って、それをいったん自分の口座に振り込み、その上で同じ店のキャッシュディスペンサー(CD)から使い勝手のいい20ドルや10ドル紙幣を引き出したりした。銀行のCDから50ドルや100ドルの紙幣が出てきた、という経験はしたことがない。

しかし、旅行者や短期の滞在者はそんな芸当ができないから大変である。多くの人は日本の空港の銀行で外貨を購入してから旅立つが、一定額以上の両替をすると、その中に高額紙幣が混じっていることがある。もちろん「全部小さい額のお札でお願いします」と言えば替えてくれるだろうが、そうした要望に全部応えていたら、銀行の出張所の小額紙幣がたちまち底をついてしまうに違いない。いずれにせよ欧米、特にアメリカの社会では高額紙幣の旗色はとみに悪いが、それでも50ドル100ドル紙幣はなくならない。

今回、この原稿を書くにあたって初めて知ったのだが、アメリカでは1969年まで500ドル、1000ドル、5000ドル、10000ドル札というものまで発行されていたそうである。実はきわめて高額の紙幣はヨーロッパにもあって、お目にかかったことはないが、500ユーロというお札も存在している。*

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最近、その欧米で100ドルとか500ユーロといった高額紙幣を廃止したらどうだ、という議論が交わされるようになってきている。この廃止論の根拠は「高額紙幣は麻薬取引や犯罪に伴う決済に使われることが多いから」というのである。不法な取引を行う人間や組織は、正規の銀行口座を持っていないことが多く、彼等の多くはキャッシュを使って「決済」を行う。では、どうして高額の紙幣を廃止すれば、麻薬などの取引に打撃を与えることができるのだろうか。その理由が興味深い。

もし100万ドルを現金で支払おうとした場合、その重さは500ユーロ札を使うと2キロ程度で済んでしまう。一方20ドル札を使用すれば50キロにもなる。2キロの紙幣なら鞄に入れて持ち運ぶことも十分可能だろうが、50キロともなればそうはいかない。だから高額紙幣を全廃すれば、国際間の不法・不正な取引を困難にすることができるというのである。最近、ヨーロッパ中央銀行のドラギ総裁は、500ユーロ紙幣を廃止する検討を始めると発言した。

高額紙幣を廃止すべきだという議論はアメリカでも起きている。議論の根拠は、100米ドル紙幣の65パーセントはアメリカの外に蓄えられており、それらは不法な取引に使われるケースが多いから、というである。

高額のお札を発行するかどうかという問題が麻薬や不正取引の問題に直結していたのである。そうしたことは私の頭の中には全くなかった。この問題を伝えるニュースを見ながら、「日本人は甘いなあ」とここでも痛感させられた。

 

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日本における「左」と「右」の流動性 (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

『フランスの政治における「左」と「右」』(2016年5月19日掲載)を読んで下さった方から、「日本では左派と右派との人材の流動性がなかったかのように書かれているが、それは戦後の日本の政界や労働界のことを考えると、必ずしも正しい見方とは言えないのではないか」という指摘を頂いた。まさにその通りである。あまり長い文章になるのもどうかと思い、前稿では、フランスと比べ日本の社会では両派の間で人材が交流する機会は乏しかったと書いたが、日本でも終戦から昭和30年代の前半くらいまでは「左」と「右」の交流は存在したのである。

総理大臣を務めた福田赳夫氏の回想によれば、昭電事件に巻き込まれ、次官の座を目前にして大蔵省(当時)を追われた氏に対し、政治の世界に入るように最も強く勧誘してきた政党は社会党だったそうである。その頃の日本の社会はイデオロギーの対立が激しかった一方で、人材の供給・調達という点では今よりずっと柔軟性があったのだろう。そうした現象は、戦後の労働運動の指導者の多くがいわゆる大卒のエリートだった、ということとも共通するものだった。

名古屋で言えば、「名鉄中興の祖」と呼ばれ、明治村などの建設に手腕を発揮した土川元夫氏は会社の労働組合の委員長を務めた経験を持っていたし、労組の全国組織である総評の議長として労働界を指導した太田薫氏は、元は宇部興産の管理職だった。労働の側を代表していた人物がその後、資本の側を代表する立場に立ったり、企業の管理職だった人間が労働界に入ったりする。そうしたことは、日本の労働組合の多くが「産業別組合」ではなく「企業内組合」だから初めて起こりえたことだろう。労働組合のリーダーと会社の経営者は、同じ釜のメシを食っているという感覚を確実に共有していたのである。

