メディアが国民戦線を作ったのか(河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

少し前のことになるが、大学院の授業でちょっと面白い体験をした。日本国内で活発に活動を展開している、いわゆるヘイト・スピーチについて学生と教室で討論した時のことである。私からの問い掛けは次のようなものだった。「日本の放送メディアはヘイト・スピーチの活動を全くと言っていいくらい取り上げない。演説の肉声を画面の中で流すこともしない。放送局はどのような判断でそのようにしていると思うか。もし君がテレビ局の編集長だったら、どのような編集方針を採るだろうか」

それに対する学生の反応は、私にとって予想外のものだった。ほとんど全員が、次のような意見を述べたのである。「ヘイト・スピーチの活動も放送の中できちんと紹介すべきだ。いつも先生が『日本の放送の最も重要なポイントだ』と言っている放送法第4条は、『意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること』を、放送局に対して求めている」

それに対し私はこう反論した。「放送においては『何を放送するか』と同じくらい『何を放送しないか』という判断も重要だ。何でもかんでも電波に乗せてしまうのであれば、それではインターネットや2チャンネルと同じになってしまう」

その時、議論の中で私が他にも強調したのは、日本では視聴者の中には「電波に載っていることは、いわば世の中で公認されたことだ」と受け取る傾向があること、したがって過激な政治的主張を掲げる団体は、自分たちの活動が電波で紹介されることによって、社会的な認知を得ることを何よりも期待している、という点だった。

放送法はその第1条で、「放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」と放送の担うべき役割を明記している。そうした法の精神から言っても、社会に暮らす人々を傷つける言説を放送の中で取り上げることについて、放送局は慎重でなければならないと説明したのだが、それに対して受講生からは異論が出された。

「視聴者はそれほど愚かではないのではないか。もちろんヘイト・スピーチの主張を紹介する場合は、それに反対する立場の考えと組み合わせたかたちで放送することが望ましいだろうが、過激な言説を行うグループの活動や主張を、世の中に全く存在してないかのように扱うのはおかしい」

議論の最後には学生から、「先生の考えはくさいものにフタをしようとする、企業防衛的発想だ」という意見まで飛び出して、驚かされた。私にとっては意外な議論の展開となったが、学生とのやりとりは私にとって、若い世代の放送観は自分たち世代のそれとは全く様変わりしていることを確認させる機会ともなった。

*     *

そんなディスカッションを交わしてから暫くして、私はフランスの極右・国民戦線(FN)に関する何冊かの本に目を通す機会があった。国民戦線は1972年の結党以来、何回もの分裂や内紛を繰り返しながらも勢力を伸張させ、現在、地域によってはフランス国内の有権者の30パーセント以上の支持を集めている。

その主張は移民排斥、国籍取得制限の強化、フランスのEU(欧州連合)からの脱退、通貨ユーロからフランへの回帰、治安の強化、妊娠中絶の禁止といったもので、そうした提言は失業や経済の世界化(mondialisation)に脅かされている人たちを中心に、広汎な支持を集めている。2年後、2017年に予定されている大統領選挙において、国民戦線が文字通り台風の目となることは間違いない。

その国民戦線が1990年代から、どうして急速に勢力を拡大できたのか、その問題を正面から論じたのが、弁護士で地方議員としての経験も持つ、フランソワ・ジェルべという人物の著わした『メディアがルペンを作った』である。

この本は、1970年代にはほとんど無名の存在だった国民戦線が80年代半ばから飛躍的に勢力を拡大したのは、党首ジャン=マリー・ルペンの巧みなメディア戦略があったからだ、と主張する。ジェルべによれば、ルペンは新聞や放送のインタビューに登場する機会をとらえ、意識的に過激な発言を行ったというのである。

ルペンはインタビューやメディアがいる公開の場で、「政府や自治体は、移民の増加、失業による社会不安、治安の悪化といった事態に何ら有効な対策を取っておらず、そのことはフランス人からフランス人としてのアイデンティティを奪っている」と繰り返し訴えた。彼はまた、ナチスによるユダヤ人の虐殺を「第二次世界大戦の中の些事」と呼ぶなど、しばしば舌禍事件を起こしたが、結果的にそれらが国民戦線のPRにつながった面も否定できなかった。ルペンの移民や弱者を傷つける発言は社会の反発を招いたが、そのことがメディアでまた大きく報じられ、さらにそれに対するルペンの再反論がメディアに掲載される・・・といった循環が繰り返されたのである。

彼の「100万人の移民がフランス人100万人の雇用を奪っている」という発言はよく知られているが、そうした単純化された主張が多くのインタビューを通して、フランス人の頭の中に刷り込まれていった、とジェルべは言う。

