エリートの社会 (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

いきなりのお尋ねで恐縮だが、この欄をご覧下さっている方は、テレビで映像取材を行うロケクルーというのは、いったい何人くらいの人間で構成されていると思われるだろうか。ここで言う映像取材とはドラマや芸能番組とは違う、ニュース企画や報道番組のための撮影のことである。普通の放送局の場合、報道番組の撮影クルーはディレクターか記者、カメラマン、それに音声マン、照明マンの4人程度からなっている。ただ海外ロケなどになると、費用の節約のために音声と照明を一人の人間が兼務して、スタッフが3人になったり、音声や照明を全部カメラマンが行って、チームがディレクターとカメラマンの2人だけになってしまったりすることも珍しくない。ロケを担当する人間がディレクターとカメラマン2人だけになれば、荷物運びから照明や音声のセッティング、ノイズ(周辺の音声)の拾いなど、すべてを二人でこなしていかなければならない。

若い頃、放送局の中で報道番組を担当していた私は、そうした映像取材の体制を当たり前のことだと思い込んでいたのだが、ある時、映画監督の方に番組のリポーターをお願いした際、自分たちのやり方は同じ映像の世界とは言っても、映画やドラマとは全く違っているということに、遅まきながら気づいた。リポーターの監督さんは約束の場所に現れた我々クルーを見るなり、「で、他の人はいつ来るの?」と言われた。映画の世界ではカメラマンには、距離の計測係とかピントを合わせることだけを専門に行う助手が、セカンドとかサードとかいう名前でつくのが常識だから、テレビの撮影クルーがそんなに少人数なのが信じられなかったのだろう。もっともその方は取材を進める中で、「テレビの撮影は早くていいね。映画もこうじゃなきゃ、いちばん良い映像を逃してしまうよ」といたくご満悦の様子だった。

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その後、海外取材でフランスに出た時のことである。支局に挨拶してから、ある高官のインタビューを撮りに出かけようとする我々に、特派員の先輩が「誰に会いにいくのか」と声をかけてくれた。彼は取材先の人物の職位と経歴を確かめた後、「今日はお前、セッティングとか片付けはやらない方がいいんじゃないか」とぼそっと言った。その日インタビューする予定の官僚は、グランドゼコールと呼ばれる大学以上の権威を持った高等教育機関の卒業生で、言うまでもなく超エリートだった。

アドバイスの意味がわからなくて問い直した私に先輩は、「インタビューする時までは『俺はディレクターでござい』といった感じで取材しておいて、収録が終わった途端、機材の片づけなどをやり出すと、『こいつは一体本当にディレクターなのか』と思われるかもしれないぞ」と言うのである。

1980年代半ば、この世の中にはインターネットや電子メールなどというものは影も形もなかった。だから外国の組織や人物を取材しようと思えば、まず手紙を書き、その後頃合いを見計らってファックスか電話を入れて、取材の意図を説明するしかなかった。そうした時、アメリカの企業などでは、こちらが書いた拙い手紙のコピーがその組織の中の関係部署全部に転送されていて、驚くこともあった。

フランスの官僚の取材もそのような手続きで進めたのだが、取材申し込みの手紙に書いた私の自己紹介文は、「誇大広告」以外の何物でもなかった。「自分は○○○○という番組の中心的な役割を果たしているディレクターで、これまで制作した番組は日本の社会に大きな影響を与えてきた」などということを針小棒大に記していたのである。それも別の先輩からのアドバイスに従ってのことだった。

その別の先輩は、「ヨーロッパやアメリカのテレビには日本のニュース企画のような番組はあまりないから、企画の構成とかを説明してもなかなか分かってもらえない。手紙にはそれより、『インタビューに関連してこういう絵がほしい』というふうに書いておいた方がいい。そして、撮りたい映像は最初から全部挙げておくことだ。後から追加するのがいちばん良くない」という、まことに実戦的で有益な指導もしてくれた。