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1970年代の前半頃まで、メディアの中には単純に「保守対革新」という図式で社会の動きを分析しようとするものが少なくなかった。しかし、そうした描き方は日本の社会の現実を反映していないのではないか、と学生だった私は漠然と感じていた。

そんな時、伊東光晴氏の『保守と革新の日本的構造』を読んで、私は目からウロコが落ちるような思いがした。伊東氏は近代市民社会の代表とされるイギリスは日本に比べて身分社会、階級社会であり、一方日本は階層差や身分差が希薄で、階層間の移動が容易な社会であること。しかも平等の思想が生まれたのは「上下差」の強い西欧であり、逆に階級差の少なかった日本では「前近代的」な関係が色濃く残っていることなどを明快に指摘した。当時、世の中には教条的な思考や「正義は我のみにあり」といった硬直したイデオロギーが跋扈していたが、氏は柔軟な発想と鋭利な分析で日本社会の現実を明らかにしていた。

最近、『保守と革新の日本的構造』を読み返す機会があった。読みながら私は「今、この本を初めて手に取った人は、ここに書かれているのは当たり前のことばかりじゃないかと感じるかもしれない」という不思議な感想を持った。人材の「左」と「右」との流動性に関する分析の部分などがそれである。それは、この本そのものが世の中の常識を作っていったということなのだろう、と思う。

時代の常識を作った本というのは他にもある。法社会学者の川島武宜氏の名著『日本社会の家族的構成』もそうした光栄を担った書籍のひとつだろう。教室で学生に「どうだ、題名を聞いただけでも面白そうな本だろう。読んでみないか」などと誘うのだが、反応はない。せめて一部だけでも知ってもらおうと、伊東氏や川島氏の著作のさわりのところだけを引用したりコピーして配ったりすることもある。伊東先生や川島先生には申訳ないが、イギリスの歴史家が言ったという「人類の英知は引用されることによって継承されていく」という言葉に免じて、勘弁していただこうと思う。

 

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「教授者の専門性を活かした言語教育」(2016/10/15) 発表PPT資料

 

2016年10月15日(土)は名古屋大学の2016年度ホームカミングデイ(HCD)でした。大学院国際言語文化研究科では、HCDの企画として、市民公開講座「教授者の専門性を活かした言語教育」を開催しました。国際言語文化研究科が名大の外国語教育の責任部局でもあることから生まれた企画です。企画全体の案内はこちらです。

この講座で、私(飯野)は「思想・文学研究とフランス語教育」と題して、ほぼ20分間の発表を行いました。そのパワーポイント用の資料をPDF化したものを公開します。こちらをクリックして下さい

案内にもありますが、企画の趣旨は次のようなものでした。
「大学における外国語教育は教授者の専門性が明に暗に反映されており、学習者は実用的な外国語の習得のみならず、学問的な刺激を受けつつ、より広い見識を身につけることが期待できます。/ 今回の市民公開講座では、教授者の専門・研究が言語教育にどう活かされているか、どう活かすべきかをテーマに、外国語教育の最前線で活躍する8名の講師陣と共に教育研究の在り方について考えていきます。」

また、この公開講座では、名大で教えられている8言語それぞれの教員(ただし名大の教員とは限らない)が発表しました。私はフランス語の教員としての発表でした。8言語の内、6言語の発表者は言語学系の教員で、いわば文化系の教員は私を含めて2名でした。

飯野和夫
大学院国際言語文化研究科
教養教育院フランス語科

 

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政治的レトリックということ (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

アメリカとの国交回復を受けて、フランスを含め欧米のメディアはこのところキューバに関するニュースを多く伝えている。キューバの問題について私は以前から関心を抱き続けてきた。それは1962年のキューバ危機が、私の中に強烈な記憶として残っているからかもしれない。そして、崇高な理想を掲げて誕生した国家が、歳月を経るにしたがってどのように変貌していくのかという点にも大きな興味があった。

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1980年代半ばのことである。当時東西冷戦という大状況はまだ続いていたが、東側の盟主・ソ連の経済の行き詰まりは誰の目にも明らかになりつつあった。アメリカからの経済制裁を受け続けていたキューバは、それまでソ連からの援助によってかろうじて経済を維持していたが、頼りとするモスクワからの支援はもはや消滅寸前の状態に立ち至っていた。

