メディアとフランス
河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)
かわむら まさたか 専門分野はメディア論、メディアを通して見るアメリカ、ヨーロッパ社会論。 1975年 NHK入局。報道局、NHKエンタープライズ、国際メディアコーポレーション(ロンドン・ニューヨーク)などで、スペシャル番組や国際共同制作、放送の海外発信を担当。2010年から国際言語文化研究科メディアプロフェッショナルコース教授。 著書に『端倪すべからざる国~メディア・ウォッチャー、フランスを見る』(2016)(本HPでの連載を基にした出版)、『テレビは国境を越えたか~ヨーロッパ統合と放送』(2014)、『放送が作ったアメリカ』(2011年)、『国家が溶けていく~「多民族国家」フランスの苦悩』(1999年)、『揺れる歴史の振り子~ヨーロッパ 戦前・戦中・戦後』(1998年)、『フランスという幻想~共和国の名の下に』(1996年)、など。 個人サイトはこちら。
シリーズ:メディアとフランス
「メディアとフランス」、お世話になりました (2017.3.10)
放送を規制・監理する機関のあり方(日米仏)(2017.2.23)
外国語の力が急低下する時、急上昇する時 (2017.1.23)
日本における「左」と「右」の流動性 (2016.11.21)
フランスの政治における「左」と「右」 (2016.5.19)
寛容は非寛容に対しても寛容であるべきか (2015.10.20)
9 割はパッと見てわかるようにならなければ・・・ (2015.9.20)
フランス人人質殺害事件、仏のイスラム社会に衝撃 (2015.1.20)
クリスマスカードを手にして思ったこと (2014.12.20)
radio périphérique という放送局 (2014.4.20)
フランスは資本主義と相性が良くない? (2013.8.20)
統合をめぐるフランスとドイツの微妙な関係 (2013.7.25)
フランス語のすすめ 違った世界地図が見えてくる (2012.8.8)
私のようなフランス語の素人が「フランス語のすすめ」の文章を寄せる資格があるとは思われない。自分が真面目にフランス語に取り組んだのは1990年代初め、ロンドンで放送関係の仕事をしていた時で、毎月何回かはフランスで取材や交渉の仕事があった。放送関係の世界は比較的英語が通じやすいとは言っても、それにばかり頼っていては埒が明かないので、学生時代の第3外国語を勉強し直すことにした。以来、日本でもニューヨークでもフランスの活字メディアに接し続けている。 「フランスの新聞や雑誌を読み続けている」という話をすると、必ずといっていいくらい返ってくるのは、「フランスが好きなんですね」という反応だ。その言葉を聞くたび、日本人のフランス観は明治以来百年を優に超えた今も、「芸術の国、ファッションの国、グルメの国」ということで全く変わっていないのだなと思う。 「フランスにフランス人がいなければどんなに素晴らしい国だろう」とまでは思わないが、私はフランスという国はそんなに好きではない。過度なまでの自国中心主義や大国意識、第二次大戦の敗戦国でいながら、いつの間にか戦勝国のような顔をしているところ、植民地に関する歴史的な問題など、フランスを心から好きになれないと感じる点は少なくない。 では、どうして私はフランス語を学び続けているのだろうか。それはフランス語を勉強することで、我々が日頃接しているのとは違った世界地図が見えてくるように思うからだ。ルモンド紙には、アフリカの旧植民地や中東のレバノン、アメリカ圏ならハイチといった、歴史的にフランスやフランス語に関係の深い地域に関する記事が非常に多い。アメリカ合衆国の重要な政策決定よりマダガスカルの政争の方がずっと大きく扱われていることだって珍しくない。そうした紙面を眺めながらフランス人の頭の中を想像してみる。フランス語の勉強にはそんな楽しみもある。 21世紀になって10年以上たった今も、新聞や雑誌には大戦中のレジスタンスや対独協力者に関する記事が大きく掲載される。レジスタンスの闘士が亡くなった時の死亡記事など、特に大きな扱いだ。それらの記事を読むたび、フランス人の「フランスはアメリカのみによって解放されたんじゃないんだぞ」という主張を再確認させられる気がする。 ヨーロッパの歴史は、基本的にイギリスとフランスの間の覇権争いだったと言ってよいだろうが、フランスのメディアに現われる、アングロ・サクソンに対する複雑で微妙な感情も興味深い。 国民国家の祖国・フランスが抱える、宗教や人種や民族や格差をめぐる様々な問題を知ることも、明日の日本を考える上できわめて有益だ。日本人だったら、上のどのひとつの問題に直面しただけでもパニくってしまうであろうところを、フランス人たちは平然と(?)それに立ち向かおうとしている。好きかと言われればさして好きではないが、フランスとフランス人が端倪すべからざる存在であることは誰も否定できないだろう。そんなことを思いながら、毎週フランスから届く新聞を、溜息をつきながら開封している。