現代のジャン・バルジャン? (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

最近一年の間だけで、ヨーロッパには東欧、アフリカ、中東などから百万人を超える人々が難民や移民として押し寄せてきた。その事態に苦慮する欧州各国、特に地中海に正面から向き合う南ヨーロッパの国々の悩みは深刻さを増す一方である。

そんな中、今年、イタリアの裁判所はひとりの移民の起こした犯罪について、注目すべき判決を下した。ヨーロッパの放送や新聞はこの出来事を大きく報じていたが、日本のメディアでの扱いはきわめて小さなものだった。そのことは難民問題に関するヨーロッパとそれ以外の世界、特に日本との温度差を象徴的に示すものかも知れなかった。まず、それがどのような出来事だったかということから話を始めることにしたい。

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2016年5月、イタリアの最高裁判所は「餓えに耐えかねて食べ物を盗んだことは犯罪にあたらない」として、スーパーで食品を万引きしたとして窃盗の罪に問われていたホームレスの男性に対し、無罪の判決を下した。

被告の男性はウクライナ出身の30代の男性で、5年前の2011年、ジェノヴァ市にあるスーパーで4ユーロのソーセージとチーズを盗んだとして起訴されていたものである。一審の裁判所は被告に対し窃盗罪で有罪の判決を下し、控訴審もそれを支持していた。しかし最高裁判所は被告の行為は生存のための必要性に駆られた行為で、「緊急避難」にあたると判断し、無罪の判決を下した。

緊急避難とは専門家によれば、「自己または他人の生命・自由・財産などに対する目の前に迫る危険を避けるために止むを得ず取る行為で、それによって生ずる害が、避けようとした害の程度を超えない場合のみ認められる」とされる。この被告の場合、スーパーから盗んだ品物の金額が限られていたこと、被告の生活状況がきわめて切迫していたことなどから、裁判所は被告の行為は緊急避難にあたる、と判断したのである。つまり、「人間は生きるためには食べなければならない。飢えをしのぐためにとった盗みという行為は犯罪にあたらない」としたのである。

この判決に対しては当然のことながら賛否両方の意見が噴出した。肯定的な意見は『レ・ミゼラブル』を引いて、生きるためにわずかのパンを盗んだだけで投獄され、その後の人生を捻じ曲げられたジャン・バルジャンのような人間を社会は作り出してはならない、と訴えた。

一方、批判的な意見の代表的なものは、「移民や難民の生きていく権利も結構だが、商売をやっている人間の財産権の方はどうなるのか」というものだった。また、「被告のような立場の人間は世の中に山ほどいる。一体どのような状況にあれば、緊急避難という行為が認められるのか。その基準がきわめて曖昧だ。被害金額が少額だったことが判決に影響を与えたのだろうが、どれだけの被害だったら緊急避難と認められ、どれだけだったら認められないのか不明だ」という意見もあった。

さらに、「盗みという手段を取る以外に生命を維持していく方法はなかったというが、本当に『やむを得ずした行為』だったのか、検証が不十分ではないか」とか、「難民の置かれている状況には同情を禁じ得ないが、イタリアは難民たちすべての不幸を引き受ける訳にはいかない。今回の判決をきっかけに同様の事件が頻発したらどうするのか」との批判もあった。

先日、私は教室でこの事件を取り上げ、学生たちの考えを聞いてみたが、彼等の反応は賛否あわせてメディアが伝えたイタリア社会の意見とほぼ同じだった。

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今回のイタリアの判決を皆さんはどのようにお考えになるだろうか。「盗むな、殺すな、姦淫するな」などの掟は世界中、特にキリスト教世界にとっては言うまでもない約束事だった。しかし今やその根本的なルールが揺らいでいる。移民や難民の問題がヨーロッパにもたらしている衝撃の大きさを、あらためて感じさせられた思いがする。そして今回提起された問題は、いつ日本で起こっても不思議ではない。それはまさに、今から日本が考えておくべき課題でもある。

(参考)
ユーロニュースHP 2016/5/4
http://fr.euronews.com/2016/05/04/italie-voler-quand-on-est-pauvre-et-affame-n-est-pas-un-crime

New York Times 週間版 2016/5/15

 

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