放送を規制・監理する機関のあり方(日米仏) (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

現在、日本において放送関係の規制や電波監理の業務を担当している機関は、国の行政官庁である総務省である。我々日本人は、総務省の前身である郵政省という役所があった時代から、放送関係の業務を行政官庁が担当することを当たり前のように考えてきたところがある。しかし実は、行政官庁が規制・監理にあたるという放送行政のあり方は、世界の先進国の中では例外的なことと言ってよい。

世界の放送界に圧倒的な影響を与えてきたのはアメリカだが、米国において放送と通信に関する行政を担当しているのは連邦通信委員会(FCC)という組織であって、この委員会は一般の行政官庁とは異なる「独立行政委員会」と呼ばれる性格を有している。FCCは放送免許の交付と更新を決定する「裁定権」だけでなく、放送と通信に関する規則を制定する「準立法権」をも有する、きわめて強力な機関だが、通常の行政官庁がそうした権限を行使している訳ではない。

今回のテーマは、フランスの放送規制・監理機関である視聴覚高等評議会(CSA)の性格についてだが、そのためにはまず、世界の放送における規制・監理機関のプロトタイプであるFCCについての説明から始めなければならない。

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独立行政委員会としてのFCCが設けられたのは、第二次世界大戦以前に制定された1934年通信法によってである。この法律は近代国家の統治機構の中でユニークな性格を持つ「独立行政委員会」という機関を誕生させた。近代の国家は言うまでもなく立法、行政、司法という三権によって構成されている。しかし、合議制の機関である独立行政委員会はそれら三つのいずれにも属さず、「第四の権力」と呼ばれることもある存在である。この独立行政委員会は業務遂行の責任を、国民の代表である議会を通じ、国民に対し直接負っている点に特徴がある。現在、アメリカの独立行政委員会には他にSEC(証券取引委員会)やITC(国際貿易委員会)などがあって、それぞれ活発な活動を展開しているが、FCCは独立行政委員会のはしりのような存在だった。

では、なぜ放送行政の分野で独立行政委員会という制度が設けられたのだろうか。その理由は明らかだろう。ひとつは、放送という政治的中立と公正が求められる分野の行政に、権力や政党が影響を与えたり圧力をかけたりすることを極力困難にしようというねらいからだった。もうひとつは、放送や通信に関する行政には高度な専門性が要求されるから、専門知識を備えた専門の委員会を設け、そこに規制・監理業務を任せるのが適当だと考えられたからである。

FCCを構成しているのは5人の委員(コミッショナー)である。委員の人選にあたっては上院の厳しい審査が行われ、大統領は議会の審査を通過した委員の中から委員長を指名する。アメリカの政治は民主・共和両党による二大政党制の下で動いているが、ここで興味深いのは委員5人のうち3人までは民主・共和どちらの政党に所属していてもよいとされていることである。各委員がどの政党の党員であるかは、FCCのホームページの委員紹介欄にも明記されている。

我々日本人から見ると、独立行政委員会という制度は放送行政への政治の介入を困難にする趣旨で導入されたのに、委員が特定の政党に所属することが公認されているというのは理解しにくいことかもしれない。しかしそもそも、FCCという組織は二大政党制というものを前提とした制度なのである。「委員長や委員は社会全体のために奉仕すべきパブリック・サーバント(公僕)だが、そのことと委員が二大政党のどちらの政党に属しているかということとは何ら矛盾しない」と多くのアメリカ人は考えるのである。そして現在、先進国の多くではFCCのあり方に倣うかたちで、三権から独立した放送や通信の規制機関が設けられている。

ちなみに日本にも独立行政委員会は存在している。国家行政組織法第3条で定められた、「三条委員会」と呼ばれる機関がそれで、公正取引委員会、中央労働委員会などが代表的なものである。しかし独立行政委員会の活動の影響力と権威はアメリカのそれに及ばないといっても過言ではないだろう。

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あまり知られていないことだが、戦後の日本でも一時期、放送に関してアメリカ型の独立行政委員会が設けられたことがある。1950年、日本では放送法、電波法、電波監理委員会設置法のいわゆる電波三法が制定されたが、その中のひとつ、電波監理委員会設置法によって設けられたのが電波監理委員会だった。

