カンボジアのフランス語

国際開発研究科 藤村逸子

国際開発研究科の海外実地研修(OFW)の引率で、カンボジアへ2週間行ってきました。ご存知のとおりカンボジアはインドシナ半島にある小国で、フランスの旧植民地(=旧保護国)です。フランス統治下(=保護下)にあったのは1868年から1953年までです。しかしこの国において今、フランス語は、50才以上の年齢のエリートの話せる言語にすぎません。若い人が実用レベルのフランス語を学ばなくなったからですが、遠因は、1970年代にポルポト派が知識層を虐殺したという歴史にあります。教育を受けた人のうち70-80%の人々が亡くなったとききました。ポルポト時代のことを教えてくださり、自分は生き残りだといわれたシェムリアップ州教育部のトップの方は、フランス語と英語を流暢にお話しになりました。フランス語をお話しになるときは、うれしそうなご様子でした。外国語が堪能な方が多く、教育レベルの高い方は皆英語が上手です。

しかし、フランス語の名残はあります。まず、クメール語(カンボジアの国語)にはフランス語からの借用語が数多く含まれています。たとえば、英語はアングレと言います。(フランス語はフランセとは言いません。)

以下の写真のうち、上段は首都プノンペンのものです。通りの名前には、rueやboulevardなどの語が今も使われています。左端のrueの写真には、pharmacieという語も見えます。町には、ここはフランスかと思えるようなカフェもあります。通りを歩いていて遭遇したのですが、プノンペンには4,000人のフランス人が住んでいて、彼らにフランスから輸入したチーズやワインなどを売る店だということでした。

下段はシェムリアップ州の農村です。村には診療所があり、そこは産院でもあります。写真の通り、産室や診察室などを示すプレートにはクメール語の他にフランス語が表示されていました。これはフランス統治時代の残存ではなく、その後の国際的援助機関によるものです。たぶん、クメール語が読めないフランコフォンのためのフランス語表示なのでしょう。村の人たちはニコニコと人懐こく、フランス語も英語もまるで通じませんが、私の挨拶のみのクメール語と、クメール語・英語間の通訳をとおして、おしゃべりすることができました。(ただし、アンコールワットの近くの村では、中学生がとても巧みに英語を話していました。)

村のよろず屋は、プノンペンのカフェとは対照的です。この国では、おしゃれなカフェはもちろん例外であり、村のよろず屋のような店がスタンダードです。首都プノンペンにいると発展のスピードが著しいので、そう遠くない将来にカフェのような店が普通になる可能性もなくはないと思えるですが、地方の農村の様子を見ると、豊かさが隅々にまで広がるのはまだまだ先のことのように思われます。

 

 

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