国務院という機関 (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

去年12月17日に書いた『ブルカ・ニカブ禁止法制定から5年』という文章の中で、「フランスの最高行政裁判所であると同時に政府の諮問機関でもある国務院(コンセイユ・デタ)は、この禁止法を制定することについて慎重な姿勢を示していた」と一言記した。その後、読んで下さった方から、国務院とは一体どのような機関なのかというお尋ねを頂戴した。そこで、今回は国務院というフランス独特の組織について記してみたい。この国務院という名前は、フランスのニュースや新聞記事を見ているとしばしば登場することからも分かるように、フランスの司法のみならず政治の分野においても重要な位置を占める機関である。

国務院とはどんな組織なのかを理解するためには、フランスの司法制度が英米のそれとどのように違っているかという点から説明を始めなければならない。法律の世界では大まかに言って、大陸法と英米法という二つの体系が存在している。フランスの司法制度は言うまでもなく前者に属している。

大陸法ではいわゆる成文法主義の考え方が採用されており、議会や政府が作った体系化された法律が裁判を行う上での法源(判断の根拠)とされる。一方、英米法の下では成文法より判例が重視され、裁判所が積み上げてきた判例が先例となって、それに拘束力が与えられる。つまり、あとから裁判を行う者は判例を踏まえた上で判決を下さなければならないのである。

また裁判所の体制も異なっている。具体的には行政事件を担当する裁判所はどこかという点において、フランスなど大陸法の国と英米法の国との間には決定的な違いがある。

ではその行政事件とは何か。それは公権力の行使(処分)が適法であるかどうかという問題をめぐって、処分の取り消しや変更が争われる事件のことである。つまり主に住民や国民と行政の間の紛争を扱う裁判が行政裁判である。別の言い方をするなら、国家や行政府が裁判の一方の当事者になった裁判が行政事件であり、その典型は不服申し立てである。

この行政事件をめぐる訴訟(行政裁判)に関し、フランスでは一般の裁判所とは別の系統の行政裁判所と呼ばれる裁判所が設置されており、ここが行政裁判を担当することになっている。これは「二元的裁判制度」と呼ばれるもので、フランスの司法制度の大きな特徴である。行政裁判権は司法裁判権から独立し、行政権の一部と位置付けられており、行政裁判所の裁判官も行政官とされている。行政裁判所は戦前の日本にも存在したが、第二次大戦後、それは廃止され、通常の裁判所が民事、刑事の裁判だけでなく、すべての裁判を担当するようになった。

この他、英米法の国においては、法律が憲法に反していないかどうかを判断する「違憲立法審査権」も通常の裁判所が有しているが、フランスにおいては憲法院(Conseil constitutionnel)という別の機関がそれを行使する。

この他、大陸法の国と英米法の国とでは裁判の進め方も違っていて、後者の国々の多くでは陪審制が採用されている。フランスやドイツでも陪審制に近いものはあるが、そこでは陪審員(参審員)が職業裁判員と一緒になって裁判を進めていくのに対し、アメリカに代表される英米法の国の裁判では、職業裁判官が加わらない陪審員の評議によって判決が決定される。

その他、裁判官の養成方法も違っており、フランスやドイツでは最初から裁判官を裁判所の内部で訓練し育てていく仕組みが確立しているが、英米法の国では弁護士など、司法の現場の経験を積んだ人たちから裁判官が選ばれることが多い。いわゆる「法曹一元制」である。

日本の司法制度は大陸法と英米法双方の影響を受けているが、裁判官の育成という点から言えば、ほとんど完全に大陸法型である。少々脱線するが、私は弁護士が「在野(法曹)」などと呼ばれるのを聞くと、強い違和感を覚える。何で弁護士という職業が「野」なのだろう。「在野」という言葉からは「官尊民卑」や「お上意識」のようなものが感じられてならない。

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以上長々と大陸法と英米法の違いを書いてきたが、今回のテーマはフランス独特の機関である国務院についてである。

国務院は、先に書いた行政に関する事件を専門に扱う行政裁判所の体系の最高裁判所であると同時に、法律上の問題に関して政府から諮問を受け、それに答える役割も担っている。具体的には、法律・法案や政府の法的な判断が憲法に反していないかをチェックしていくのである。このように行政裁判に関する最高裁判所である国務院には、純然たる司法機関以外の役割も求められている。私の理解では、それは日本の内閣法制局に近い機能だろうか。

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私は法律の専攻ではないが、学生時代法律の授業で行政法を受講したことがある。単位を取ることだけが目的の怠惰な学生だったが、そこでフランスの行政裁判所の説明を初めて聞いた時、不思議でならなかったことがある。それは、「行政裁判所のような純粋の意味での司法機関とは異なった性格の機関の下で、公権力が被告となった裁判を公正に行うことは出来るのだろうか」という疑問だった。

もちろん日本においても、行政事件に関して裁判所は行政寄りの立場に立つことが多い、という批判は根強い。私自身、最高裁の判事に行政官庁や検察のOB、法制局長官経験者などが加わっているのを見ると、不思議な気がすることがある。そうした人たちももちろん裁判官になった以上、それまでの経歴はチャラにして、行政事件に対しても一法律家として取り組むことになるわけだが、日本の社会ではある組織で働いたことのある人間には、そこを離れた後も古巣に対して帰属感と忠誠心を保ちがちなところがあるから、考えなくてよいことまでつい想像してしまう。

アメリカがすべて良いとは思わないが、高位の裁判官や公職の任命にあたっては、上院は国民を代表するかたちで候補者に関する審議を行う。委員会が候補者の経歴、思想、識見を徹底的に洗い出し、候補者本人も議会に出席して自分の信条を明らかにする。そのことによって国民はその人がどんな人なのかを知ることができる。こういうのはやはり良い制度なのではないだろうか。日本で普通の市民がある裁判官がどのような人間なのかを知ることができる機会は、最高裁判所裁判官の国民審査の時くらいのものだろう。その際、選挙公報のようなものが配布されるが、それ一枚を読んだだけでは何もわからない。

最後はフランスの国務院の話から脱線してしまった。これまで何度も書いてきたことだが、他所様の国のことを理解するのは本当に難しいと思う。特に裁判に関する記事は、日本と制度が大きく違っているだけに特にハードルが高いと感じる。

(参考) 『フランス法』(滝沢正、1997, 三省堂)

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