新聞に対する公的支援という問題 (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

少し前のことになるが、2009年、当時の仏大統領、サルコジ氏が打ち出した新聞支援策が、フランスだけでなく世界中のメディア界の話題をさらったことがある。それは18歳のフランス国民に希望する日刊紙(全国紙)1紙を選ばせた上で、1年間無料で配布するという大胆なプランだった。つまり、公費(税金)で新聞を配ろうというのである。その狙いは若者の新聞離れを食い止めようというものだった。同時にサルコジ氏は、報道機関がデジタル化に対応するための設備投資についても支援を行う意向を表明した。

フランスでも日本と同じく、インターネットの普及などによって若年層を中心に新聞離れが進行している。発行部数の減少は広告主の新聞離れを招き、部数だけでなく広告収入も減るという悪循環が続いている。サルコジ氏の案は若者に新聞に親しんでもらい、新聞業界を活性化させようというもので、向こう3年間この計画を続けることが発表された。必ずしもメディアとの関係は良好ではなかったサルコジ氏だが、氏は記者会見で「新聞を読む習慣は必要である」と力説していた。

サルコジ大統領のプランには世界中のメディア関係者が驚愕したのだが、実はフランスではサルコジ氏の就任以前の2006年から似たような新聞支援策が行われていた。政府と費用を折半するかたちで、41の地方紙が18歳から24歳の若者を対象に、週に一度、新聞の無料配布を行っていたのである。その効果は大きく、地方紙で構成する団体によれば、1年間の無料配布期間が終了した後も、15パーセントの読者が有料で購読を継続したのだという。

その後、サルコジ氏は2012年5月の大統領選挙で敗北し、それに伴って2012年9月には日刊紙(全国紙)の無料配布事業は廃止された。ちなみにフランスでは企業でも政治でも、責任者が交代した場合、後任者が前任者の方針をひっくり返すというのはごく当たり前に見られる現象である。

2009年、サルコジ氏の新聞支援策が発表された時、私はアメリカにいた。知り合いの新聞記者と話していて、この案が話題になったことがあるが、彼は「政府に助けてもらうくらいなら潰れた方がマシだ」と息巻いていた。フランスでも日本でも同様の反発は多かったろう。フランスでは編集権の独立を危惧するジャーナリストだけでなく、新聞を配布する財源を負担することになる一般の読者や市民(納税者)からの反発も強かったという。

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しかし実は新聞に対する公的な助成や支援を求める動きは、我々の気がつかないところで、例えばアメリカでも始まっている。

アメリカの新聞の状況はヨーロッパ以上に深刻だろう。近年、小さな町や地域にあった新聞が廃刊されたり、電子版だけの発行に切り替わったりすることは日常茶飯事である。「アメリカの民主主義は地域の新聞によって支えられてきた」とはよく言われることだが、今や地方都市の中で地元の新聞を持たないところも珍しくなくなった。

そうした状況の下、アメリカでは何とか新聞を存続させようという運動が展開されている。この運動の根底にあるのは、新聞はPublic Goods(公共財)だという認識である。「アメリカ人の40パーセントはブロードバンドにアクセスできる環境にはいない。だから新聞がなくなれば情報ディバイド(情報格差)の問題がヨリ深刻になる」と彼等は主張する。

また彼等は、近年勢いを増しているオンライン・ジャーナリズムについても、それらのWEBジャーナリズムはどこからネタを得ているのか、と疑問を提起している。「ニュースのWEBサイトの多くは新聞社から提供される記事によって初めて成り立っており、WEBサイトが独自に取材して得ている情報は限られている」というのである。

そうした主張を展開する人たちの中には、新聞に対する政府からの公的な助成策を真剣に模索する人たちも現われてきている。彼等は、「独立後、18世紀後半から19世紀のアメリカ政府が新聞に対して行っていた優遇策や支援のことを考えれば、現代において新聞への公的助成を行ったとしても決して突飛なことではない」と主張する。

