川島慶子(科学史): フランス語から見えてくる世界

フランス語から見えてくる世界

川島慶子(科学史、名古屋工業大学准教授)

 

かわしま けいこ 1959年神戸市生まれ。京都大学理学部地球物理学科卒業。東京大学大学院理学系研究科(科学史・科学基礎論専攻)博士課程単位取得退学。1989年より 2年間、パリの高等社会科学学院留学(DEA取得)。1992年4月より名古屋工業大学講師。同助教授を経て2007年4月より同准教授。
専門は科学史。特に、18世紀を中心とするフランスの科学史を、ジェンダーの視点も取り入れつつ研究している。著書に『エミリー・デュ・シャトレとマ リー・ラヴワジエ――18世紀フランスのジェンダーと科学』、東京大学出版会、2005年(女性史青山なを賞受賞)。『マリー・キュリーの挑戦――科学・ ジェンダー・戦争――』、トランスビュー社、2010年。2010年11月、学術研究に与えられる第36回山崎賞を受賞。HP:http://www.ne.jp/asahi/kaeru/kawashima/index.html
(写真はブルターニュ地方、サン・マロ Saint-Malo 近郊の海岸にて)

 

徳川美術館の刀-フランス人リケジョの目線

“genre (ジャンル)” が市民権を得た日

フランス語のすすめ


徳川美術館の刀-フランス人リケジョの目線

今年(2014年)の2月にフランスから研究者の友人を招聘した。長らく高校(リセ)の物理の先生をしながら科学史を研究していた女性で、現在は定年退職して、パリ大学オルセー校理学部の科学史研究室の研究員をしている。

ちなみにフランスでは、定年退職した学者が、そのままその大学なり他の研究所の研究員をしているケースをよく見かける。しかも国公立の組織で、である。日本でも長々と大学の先生をしている人がいるが、それは私立の大学に限られており、公的な組織ではまずありえない。私自身が国立大学法人(名古屋工業大学)の教員なので、フランスのこの現象がずっと不思議だった。それで、あるとき、この友人と、もう一人の70歳代の天文学者の友人(パリ天文台に毎日出勤している)にこの現象について聞いてみた。そうしたら、「もちろん給与はもらっていない。現在は年金で暮らしている。ただ、大学や天文台に自由に出入りできて、そこの図書やコンピュータを使用でき、多少の予算がもらえる」とのことだった。「なるほどね」ということで、納得したのだが、同時になかなか粋なはからいだと思った。

というのも、天文台など特にそうだが、こうした場所は研究所であると同時に、博物館的な役割も持っている。しかし現役の研究者は忙しい。そこで、知識もあり、元気な退職者が、一般開放日などに見学者との交流を受け持てば、情報も正確だし、若手の研究者はその分自分の研究時間がとれる。超高齢化社会になりつつある日本でも、このような「退職学者の有効活用」を図ると一石二鳥になっていいのでは、と思った。

話を日本招聘にもどすと、この友人は若いころから、三島由紀夫や川端康成の小説に親しんでいたので(フランスでは、日本人が考えるよりずっとたくさんの日本文学が仏訳されて読まれている)、あらゆることに興味津々だった。日本を去るときに「何が一番印象的だったか」と聞いたら、「料理」という返事が返ってきた。フランス人に「料理」と言われると、日本人としてはなかなかうれしい気分になる。和食がユネスコの無形文化遺産になったのも、単なるキャンペーンのうまさだけではないだろう。「健康的で、見た目もきれいで、素材の味をちゃんと残していて、しかもおいしい。色々なものが一度に食べられるのもすごくうれしい」というのが彼女の感想である。

この感想には、京都でおばんざいのバイキングレストランに行ったことも影響しているのだろう。しかしバイキングでなくとも、日本のレストランでは色々な種類の料理を少しずつ食べることはそんなに難しくはない。これはフランス料理にはない和食の魅力だろう。「フランス料理は付け合わせがたいてい一種類で、しかも量が多すぎる」とは彼女の弁だが、私も同感である。フランスでは「ああ、肉料理の横についているこのジャガイモの量が半分で、残りがほうれん草か何か別のものだったらいいのに」とレストランでよく思う。私はフランスの野菜が大好きだが、それでも同じものだけ多量にあると飽きるので、「この材料で日本風に盛り付けたい」と思ってしまう。

では私は彼女の滞在で何が印象的だったか、というと、彼女のものの見方であった。それも、フランス人としてというよりも、理科系の人として見学している態度に、である。一番思いがけなかったのは、徳川美術館に対する感想だった。ちょうど恒例の「徳川家のひな祭り」展をやっていたので、英語のできる学生に頼んで案内してもらった。もちろん彼女は、あの、繊細で優雅なお雛様やミニアチュールの家具に大感激していたが、これは別に驚くことではない。外国人でも日本人でも感激する。びっくりしたのは、「なぜあそこに展示してある刀には汚れがまったくないのか」と言ったことである。彼女曰く「あの刀が本当に何百年も前のものなら、普通なら内部に腐食が生じているので、どんなに研磨してもここまで完璧に光ったりしない。ヨーロッパの博物館では、この時代のもので、ここまできれいな刀の刃を見たことがない。この刀の成分はどうなっているのか。単なる鉄ではないはず」。