そうした状況の下、キューバからは小さなボートやいかだに命を託して、対岸のフロリダをめざして出て行く人たちが跡を絶たなかった。故国に見切りをつけて、アメリカでの暮らしにわずかな可能性を見出そうという人たちであった。皮肉なことに、アメリカはキューバに対して禁輸など強硬な態度を取れば取るほど、自国の中に新住民を迎え入れなければならないというジレンマに直面することになった。

そもそもキューバ政府は自国民が流出していく動きに対して、それを事実上容認する姿勢を取り続けていた。80年代後半から90年代前半のキューバの態度を一言で言えば「出て行きたい人間は勝手に出て行け」というもので、密出国に対して厳格な取り締まりは行われなかったという。

その頃、放送局で主に国際関係の番組を担当していた私はある時、外電の中に次のようなキューバ高官の発言を見つけ、我が目を疑ったことがある。それは「アメリカがキューバに対して禁輸解除などの措置を取らなければ、キューバはアメリカに対してこれまで果たしてきた『難民流出に対する防波堤』としての役割を放棄する」という趣旨の発言だった。高官のこの言葉はどのようなことを意味していたのだろうか。それは「自分たちがキューバの島に社会主義政権を維持していることによって、難民の数は一定以下に抑えられているのだ。もしキューバ人の流出がどんどん続いたら、彼等が行きつく先は対岸のフロリダなのだから、困るのはアメリカの方なのだぞ。だから難民の発生する原因となっている禁輸を、アメリカは早く中止しなさい」ということだったのだ。

キューバ政府が難民の流出を抑えない方針を取った理由のひとつは、自国の体制に不満を持つ人間が国外に出て行ってくれる方が政府にとっては都合が良いと考えられたからである。別の言い方をするなら、難民の流出という事態は自分たちの体制を維持していくための安全弁だと考えられたのである。それだけではない。既に述べたように、キューバ政府は密出国していく難民という存在を、「流れつかれる側」であるアメリカへの圧力として最大限利用しようとしたのである。

さらには80年代、キューバは犯罪常習者など、自分たちの体制にとって好ましくないと考えられた人たちを、ボートやいかだに載せて送り出していたという。つまり「革命の敵」が外国に対する有利な道具として使われたということになる。

キューバのこうした方針は「移民政策」と呼ばれることもあったが、実態は「棄民政策」と呼ぶべきものだった。しかし、流出していってくれる人間が国内に無限にいる訳はないし、国民がどんどん外へ出て行ってしまったら、国内のエネルギーが低下してくることは明らかである。自国民を国内から放り出すことによって成り立っている国家などというものが、いつまでも存続できるはずがない。にもかかわらずキューバの高官は、難民という存在を外交の有力なカードとして使おうと考えたのである。これが政治的思考、政治的レトリックというものなのだろう。

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政治的レトリックに関しては、昔、アメリカの外交官から聞いたこんな話も紹介しておきたいと思う。「実話だ」と断った上で彼が話してくれたのはこんな逸話だった。

冷戦で米ソが厳しく対立していた時代のモスクワを、アメリカの代表団が訪ねた時のことである。今も昔もロシアには酔っ払いが多い。乞食も少なくはない。代表団がソ連ご自慢のモスクワの地下鉄を視察した時、一行の前で白昼、物乞いらしい酔っ払った男が寝そべっていた。それまでさんざん社会主義経済の成功を聞かされていたことへの反発もあったのだろう。アメリカ側のひとりが案内役のソ連の人間に、「モスクワにも乞食がいますね」と一言皮肉っぽく言った。

それに対して、ソ連の当局者は直ちにこう言って反論してきたのだという。「そうかもしれません。しかしあなた方はアメリカの南部で黒人に対して、どういうことをしているんですか?」

モスクワの地下鉄の乞食の話題とアメリカ南部の黒人に対する差別や迫害とは、全く関係のない話である。「しかし、そんなふうに全く関係ないことを平気で結びつけて反論できるのが政治的レトリックというものだ」とそのベテラン外交官は笑いながら話してくれた。

日本人は、少なくとも私の年代の人間くらいまでは、「言葉には自分の信じている思いを込めて話しなさい」とか「巧言令色すくなし仁」とか言われて育ったものである。もちろんそれは正しい道徳だと思うけれど、世界の中ではそういった価値観だけでは太刀打ちできない世界の方がずっと多いのではないかと思う。

