『フランコフォン集合せよ!』 (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

外国にいた時、バスなどを使って、何日間か同じグループで移動してまわるツアーに参加したことがある。「そういうツアーはお仕着せで面白くない」と言う人も多いだろうが、パックのツアーはmustの名所の見落としがなく、私は嫌いではなかった。最初グループで訪ねて気に入った場所を、後で今度は個人で再訪したこともある。また、外国発の団体旅行ではいろんな国から来た、様々な言語の人たちと語り合う時間を持てたことも楽しい思い出である。

そうしたツアーでは参加者は同一の空間を長時間共有することになるのだから、当然そこにはコミュニティみたいなものが次第に形成されてくる。そして集団の中に何となくグループの中心というか、リーダーみたいな人間が現われてくる。私の限られた経験ではそういう人物は英国人であることが多かった。しかもやや高齢の、リタイアしたような人。職業で言うと、教師のOBなどが典型だったろうか。

英国人がグループの中心を形成しやすいのは、何と言っても彼等は英語という武器を手にしているからだろう。そうしたツアーに参加しようという人たちの中に、「英語は全くだめ」という人は少ないだろうから、「グループ内の共通言語が母国語」という状況は、英国人に最初からきわめて有利な条件を与えていることになる。パックツアーの場合、ほとんどの行程は事前に決められているが、それでも食事やアディッショナルな見学などに関し、選択が求められることもある。そうした際、英国人はグループの中で最初から有利な立場に立っていることになる。私はもちろん常にleadershipではなく followshipに徹していた。

ただ見ていると、英国人は英語という「資源」を持っているだけでなく、何となく集団をソフトに動かしていく力を持っているように感じることもあった。イギリス人は人間と人間の距離の取り方が巧みだ、と感じさせられることもあった。パックツアーにはアメリカ人の参加ももちろん多いが、彼等が集団の中心の座を占めるということは、あまりなかったような気がする。

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そうやって何日かのうちに英国人を中心とする構図が出来てくると、それに不満の気分を示す人間も出てくる。多くの場合、それはフランス人たちなどである。国際会議などでもよく経験したことだが、昼食の時間などになると、フランス人の周囲にスペイン人、ポルトガル人、ギリシャ人などが集まって、フランス語で談笑する光景が見られるようになる。スペイン人たちは同じラテン系、地中海系ということで、フランスに親しみを感じるのだろうか。歴史的に見れば、スペインやポルトガルはナポレオン軍に痛めつけられた過去を持っているのだから、フランスに対する感情はどんなものなのだろうなどと思うのだが、そんな出来事は遠い昔のことなのかもしれない。

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フランス語を理解する人間が集団を作るという光景は、国際会議やシンポジウムなどでも見かけた。「フランス人ほど世界中からフランス語を話す人間を探し出すことに熱心な人間はいない」とはよく言われることだが、放送番組の見本市などでは「フランコフォンの集い」というカクテル・パーティーが開かれていた。そこに、フランス人を中心に西アフリカなど旧フランス植民地から来た人たちが大集合するのである。

私はフランコフォンではないが、面白そうなのでそうした会を何度か覗いてみたことがある。美味しそうなワインとおつまみも魅力だった。もちろん主催者が「あなたはフランコフォンではありませんからお引き取り下さい」などと言うはずはない。そういうレセプションを主催するのは実質的にフランス人で、彼等は英語が幅を利かすイベントの中で、思う存分フランス語を喋る時間を持つことができて、いたくご満悦の様子だった。

しかし、「フランコフォンの集い」が終わってしまえば、イベントはまた英語が中心となって進行していき、フランコフォンは多勢に無勢といった感じだった。集まりの主催者に聞くと、最近では西アフリカやインドシナなどの旧植民地からフランコフォンの集まりに参加する若い人たちが減ってきているという話で、「なんとも嘆かわしい」という表情が印象的だった。

世の中、色々な要素がなければつまらない。「英語帝国主義」とまでは思わないが、英語だけが共通言語という世界はつまらないし、世界のためにも良くないだろう。世界中の人々が英語だけでなくいろんな言葉を齧ったら、個人も社会ももっと面白くなるのに、と思う。

 

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