もちろん新聞社や放送局の中には、「ルペンの発言を新聞やテレビで積極的に紹介すれば、国民戦線の思う壺だ」と考えるジャーナリストも少なくなかった。しかし一方で、選挙で一定の支持を得ている政党幹部の考えを取り上げるのはメディアの役割だ、という姿勢の記者やプロデューサーもいたし、国民戦線幹部の過激な発言を引き出して、それをスクープというかたちで報じよう考える記者もいた。

国民戦線の活動を記事や番組で取り上げたり、党首ルペンを出演させたりすることは、果たして妥当なのか、メディアはどういう態度を取るべきだったのかという問題について、二人の対照的な考えを紹介してみよう。

1980年代以降、多くのテレビ・ラジオ番組でキャスターを務めた花形ジャーナリスト、クリスチーヌ・オクランは次のように言う。彼女は1996年9月、民放のラジオ番組「ディマンシュ・ソワール」でルペンにインタビューを行った。ルペンをメディアに登場させたことに対して加えられた批判に対し、彼女は次のように反論した。

「ジャーナリストとして、国民戦線の指導者に直接質問しなければならないことは明らかだ。ルペンが法を逸脱した存在であるかどうかを判断するのは、議会や憲法院(憲法評議会)であって、ジャーナリストではない。自分の目に目隠しをして、質問をしないというのは楽なことだが、それは勇気を欠いた行為だ。それでは危険が迫ったら、それに正面から立ち向かうことをせず、砂に頭を突っ込むというダチョウになってしまう。
もちろん、ルペンを出演させることにはためらいもあったし、意気揚々とインタビューしたという訳ではない。しかし、インタビューをすることが我々ジャーナリストの仕事なのだ。私自身は、ルペンと相い対することによって、その本質の一部を明らかにすることに貢献できた、と自負している」

一方、『メディアがルペンを作った』の著者フランソワ・ジェルべは次のように言う。

「つまらない政治家のどうでもいい発言まで、すべてを伝える使命が、ジャーナリストには課されているのだろうか。ジャーナリスト自身が、『こんな発言をする人物は政治の世界から追放された方がいい』と考えるような政治家の発言まで、ジャーナリストはいちいち報道する義務があるのだろうか。新聞や放送がルペンのたわ言を伝えなかったからと言って、そのことを不満に思う人はいない。しかし、メディアはルペンの片言絶句まで伝え続けている。私がジャーナリストに望むことは、市民的な対応をしてほしいということだ。それは国民戦線を黙殺する、ということだ」

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ここで興味深いのは、ルペンがテレビに初めて登場するようになったきっかけである。そこにはミッテラン大統領の存在が影響していた、とジェルべは言う。

1982年5月、当時の社会党大統領、ミッテランはオルレアン市で演説を行った。その中で彼は、国民の間に存在すべき一体感とは、全員が同じ考えを持つということではなく、様々な意見が多元的に存在することであり、異なった意見の間のぶつかり合いこそ国民の間の一体感を生むのだ、という自説を展開した。

ミッテランのこの演説を聞いたルペンは、直ちに大統領に書簡を送った。その中でルペンは、国民戦線が国民の間で一定の支持を得ながらも、政治や選挙の報道においてメディアから不当な扱いを受けていると訴えた。それに対するミッテランの反応は予想外のものだった。彼はルペンに返信を送り、国民戦線がメディア各社から受けている扱いを不当なものと断じ、通信担当の大臣に状況の改善を指示することを約束した。そして、大統領が発した指示の内容をAFP通信は、直ちに配信した。

影響は直ちに現れた。メディア各社は大統領の意を受けるかたちで、政治番組や選挙関連番組において、国民戦線の取材を積極的に行ったり、ルペン党首をインタビューしたり、討論番組への出席を求めたりするようになったのである。

ミッテランがなぜルペンに好意的な動きに出たか、その理由は細部まではわかっていない。ただミッテランには、国民戦線の支持が拡大すれば、政治の世界において、既存の右派政党の力が削がれる、という計算があったことは確かである。フランスの政治は大きく言って、オール右派対オール左派の対立という括りの中で動いていく。ミッテラン大統領には、国民戦線の勢力が伸びれば、右派の中で当時の共和国連合(RPR)などの勢力が食われるに違いない、という読みがあった。しかし、それはパンドラの箱を開くようなものだった。メディアへの露出をバネに国民戦線は、既成政党や「右対左」といった図式に厭きた人々の間に一気に支持を拡大していったのである。

 

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