 

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現代のジャン・バルジャン? (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

最近一年の間だけで、ヨーロッパには東欧、アフリカ、中東などから百万人を超える人々が難民や移民として押し寄せてきた。その事態に苦慮する欧州各国、特に地中海に正面から向き合う南ヨーロッパの国々の悩みは深刻さを増す一方である。

そんな中、今年、イタリアの裁判所はひとりの移民の起こした犯罪について、注目すべき判決を下した。ヨーロッパの放送や新聞はこの出来事を大きく報じていたが、日本のメディアでの扱いはきわめて小さなものだった。そのことは難民問題に関するヨーロッパとそれ以外の世界、特に日本との温度差を象徴的に示すものかも知れなかった。まず、それがどのような出来事だったかということから話を始めることにしたい。

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2016年5月、イタリアの最高裁判所は「餓えに耐えかねて食べ物を盗んだことは犯罪にあたらない」として、スーパーで食品を万引きしたとして窃盗の罪に問われていたホームレスの男性に対し、無罪の判決を下した。

被告の男性はウクライナ出身の30代の男性で、5年前の2011年、ジェノヴァ市にあるスーパーで4ユーロのソーセージとチーズを盗んだとして起訴されていたものである。一審の裁判所は被告に対し窃盗罪で有罪の判決を下し、控訴審もそれを支持していた。しかし最高裁判所は被告の行為は生存のための必要性に駆られた行為で、「緊急避難」にあたると判断し、無罪の判決を下した。

緊急避難とは専門家によれば、「自己または他人の生命・自由・財産などに対する目の前に迫る危険を避けるために止むを得ず取る行為で、それによって生ずる害が、避けようとした害の程度を超えない場合のみ認められる」とされる。この被告の場合、スーパーから盗んだ品物の金額が限られていたこと、被告の生活状況がきわめて切迫していたことなどから、裁判所は被告の行為は緊急避難にあたる、と判断したのである。つまり、「人間は生きるためには食べなければならない。飢えをしのぐためにとった盗みという行為は犯罪にあたらない」としたのである。

この判決に対しては当然のことながら賛否両方の意見が噴出した。肯定的な意見は『レ・ミゼラブル』を引いて、生きるためにわずかのパンを盗んだだけで投獄され、その後の人生を捻じ曲げられたジャン・バルジャンのような人間を社会は作り出してはならない、と訴えた。

一方、批判的な意見の代表的なものは、「移民や難民の生きていく権利も結構だが、商売をやっている人間の財産権の方はどうなるのか」というものだった。また、「被告のような立場の人間は世の中に山ほどいる。一体どのような状況にあれば、緊急避難という行為が認められるのか。その基準がきわめて曖昧だ。被害金額が少額だったことが判決に影響を与えたのだろうが、どれだけの被害だったら緊急避難と認められ、どれだけだったら認められないのか不明だ」という意見もあった。

さらに、「盗みという手段を取る以外に生命を維持していく方法はなかったというが、本当に『やむを得ずした行為』だったのか、検証が不十分ではないか」とか、「難民の置かれている状況には同情を禁じ得ないが、イタリアは難民たちすべての不幸を引き受ける訳にはいかない。今回の判決をきっかけに同様の事件が頻発したらどうするのか」との批判もあった。

先日、私は教室でこの事件を取り上げ、学生たちの考えを聞いてみたが、彼等の反応は賛否あわせてメディアが伝えたイタリア社会の意見とほぼ同じだった。

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今回のイタリアの判決を皆さんはどのようにお考えになるだろうか。「盗むな、殺すな、姦淫するな」などの掟は世界中、特にキリスト教世界にとっては言うまでもない約束事だった。しかし今やその根本的なルールが揺らいでいる。移民や難民の問題がヨーロッパにもたらしている衝撃の大きさを、あらためて感じさせられた思いがする。そして今回提起された問題は、いつ日本で起こっても不思議ではない。それはまさに、今から日本が考えておくべき課題でもある。

(参考)
ユーロニュースHP 2016/5/4
http://fr.euronews.com/2016/05/04/italie-voler-quand-on-est-pauvre-et-affame-n-est-pas-un-crime

New York Times 週間版 2016/5/15

 

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『フランコフォン集合せよ!』 (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

