渡邉雅子(社会学):大学入学資格試験

フランスの思考表現スタイルと大学入試

 渡邉雅子(社会学、名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授)

フランスの思考表現スタイルというと、フランスの著名な思想家を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、私が取り組んで来たのは、コミュニケーションの基本となる「書く・語る」様式がどのように学校で教えられ、その枠組みが子どもをいかに社会化するのかです。具体的には、初等教育における作文教育と歴史教育(いかに書くか、過去を語るか)を日米と比較しながらリヨン市で学校調査を行ってきました。

ところが、フランス人教師が口を揃えて言うには、フランスで最も上質な教育は、高校2〜3年で行われるバカロレア準備である、これを見ずしてフランスの教育と社会を語るなかれとのこと。そこで大学入学資格試験と中等教育修了試験を兼ねるバカロレアの研究を始めました。

日本のセンター入試やそのモデルになったアメリカのSATとは異なり、普通バカロレアは3時間半から4時間をかけて一問を解く大論述試験と30分の口述試験によって行われます。これらに合格するためには、正・反・合の弁証法で書き、語ることが求められます。幼稚園から始まるフランスのカリキュラムは、この頂点を目指して、つまりディセルタシオンと呼ばれるフランス式論文が書けるようになるために綿密に組まれていると言っても過言ではありません。

バカロレア準備教育を通して養われるのは、知識を伝統的な弁証法の形式に落とし込む事によって、考え方の「型」を習得させること、すなわち問題の核心を撚り出し、情報をまとめあげて結論に導き、説得力ある大きな構図を描く「方法」の体得です。この方法は、哲学や歴史、文学などの引用無しには成り立たないので、共通財産である基礎知識の暗記も必須です。それらの知識を自在に組み合わせて論を展開する能力と、特に哲学においては論点を「問い」の形にして浮かび上がらせる発問力が徹底的に訓練されます。フランスの高校生は、すべての科目で驚くほどの量の「書く」訓練を強いられています。フランスでは「抵抗する事」を学校で教えると言われますが、高校生のデモ・集会権が認められているとともに、批判の方法はこの論文形式の中にも埋め込まれています。

バカロレア試験の初日は毎年哲学と決まっていて、夜のゴールデンタイムのニュースでは、各界の著名人がその年の問題を即興で解く様子が報じられます。政治家、小説家からカフェでくつろぐ街角の人々まで様々な人が挑戦した後、最後に高校の哲学教師が重々しく登場して模範解答を述べます。バカロレアは、子どもから大人になるための国民的「通過儀礼」であるとともに、共通教養と考え方の「型」の習得を通して、文字通り「フランス人」になるための試験でもあると言えます。

フランス語を学んだら、フランス式論文様式や l’art de synthèse からその思考法を学びましょう。アメリカモデルとは全く違う世界があることに驚き、必ずや魅了されることでしょう。

 

興味のある方は、以下の論文で上記の事柄を扱っています。渡邉雅子, 2012, 「ディセルタシオンとエッセイー論文構造と思考法の仏米比較」『名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要(教育科学)』第58巻第2号, pp.1-13. 渡辺雅子2009,「日・米・仏の国語教育を読み解く—読み書きの歴史社会学的考察—」『日本研究』第35集,角川学術出版, pp.573-619.

渡邉雅子(わたなべ まさこ)
名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授。専門は知識社会学、比較文化、教育社会学。
米国コロンビア大学大学院社会学部博士課程修了、Ph.D.(社会学)。
東京大学社会科学研究所、国際日本文化研究センター(京都)を経て、2007 年から名古屋大学准教授、2012年より現職。
国際オプションバカロレア招聘視学官(2010-2012年)。

(2012年10月3日公開)