フランス語の勧め

間野忠明先生(医学、名古屋大学名誉教授、岐阜医療科学大学学長・理事長)(元の記事はこちら)

嘗てフランス語はヨーロッパ外交の公用語でした。ヨーロッパの東の果てロシアではフランス語を話 すことが上流社会のステータスでした。先日、テレビで「オーケストラ」という映画を観ました。旧ソ連時代にユダヤ人排斥のあおりで辞めさせられたボリショ イ劇場管弦楽団の名指揮者が、苦労して昔の仲間の楽団員をかき集め、パリの劇場で演奏し、大成功を収めるという設定の奇想天外なストーリーでした。ロシア 語の映画でしたが、ボリショイ劇場から追放され、多くは労務者となっていた旧楽団員が初めて訪れたパリで、片言のフランス語を使い、フランスの人たちと一 生懸命に交流する場面がほほえましく思われました。

筆者は高校時代、映画クラブが学校の講堂で上映した沢山のフランス映画を観賞しました。聞きなれないフランス語、必ず登場するワインと食事、美しい女性などに完全に魅せられました。名古屋大学の医学部に入学し、当然のこととしてドイツ語を第二外国語として選択しました。しかし、高校時代の映画の思い出からフランス語をどうしても勉強したくて、当時の教養部(今の教養教育院)に通い、フランス語を学びました。大学卒業後、東京の病院でインターンを務めた1年間も、夕方から、お茶の水のアテネフランセに通いフランス語の勉強を続けました。

インターンの後、名古屋大学の大学院に入学し、神経内科学の勉強を始めました。神経内科学の源流はフ ランスにあり、フランス語の論文を読む機会が増え、フランスへの留学を考えるようになりました。幸い、フランス政府から僅かでしたが奨学金を頂くことがで き、3年間フランスに留学しました。最初、脳波学と、てんかん学で一世を風靡したマルセイユ大学医学部のアンリー・ガストー (Henri Gastaut) 教授に師事しました。続いてパリ大学医学部サルペトリエール病院 (Hôpital de la Salpêtrière) でレイモン・ガルサン(Raymond Garcin) 教授の教えを受けました。サルペトリエール病院は18世紀に精神科医フィリップ・ピネルが、閉鎖病棟で鎖に繋がれていた精神病患者を鎖から解放したことで有名な病院です。現在でも病院正門の前にフィリップ・ピネルの銅像があります。19世紀にはジャン・マルタン・シャルコー教授が世界で初めてこの病院に神経学講座を開設しました。有名な精神分析医ジクムント・フロイトもここに留学しています。歴史のある病院で、伝統的なフランス神経学を勉強できたことは幸運でした。当時、日本ではあまり研究されていなかった多発性硬化症の不随意運動についてフランス語で論文を書くこともできました。

高校時代に映画で垣間見たフランスでの生活は、貧乏でしたが充実した毎日でした。フランス語を通してフランス人はもとより、世界中から集まった多く の人たちと絆を結びました。安くて美味なワインと料理も大きな魅力でした。それまで観たこともなかったオペラのすばらしさも初めて経験しました。

現在、世界の共通語は英語ですが、英語の他、少なくとも、もう一ヵ国語を学んでおくと世界が大きく広がり、より多くの人々との絆を結ぶことができま す。英語以外の外国語の選択肢の中で、筆者はフランス語を強くお勧めします。その理由の一つはフランス語を使う国の数が、英語を使う国の数に次いで多く (インターネット・ウイキペデイア・フリー百科辞典による)、”francophone”と呼ばれるフランス語を話す人々が世界中に沢山いることです。も う一つの理由はフランス語の文法と発音には規則を外れる例外が少なく、勉強し易い言語だからです。英語は発音に規則から外れた例外の多い言葉です。フラ ンス語の発音は難しいと云われることがありますが、私はそうは思いません。一度、発音の規則さえ覚えれば、後は簡単です。一方、フランス語と英語には共通 点も多いことなどから、フランス語を学んでおくと、英語の上達にも役立ちます。筆者は英語圏への留学の経験は皆無ですが、英語の会話、読み書きにはそれほ ど苦労しません。フランス語を学んだおかげと思っています。是非、フランス語の勉強に挑戦して下さい。

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