外国にいた時、バスなどを使って、何日間か同じグループで移動してまわるツアーに参加したことがある。「そういうツアーはお仕着せで面白くない」と言う人も多いだろうが、パックのツアーはmustの名所の見落としがなく、私は嫌いではなかった。最初グループで訪ねて気に入った場所を、後で今度は個人で再訪したこともある。また、外国発の団体旅行ではいろんな国から来た、様々な言語の人たちと語り合う時間を持てたことも楽しい思い出である。

そうしたツアーでは参加者は同一の空間を長時間共有することになるのだから、当然そこにはコミュニティみたいなものが次第に形成されてくる。そして集団の中に何となくグループの中心というか、リーダーみたいな人間が現われてくる。私の限られた経験ではそういう人物は英国人であることが多かった。しかもやや高齢の、リタイアしたような人。職業で言うと、教師のOBなどが典型だったろうか。

英国人がグループの中心を形成しやすいのは、何と言っても彼等は英語という武器を手にしているからだろう。そうしたツアーに参加しようという人たちの中に、「英語は全くだめ」という人は少ないだろうから、「グループ内の共通言語が母国語」という状況は、英国人に最初からきわめて有利な条件を与えていることになる。パックツアーの場合、ほとんどの行程は事前に決められているが、それでも食事やアディッショナルな見学などに関し、選択が求められることもある。そうした際、英国人はグループの中で最初から有利な立場に立っていることになる。私はもちろん常にleadershipではなく followshipに徹していた。

ただ見ていると、英国人は英語という「資源」を持っているだけでなく、何となく集団をソフトに動かしていく力を持っているように感じることもあった。イギリス人は人間と人間の距離の取り方が巧みだ、と感じさせられることもあった。パックツアーにはアメリカ人の参加ももちろん多いが、彼等が集団の中心の座を占めるということは、あまりなかったような気がする。

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そうやって何日かのうちに英国人を中心とする構図が出来てくると、それに不満の気分を示す人間も出てくる。多くの場合、それはフランス人たちなどである。国際会議などでもよく経験したことだが、昼食の時間などになると、フランス人の周囲にスペイン人、ポルトガル人、ギリシャ人などが集まって、フランス語で談笑する光景が見られるようになる。スペイン人たちは同じラテン系、地中海系ということで、フランスに親しみを感じるのだろうか。歴史的に見れば、スペインやポルトガルはナポレオン軍に痛めつけられた過去を持っているのだから、フランスに対する感情はどんなものなのだろうなどと思うのだが、そんな出来事は遠い昔のことなのかもしれない。

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フランス語を理解する人間が集団を作るという光景は、国際会議やシンポジウムなどでも見かけた。「フランス人ほど世界中からフランス語を話す人間を探し出すことに熱心な人間はいない」とはよく言われることだが、放送番組の見本市などでは「フランコフォンの集い」というカクテル・パーティーが開かれていた。そこに、フランス人を中心に西アフリカなど旧フランス植民地から来た人たちが大集合するのである。

私はフランコフォンではないが、面白そうなのでそうした会を何度か覗いてみたことがある。美味しそうなワインとおつまみも魅力だった。もちろん主催者が「あなたはフランコフォンではありませんからお引き取り下さい」などと言うはずはない。そういうレセプションを主催するのは実質的にフランス人で、彼等は英語が幅を利かすイベントの中で、思う存分フランス語を喋る時間を持つことができて、いたくご満悦の様子だった。

しかし、「フランコフォンの集い」が終わってしまえば、イベントはまた英語が中心となって進行していき、フランコフォンは多勢に無勢といった感じだった。集まりの主催者に聞くと、最近では西アフリカやインドシナなどの旧植民地からフランコフォンの集まりに参加する若い人たちが減ってきているという話で、「なんとも嘆かわしい」という表情が印象的だった。

世の中、色々な要素がなければつまらない。「英語帝国主義」とまでは思わないが、英語だけが共通言語という世界はつまらないし、世界のためにも良くないだろう。世界中の人々が英語だけでなくいろんな言葉を齧ったら、個人も社会ももっと面白くなるのに、と思う。

 

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河村先生新著書評 (『GALAC』)

 

放送関係の雑誌『GALAC』 2016年9月号に、河村雅隆先生の新著『端倪すべからざる国』の書評が掲載されました。著作権者の許諾を得て本HPにも掲載します。もう一度ここをクリックして紙面のイメージでお読み下さい。

 

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