フランスでの取材の日、支局の先輩は「思いすごしかもしれないけれど」と言いながら、アルバイトの若い男性を撮影助手につけてくれた。おかげでその日の取材は無事に終了したし、大ディレクターは音声や照明機材のセッティングや後片付けをしないですんだ。

その時の経験がなぜか忘れられず、私はその後ヨーロッパで仕事をするようになってからは、取材先で出会うフランスやヨーロッパのクルーがどんなふうに仕事を進めているのかを、よく観察したりした。もちろん日本と同じように全員が手分けして荷物を運んだりしているチームもあったが、ディレクターとおぼしき人が撮影の前も後も手を貸そうとしないクルーも少なくなかった。見るところ、どうも後者の方が圧倒的に多い感じだった。

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前置きがやたら長くなってしまったが、今回のテーマは「エリートの社会・フランス」ということである。

その後、私は製造業における「技術移転」が日本とアジア、そして欧米との間でどのように行われているかを描く番組を制作したこともある。その取材の中で知ったのは、フランスの製造業の世界では、たとえば理工科学校などのグランドゼコールを卒業したエリートたちは工場のラインにまで足を運びたがらないという事実だった。私は取材先に、「管理者が現場を細部に至るまで把握していなくて、ものづくりというものは出来るものなのか」と質問を繰り返したのだが、ある時、ひとりの技術者が「フランスの社会や組織では、エリートとされる人間が現場から遊離しがちだ」という点を認めた上で、次のように切り返してきた。

「あなたは学生時代、勉強は好きでしたか?誰だってそんなものは好きじゃありませんよね。でも人生の中でいちばん遊びたい時期に、誘惑に打ち克って懸命に勉強し、その結果、高い知識、技能、資格を身につけた人間と、そういう努力をしてこなかった人間が、どうして同じ処遇を受けなければならないのですか?もし両者が同じというのなら、その方がよほど逆差別ではありませんか」

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フランスの企業では、cadreと呼ばれる管理職と、それ以外の一般社員や労働者の世界は、処遇の面ではっきりと二分化されている。cadreの中でもグランドゼコールの卒業生は、初めから別格の処遇を受ける。日本の会社だったら、大卒だろうが大学院卒だろうが、新人はすべて現場の研修からスタートするのが常識以前のことだが、フランスではそんなことはまずない。彼等は組織の中に最初から管理者として登場する。ましてやそうしたエリートたちが、工場で働く一般社員と同じ制服を着用することなど、夢にも考えられない。(そもそも制服のある工場などほとんどないのだ。)

日本人にとって技術とは、最新鋭の機械を導入したらたちまち生産効率が上がったり、据え付けたその日から何のトラブルもなく操業や生産が可能になったりするといった性格のものではない。同じ機械を使ったとしても、それを使いこなせるかどうか、それを使って最高の成果を生み出せるかどうかは、使う人ひとりひとりの創意工夫にかかっているのである。そうした考え方は我々日本人にとっては常識以前のことだろう。しかし、そんなふうに考える社会というのは、世界の中では圧倒的に少数派である。

フランスのように組織や社会の中でエリートの存在を認め、それに特別の待遇を約束する社会は、優秀な個人に存分に力を発揮させることができる。しかしそういう社会では、全員が知恵を出し合い、皆で汗をかくことはしばしば困難になる。製造業の世界でもイベントの世界でも、フランス人の考えるアイディアをめぐっては、「着想は素晴らしいが、実行に移していくとなると問題がありそうだ」といった批判がついて回る。大きな計画を実行に移したり、高度なアイディアを商品化したりしていくためには、多くの「普通の人間」の参加が欠かせないのだが、そうしたことは少数のエリートが世の中をリードしていく社会においては期待しがたいだろう。

しかし、そうした点にもかかわらず、フランスの社会からエリートという存在が姿を消すことはないだろう。反発を示すことはあっても、フランス人たちは、普通の人間を含め、本音のところではエリートというものの存在を肯定しているように私には感じられる。

 

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