署名記事の意味 (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

言うまでもないことだが、欧米の新聞の記事のほとんどは、いわゆる署名記事である。記事のあたまか終りには、それを執筆した記者の名前が示され、取材にあたって協力した人間がいた場合には、その人の名前も明示される。

記事の内容も、事件や事故に関する単なる情報というより、記者がそのニュースをどのようにとらえ、解釈したかということの方に力点が置かれていることが多い。そうした傾向はアメリカよりフランスの新聞の方に顕著だろう。極端に言ってしまえば、アングロサクソンの新聞の記事の多くは5W1Hを備えた文章だが、フランスの新聞の記事はそうはなっていないことが少なくない。

そのように記事の目的が「書き手がそのニュースをどう解釈したか」ということを伝えるということになると、記事はエッセーのような性格を帯びてくるから、自ずと長文にならざるを得ない。私など「さあ読むぞ」と気合を入れないと、一気には読み通せないほどの分量である。1ページ全部がひとつの記事に充てられていることも珍しくないが、そうした記事のスタイルを、高級紙と呼ばれる新聞の読者は許容してきたのであり、その結果、署名記事という「制度」がフランスの新聞では定着してきたのである。

そもそも欧米のメディア、特に活字メディアにおいては、個々の記者は独立した存在であって、そうした記者の集合体が新聞であり雑誌だという考え方が強い。その典型はルモンド紙だろう。2010年に外部の資本によって買収されるまで、ルモンドは「記者会」という、記者の集まりによって経営されていた。この記者会が新聞の株式の多くを保有し、それが新聞の経営者を選任していたのである。したがってルモンドにおいては経営者と記者との関係も、通常の組織における上下関係とは大きく異なっていた。ルモンドは極端な例だが、「個々の記者の集合が新聞である」という考え方がメディアの世界の常識になっているからこそ、その記事を書いたのはどんな記者かということを明示する署名性が重視されてきたのである。

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最近では日本の新聞も署名の入った記事が多くなった。しかしページをめくっていて、これはどうして署名記事なのだろう、と感じさせられることも少なくない。単に5W1Hを報じただけの、業界でいうところの「本記ニュース」や、誰が書いても同じ内容になりそうな「発表原稿」にも、それを書いた記者の名前が出てくる。そうした記事の中には、必ずしも記者の解釈や分析が登場してくる訳ではない。それらの文章を見ていると、編集局は機械的に記事の最後に出稿者の名前を入れているだけなのではないか、という印象すら受ける。

そもそも日本の記者の多くは、ジョブとしての記者職・取材職を選択したというより、○○新聞に「就社」したという感覚の方を強く持っている人の方が多いのではないだろうか。元々日本人は、自分が所属している集団に対する帰属意識のきわめて高い国民性である。もちろんそれは悪いことではない。組織に対する帰属意識や、組織の中での小集団ごとの競い合いが、組織全体を活性化し、トータルなエネルギーを拡大してきたことは否定できない。何を言いたいかと言えば、要はメディアで働く人間や組織の性格が、フランスと日本とではかなり違っているということなのだ。

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個々のリポーターや記者の集合が新聞社や放送局である、という感覚はアメリカのジャーナリストの多くにも共通したものである。そもそもアメリカのメディアにおいて、新聞なら新聞の世界だけ、テレビならテレビだけでずっと仕事を続けてきた人というのは、圧倒的に少数派だろう。ニューヨークやロサンゼルスに本社がある新聞社や放送局で、学校を卒えた後、すぐにトレーニーというかたちで働き始める人もいないことはないが、それはあくまで例外であって、多くの人間は、地方の小さな新聞社やラジオ・テレビ局で仕事をスタートさせ、そこで実績を積み上げてから、大都会のメディアに移ってくるのである。その過程で、新聞社で腕を磨いた記者がテレビ局のニュース部門に移ったり、新聞記者をやっていた人間がテレビのリポーターになったりすることも珍しくないし、企業や官庁の広報部門などを経験したりすることもある。

そうしたモビリティーの高い労働市場においては、その記者が書いてきた署名記事の数と質が、転職にあたってのきわめて重要な指標となってくる。そうした意味でも記事の署名性は大事なのである。これに対して日本の状況は違う。これまで多くの記者は通常、最初に「就社」した会社の中でずっと働くものとされてきた。

もちろん私も署名記事は大歓迎である。たとえ発表原稿であろうと、それをどんな人が書いているのかは知りたい。ただ、ひとつひとつの記事に署名を入れる意味と必然性は、それぞれの国で異なっているのではないかと思う。

 

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