その頃、日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって占領統治されており、電波監理委員会の設置はGHQの強い意向に基づくものだった。当時の吉田内閣はGHQに対し、アメリカ型の独立行政委員会の導入は行政の責任の所在を曖昧にするものだと主張し、激しく抵抗したが、マッカーサー元帥は吉田首相に宛てて書簡を送り、日本側の反対を押し切った。こうして生まれた電波監理委員会は、いわばFCCの日本版だった。

 電波監理委員会は国会の同意を得て首相が任命した委員長と6人の委員によって構成された。しかしこの電波監理委員会はサンフランシスコ平和条約によって日本が独立を回復するや、1952年に廃止され、放送行政は郵政省(当時)の所管へと移行した。最初に述べたように、現在の日本のようなかたちで行政官庁が放送行政に直接関わる形態は、先進国においては例外なものとなっている。

その後、日本では「放送行政の面で独立行政委員会型の組織を復活すべきだ」という声は断続的に上がった。2009年秋の政権交代の後、与党となった民主党からは「放送行政は行政官庁ではなく、独立行政委員会型の機関に委ねられるべきだ」という意見が出されたが、以後具体的な動きにはなっていない。

現在、日本では三条委員会の委員長など、「第四の権力」の中でも特に重要なポジションの人事を内閣が行う際には、国会の同意が条件となる場合がある。いわゆる「国会同意人事」と呼ばれるものである。NHK会長を任命する権限を持つNHKの経営委員も、国会の同意を得て初めて選任されることになっている。

NHKの経営委員が国会同意人事の対象となっているのは、国会を通して国民各層の意思を委員の選任に反映させよう、という意図からである。しかし、国会による同意が形式的なものとなっているという批判は根強い。国会同意人事とは言っても、委員長や委員の候補者を呼んで、その人物の考え方、識見を徹底的に問う、アメリカ上院のような審議はほとんど行われていない。

歴史に「もしも」は禁物だが、電波監理委員会が廃止された時、それと引き換えるかたちで、議会が経営委員の候補者の徹底的な審査を行うことを制度化すべきだった、と指摘する声もある。

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1970年代後半以降、フランスの放送行政は目まぐるしく変遷を続けた。ドゴール大統領の時代からずっと放送を独占していたORTF(フランス放送協会)は1974年、ジスカールデスタン大統領によって解体され、次の政権を担った社会党ミッテラン大統領は放送の民営化を進めた。

自由化に伴い、フランスでは自由化された放送を規制・監理する機関が設けられた。いくつかの組織が生まれ、そして改組された後、1989年、視聴覚高等評議会(CSA)が誕生し、以後これが規制・監理機関として定着している。2015年6月20日付の本欄で、「フランス語音楽割り当て制度」についての文章を書いたが、この制度に関する放送局への監視業務も視聴覚高等評議会が行っている。

創設された当時のCSAの委員の選出方法は独特で、大統領、上院議長、下院議長がそれぞれ3人の委員を指名し、委員長は大統領が指名することになっていた。委員のこうした選任の仕方はフランス独特と言ってよいだろう。フランスには法律が憲法に違反していないかなどを審議する憲法院(憲法評議会)という組織があるが、憲法院の裁判官もCSAの委員の場合とまったく同じように選任されているのである。

その後、CSAの委員の選出の仕方は修正され、委員の数は2人減って7人になり、また大統領が指名できるのは委員長1人だけとなった。上下両院の議長による指名については、議会の文化委員会の議員の5分の3以上が選任に賛成することが求められるようになった。これによって、委員の選任に野党の意向も反映されやすくなったとされている。

このように、フランスの放送規制・監理機関であるCSAについては、議会の監視機能が強化された。しかし私の理解では、CSAはアメリカ型の独立行政委員会とはかなり性格を異にしている。CSAは担当する業務の責任を、国民の代表である議会に対して一義的に負っている訳ではないからである。

とは言え、中央集権で「上から下へ」の性格が圧倒的に強かったフランスの行政において、こうした委員会が生まれ、今日まで定着してきたのは画期的なことだろう。

「放送や電波に国境はない」と言う。もちろんその通りだ。ただそれはニュースや番組などの情報が直ちに他の国に伝えられて、そこでも大きな影響を与えるということだけでなく、放送のあり方や仕組みも互いに影響しあったり反発したりするということなのである。放送の歴史を紐解いていると、そうしたことに気がつくことが多々ある。

 

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