この「かつてアメリカにおいて新聞に対して政府からの助成があった」という話は、日本人にとって意外なものではないだろうか。我々の多くはアメリカ人、特に新聞人は政府や公的な権力の介入を嫌い、それを排除してきた人たちだ、と思い込んできたからである。私自身1776年の独立以降、19世紀の半ばにかけて、アメリカで新聞に対して様々な助成や優遇策があったという事実を初めて知った時は意外に感じた。

そうした反応はアメリカ人にとっても同じことかもしれない。大多数のアメリカ人は今も、公的助成は自由なジャーナリズムと相容れないと固く信じているが、「独立直後から19世紀半ばに至るまで続いた政府と新聞の関係を、今後の新聞のあり方の参考にすべきだ」という声は徐々に力を増している。

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では具体的に19世紀のアメリカではどのような公的なサポートが存在していたのだろうか。まず当時、連邦政府は新聞の郵送料をきわめて低く設定していた。新聞には官報としての役割が期待されていたからである。1794年の時点で全郵便物の70パーセントは、重さで計れば新聞が占めていたという。また政府は、新聞社のスタッフの中から議会関係の記事を担当する人間を指名し、その者の給料は国が負担していた。初期の新聞事業は税金も免除されていた。新聞事業は私的なビジネスではなく、公的なサービスだと考えられていたからである。こうした考え方は、第4代大統領マディソンの「知識を持った市民と新聞は民主主義社会にとって不可欠だ」という言葉にはっきりと示されている。

アメリカにおいて、官報としての性格を有していた新聞の性格が変わり、新聞が商業資本化するのは南北戦争が始まる前の頃からである。19世紀の後半になると、財源を広告収入のみに依存し、公的な支援に頼らない、いわゆる「フリープレス」が誕生し、政府から新聞に対する各種の補助は姿を消していった。

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21世紀の現在、上記の歴史的事実を踏まえ、少なからぬ人々が「新聞に対する公的助成復活の可能性を真剣に考えるべきだ」と声を上げ始めた。その際注目されるのは、彼等が「公的な助成は既存の新聞に対するbailout(救済)であってはならない。援助は既存の経営パターンから脱皮した新聞に対するものでなければならない」と主張している点だろう。

具体的には彼等は次のような提案を行っている。まず新聞を配達するための郵便料を下げること。若い人たちに仕事の場を提供する政策をメディアについても行い、メディアを志望する若者に、トレーニーとして実際に新聞で働ける場をこれまで以上提供すること。さらに、中学や高校の学校新聞の制作を新聞記者がサポートすることも提案されている。時間はかかるが、これらのことを通して新聞が人々にとってもう一度身近なものとなり、読者が育っていくというのである。

2009年には上院で、「新聞再活性化法案」と呼ばれる法案が審議された。これは「新聞購読料と広告料のみに依存した、これまでの新聞のビジネスモデルは完全に終焉した」とした上で、新聞に対する個人の寄付を所得から控除することなどを提案するものだった。法案は採択には至らなかったが、こうした動きは今後また起きてくるだろう。

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先日、日本のある新聞社の幹部に、サルコジ大統領の実施した新聞支援策やアメリカにおける公的助成を求める動きについて説明したところ、ここでも間髪を入れず、「そんなものを受け取るくらいなら、新聞は潰れた方がマシだ」という言葉が返ってきた。編集権というものが生命線であるメディアにとって、それは当然の反応だろう。ただ世界的に見れば、新聞に対する公的助成という問題はタブーではなくなりつつあるのかもしれない。ノルウェーでは既に、その地域のナンバー2の新聞に公的な補助を行うというユニークな政策も始まっている。日本の新聞がそうした動きといつまで無縁でいられるか、今後に注目していきたい。

(参考)
‘The Death and Life of American Journalism’
by Robert W. McChesney and John Nichols, 2010, Nation Books

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