書評 河村雅隆・著 『テレビは国境を超えたか ヨーロッパ統合と放送』

「文化事情1 (フランス)」をご担当いただいている、国際言語文化研究科の河村雅隆先生のご著書に関する書評が、NYで出されている『週刊NY生活』という週刊新聞に掲載されましたので、ご紹介します。

*          *          *

書評 『テレビは国境を超えたか ヨーロッパ統合と放送』
   河村雅隆・著 ブロンズ新社・刊

放送人として見た欧州統合  小味かおる

欧米の放送がいかに始まったか、ヨーロッパとアメリカの放送は何が違うか、放送から見たヨーロッパ統合とは何か。放送人としてロンドンやニューヨークで働き、国境を越えようとするテレビ報道の動きを目の当たりにした著者が、アメリカとは根本的に異なるヨーロッパの放送について、その放送制度の変遷を紐解き、汎ヨーロッパの衛星放送の試みを展望する。

著者の河村雅隆さんは長年NHKで報道の仕事に関わり、90年代初めにロンドン勤務、2007年から2010年までジャパンネットワーク(テレビジャパン)のエグゼクティブ・バイス・プレジデントとしてニューヨークに赴任した国際派の放送人。現在は名古屋大学大学院国際言語文化研究科の教授として、メディアプロフェッショナルコースで「比較放送論」などの教鞭を執る。

1920年代のラジオブームに始まる放送の歴史は、イギリスのBBCは放送は営利から離れて「文化的・道徳的使命を担う国民への奉仕事業・公共サービス」という考え方が根強くあり、一方アメリカでは放送は産業と理解され、両国がスタート時点から正反対のスタンスをとってきた。また、ヨーロッパ各国は長らくBBCの姿勢とあり方が影響を与え、公的な放送が長らく独占的な地位を保ち続けたが、80年代の衛星放送やケーブルテレビの出現、さらには自由競争の原理が放送という分野にも導入され、「ユーリコン」や「ユーロパ」といった国境の枠を超えた欧州各国参加の衛星放送へと発展していく。

もちろん、一筋縄ではいかない。例えば自動車のボルボは、イギリスでは「堅実な車」、イタリアでは「セクシーで高級」という売り込み方をしており、地域に特化した広告が出せない。そして20世紀半ばまで「国民統合の象徴」として機能してきた放送はいま、多様化が急速に進む世界にどう対応していくのか。メディアがナチス政権に利用された反省を踏まえて、放送に関する規制や行政がすべて州ごとに行われているドイツの取り組みを例示し、公共放送に求められる多様性を提示する。

ヨーロッパ統合の波の中で「メディアは文化か産業か」という議論が続くヨーロッパ各国の放送界の挑戦は、その激動の現場の「証人」だった河村さんにしか書けないエピソードも織り込まれて読み応えがある。欧米や日本の放送に関する法律の記述も充実していて参考図書としても活用できる。河村さんは、放送局で働く人や大学でメディアを学ぶ学生に、テレビやラジオといった身近なメディアの背景や経緯を理解してほしいとの願いから本書をまとめたとあとがきに綴っている。本書の端々から、放送とくに公共放送に身を置いた者の責任感と使命感が読み取れる。

上記の書評が掲載されている『週刊NY生活』のページはこちらです。

カテゴリー: お知らせ タグ: パーマリンク