河村雅隆: 欧州で再燃するユダヤ人排斥の動き

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

最近、ヨーロッパでユダヤ人を排斥する動きが表面化している。戦後のヨーロッパでは最近まで、第二次大戦中のナチスドイツによるユダヤ人虐殺を歴史の教訓として、反ユダヤ人的運動が社会の表面に姿を現すことは少なかった。少しでも反ユダヤ人的言辞を明らかにした政治家や文筆家に対しては、たちまち厳しい批判や制裁が科せられるのが常だった。しかし最近、各国の極右政党は反ユダヤ的な主張を繰り返している。そうした動きに呼応するかたちで、一般の市民からも同様の声が発せられるようになった。ベルギーやフランスでは、パレスチナを支持し、イスラエルの軍事行動を非難するデモに参加した人たちの中から「ユダヤ人に死を!」「ユダヤ人をガス室に送れ!」といったシュプレヒコールが公然と発せられ、人々に大きなショックを与えた。

反ユダヤ人の動きは具体的な行動という面でも目立ってきている。2014年5月にベルギーの首都ブリュッセルにあるユダヤ博物館で、ユダヤ人など3人が殺害された事件をご記憶の方もあるだろう。また7月には、パリにあるユダヤ系の住民が経営する薬局が破壊されるという出来事も起きた。ドイツでは、ユダヤ教の聖堂であるシナゴーグに火炎瓶が投げ込まれるという事件も発生しており、反ユダヤ人的動きはヨーロッパで収まる気配がない。こうした一連の動きを、メディアは「古い悪魔が復活した」という表現で大きく取り上げている。

もちろん反ユダヤ的な運動の高まりを、各国の指導者たちは強く非難している。中でも大戦中、大量虐殺を引き起こしたドイツのメルケル首相は、「反ユダヤ主義と戦うことはドイツの国として、社会としての義務だ」と述べて、反ユダヤの動きと対決する姿勢を鮮明に打ち出している。しかし、こうした発言は運動の暴発を抑えることにはつながっていない。戦後70年間、ヨーロッパの社会は「ユダヤ人虐殺のような人類に対する罪を二度と犯してはならない」という共通の認識の上に成り立ってきたが、今や少なからぬ人たちが、そうした社会の根本が揺らいでいるのではないか、という恐れを感じるようになった。

一連の動きを受けて、欧州各地に暮らす1400万人のユダヤ人の中には、住み慣れた土地を離れてイスラエルなどに移住する人たちも現われている。イスラエルのネタニヤフ首相はヨーロッパに暮らすユダヤ人たちにイスラエルに移住するよう、繰り返し呼び掛けており、それに応えるかたちで、フランスからはこの一年で6000人ものユダヤ人がイスラエルに移住している。(注)

ヨーロッパで反ユダヤ人の動きが顕在化してきた大きなきっかけは、パレスチナ問題の緊迫化である。最近欧州では、ガザ地区などに対してイスラエルが展開してきた軍事作戦や入植地の拡大といった政策を非難する人が増えている。政治家だけでなく、一般の市民の間にもそうした意見を持つ人が目立つようになった。その結果、最近では、イスラエルという国家の政策に対する非難がいつの間にかユダヤ人への批判というものと混同されるようになってきており、そのことが反ユダヤ的な言説や行動が表面化する一因となっている。これまでも第二次世界大戦後のヨーロッパでは、パレスチナの情勢が緊迫すると人々の間で反ユダヤ人的な心情が動き出す、と言われてきた。しかし、最近の動きはそうしたレベルをはるかに越えている。

人々は「ユダヤ人に死を!」などという言葉が公然と街頭で発せられるのを聞くと、最初は大きなショックを受けるが、何回もそれを聞かされているうちに慣れてしまい、やがてそうした言葉を耳にしても何も感じなくなってしまう。欧州のメディアには、「そうした慣れがいちばん恐ろしい」と論じる意見も散見する。

また最近では、教育の場でこんなことも起きている。学校や社会教育の場で、異なった宗教や民族に対する寛容や共存というテーマを扱う場合、そこで取り上げられる事例は、最近では「イスラム教徒やアラブ出身の移民との共存」といった問題が中心になってきており、ユダヤ教徒やユダヤ人に対する差別や迫害の歴史のことに触れることは少なくなっている。こうしたこともユダヤ系住民の危機感を高めている。

これまで欧州の政治の世界では、右派、特に極右と言われる政治家の中には、反ユダヤ人的な心情の持主が少なくなかった。一方、左派政党の政治家のかなりの部分は、パレスチナ問題をめぐってイスラエルの姿勢に対して批判的だった。しかしそれでも、欧州に暮らすユダヤ系住民の多くは、選挙の時、左派の政党に投票してきた。左派の政党がたとえイスラエルの政策に対して批判的だったとしても、ユダヤ人抹殺の歴史を否定したりしかねない右翼よりマシだ、と考えたからである。しかしユダヤ人たちが頼りにしてきた(?)左派政党は、最近ではユダヤ系の有権者だけでなく、急速に人口を増しつつあるイスラム系の住民にも秋波を送るようになってきている。

ヨーロッパの新聞を見ていたら、「欧州に暮らすユダヤ人たちにとって最悪のシナリオとは、左翼政党の対イスラエル政府批判と右翼の伝統的な反ユダヤ人感情がひとつになることだ」という分析が出ていた。そうした予測があながち絵空事ではない事態を、ヨーロッパは迎えつつあるのかもしれない。

 

(注)ネタニヤフ首相の勧誘に対しては、「これはヨーロッパにおけるユダヤ人の存在と、そこでユダヤ人たちが果たしてきた貢献を否定するものだ。ユダヤ人のいないヨーロッパはヨーロッパではない」という反発の声が上がっている。フランスのおけるユダヤ教の長老会議(Consistoire Israélite de France)の長も、フランスに住むユダヤ人に対し、恐怖からフランスを離れることのないよう、呼び掛けている。

 

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