徳川美術館には何人もの外国人をつれていったが、こんな感想ははじめてだった。そして私は、これは理系、それも技術系の人の発想だ、と思った。と同時に、彼女がもともとは教員ではなく、エンジニアになりたかった女性であったということを思い出したのである。

この人は1947年の生まれで、日本風に言えば団塊の世代である。大学生のときに五月革命を経験している。つまりそれまでは、伝統的なフランスの価値観の中で生活してきた女性だ。エンジニアという彼女の夢は、この「伝統」の中で頓挫させられたのである。以前、彼女がその時のことを話してくれたことがある。「今でも忘れられない。高校のときに進路指導の時間があったのだけど、私が『エンジニアになりたい』と言ったら、指導官(当時のフランスでは、教員ではなく別の人間がこの任に当たる)が ”Mademoiselle, vous n’y pensez pas.(マドモアゼル、そんなことを考えるものではありません。)” と、なんとも言えない口調で私に言ったの。問答無用だった。だから私は少しでもそれに近い職を、ということで高校の物理の教師になったの。」同世代の日本女性も似たりよったりだったろう。実に日本では、この時代と比較すると、2014年現在、工学部に所属する女子学生数は100倍を超えている。少子化少子化だと騒がれるのに、である。リケジョなどという言葉が流行るなど、この世代の女性たちには信じられない現象だろう。

フランスでは今年の1月、国民議会でパリテ(平等)法が成立し、社会のあらゆる分野において男女を同数にすることが国家的使命となった。じっさい、パリ市長も女性だし(女性の東京都知事を想像できるだろうか?)、そもそも今回の選挙においては、与党だろうが野党だろうが、有力候補は全員女性だった。この国では、結婚にしても、もはや相手が異性である必要もない。

彼女がもしも今の若いフランス人の女の子だったら、間違いなく工学部に進学してエンジニアになるんだろうに、と思った。ただ、そうなると科学史研究者の私との接点がなくなってしまうかもしれないが。こういうときも「セ・ラ・ヴィ」 と言うのだろうか。ともかくも、今度徳川美術館に行ったら問題の刀を見て、日本の伝統技術の高さに感動してみようか、と思った出来事であった。(2014年5月3日)


“genre” が市民権を得た日

2013年の夏にフランスの本屋から Emilie Du Châtelet et Marie-Anne Lavoisier : science et genre au XVIIIe siècle (Honoré Champion, Paris) という本を出した。これは原題を『エミリー・デュ・シャトレとマリー・ラヴワジエ、18世紀フランスのジェンダーと科学』といい、東大出版会から2010年に出した拙書の仏訳である。さて、ここで「ジェンダー」という言葉がどう訳されているかというと、genre (ジャンル) で、要するに英語の gender をそのままフランス語にしただけである。これを読んでいる人の大部分は、だからなんだというところだろう。しかし、30年ばかりフランスの研究をしている私としては、この訳語には特別の感情を持ってしまうのである。

もともと言語上の性を意味するジェンダーという言葉を、生物学的性差とは違う社会的・文化的性差を意味する言葉として最初に使用したのは、英語圏の研究者である。日本ではそれをそのまま「ジェンダー」と記し、適宜説明をつけてきた。しかしフランス語圏、特にフランス本国では、フェミニストたちですら、長いことこの用語を使わずに論文を書いてきたのである。

したがって、フランス語で書く場合、私は genre が使えなかった。「sexe でいいでしょう」「inégalité des sexes とかすれば」などなど、フランス人から忠告を受けつつ、なんとか自分の主張をフランス語にしてきたのである。正直不便だった。「フランス語が英語に侵食される」というところに、プライドの高いフランス人としては抵抗があるのだろうなあ、とか考えたりして妥協点を探ってきた。

ところが、いつの頃からか、フランスの本屋に「Genre」というコーナーができるようになった。もちろん「ジェンダー本」のコーナーである。いったん使い始めたら、さしものフランス人もその便利さに味をしめたに違いない。かくして私の本のタイトルも、そのまま genre として世に出ることになった。この本にはフランスを代表するフェミニスト哲学者、Élisabeth Badinter が序文を寄せてくれ、彼女は私の研究がアメリカのジェンダー研究と関係していることを明言している。

味をしめると言えば、メールの普及もフランス語のスタイルを変えはじめている。アメリカのスタイルが明らかにフランス語の書き言葉の中に侵入している。それも「言葉の侵入」という形ではなく、「フランス語の簡素化」という形で影響されている。我々外国人にはありがたい。わかりやすく、簡単で短い文章が増えている。フランス人にとってもラクだろう。

けれど私は、この事態に少しばかり複雑な気分になってしまう。それは、今までのフランス語での苦労は何だったのか、という怒りではない。この気持ちは、日本の地方都市がみんな同じようになってきたことにがっかりする気持ちとどこか似ている。

どこに行っても同じというのは、確かにとてもラクなのだけれど、変化がなくなると面白味もなくなる。「ジェンダーなんてアメリカ的な表現は使わない」「フランスの書き言葉は、断固フランス的であるべき」という意見に全面賛成ではない。けれど、みんなおんなじではつまらない。こうしたバランスはとても難しい。かくして私は、自分の本に genre という言葉が堂々と印刷されているを見て、うれしいのか残念なのかよくわからない今日この頃なのである。(2013年10月1日)