高額紙幣のはなし (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

欧米の社会では日常生活の中で、高額の紙幣を使うことが本当に少なくなった。少し前まで私が暮らしていたアメリカでは、スーパーのレジで50ドルや100ドルといったお札を出すと、露骨に嫌な顔をされた。偽札が多いということがいちばん大きな理由だろう。そういった額のお札を渡すと、受け取った店員は天井の照明に向けて紙幣を開き、透かしを確認していた。何度も同じ経験をしたことがあるから、そうした確認は従業員のマニュアルの中で指示されているのだろう。

高額紙幣が嫌われるもうひとつの理由は、店員に現金を多く扱わせることは危険だということでもあるのだろう。日本の小売店もだんだんそうなってきたようたが、欧米の店では、現金を取り扱う店員の数を極力しぼっている。性悪説と言ってもいいだろうが、このあたり、日本の商店とはずいぶん様子が違っている。

例えばレジが一か所にしかない店で買い物をする場合、お客ははるか遠くまで商品を持っていかなければならない。気の弱い私など、「もし万引きと間違えられたらどうしよう」と、レジにたどり着くまで気が気ではない。

アメリカでは一定額以上の取引の際は、カードやチェック(小切手)や電子取引を使うことが常識になっている。だから偶々高額の紙幣が手元に回ってくると、持て余した私は銀行に行って、それをいったん自分の口座に振り込み、その上で同じ店のキャッシュディスペンサー(CD)から使い勝手のいい20ドルや10ドル紙幣を引き出したりした。銀行のCDから50ドルや100ドルの紙幣が出てきた、という経験はしたことがない。

しかし、旅行者や短期の滞在者はそんな芸当ができないから大変である。多くの人は日本の空港の銀行で外貨を購入してから旅立つが、一定額以上の両替をすると、その中に高額紙幣が混じっていることがある。もちろん「全部小さい額のお札でお願いします」と言えば替えてくれるだろうが、そうした要望に全部応えていたら、銀行の出張所の小額紙幣がたちまち底をついてしまうに違いない。いずれにせよ欧米、特にアメリカの社会では高額紙幣の旗色はとみに悪いが、それでも50ドル100ドル紙幣はなくならない。

今回、この原稿を書くにあたって初めて知ったのだが、アメリカでは1969年まで500ドル、1000ドル、5000ドル、10000ドル札というものまで発行されていたそうである。実はきわめて高額の紙幣はヨーロッパにもあって、お目にかかったことはないが、500ユーロというお札も存在している。*

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最近、その欧米で100ドルとか500ユーロといった高額紙幣を廃止したらどうだ、という議論が交わされるようになってきている。この廃止論の根拠は「高額紙幣は麻薬取引や犯罪に伴う決済に使われることが多いから」というのである。不法な取引を行う人間や組織は、正規の銀行口座を持っていないことが多く、彼等の多くはキャッシュを使って「決済」を行う。では、どうして高額の紙幣を廃止すれば、麻薬などの取引に打撃を与えることができるのだろうか。その理由が興味深い。

もし100万ドルを現金で支払おうとした場合、その重さは500ユーロ札を使うと2キロ程度で済んでしまう。一方20ドル札を使用すれば50キロにもなる。2キロの紙幣なら鞄に入れて持ち運ぶことも十分可能だろうが、50キロともなればそうはいかない。だから高額紙幣を全廃すれば、国際間の不法・不正な取引を困難にすることができるというのである。最近、ヨーロッパ中央銀行のドラギ総裁は、500ユーロ紙幣を廃止する検討を始めると発言した。

高額紙幣を廃止すべきだという議論はアメリカでも起きている。議論の根拠は、100米ドル紙幣の65パーセントはアメリカの外に蓄えられており、それらは不法な取引に使われるケースが多いから、というである。

高額のお札を発行するかどうかという問題が麻薬や不正取引の問題に直結していたのである。そうしたことは私の頭の中には全くなかった。この問題を伝えるニュースを見ながら、「日本人は甘いなあ」とここでも痛感させられた。

 

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