河村雅隆: 統合をめぐるフランスとドイツの微妙な関係

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

ギリシャやキプロスの経済危機をきっかけに、このところヨーロッパでは、これまでの一体化、統合の流れとは逆行する動きが目立って来ている。

そもそも戦後ヨーロッパの政治の流れは、第二次大戦の惨禍を教訓として統合をスピーディーに推進していこうという動きと、伝統的な国民国家、主権国 家の枠組みを維持しながら、徐々に一体化を進めようという考え方との対立の歴史だったと言えるだろう。両者の考え方の相違は長年解消せず、統合は決して一 直線では進展しなかった。一体化の動きは前に進んだかと思うとまた後退するといった過程を繰り返した。ヨーロッパには単一の国家のような中央政府は存在し なかったから、例えばEUの執行機関である欧州委員会と、議会である欧州議会の動きが矛盾するなどといったことも珍しいことではなかったのである。

そうしたことは、放送行政の分野を見れば最も明らかだろう。現在のヨーロッパの放送の世界では、国境というものがなくなっており、EUの加盟国はい ずれの加盟国から発せられた放送を無条件で自国でも見られるようにしなければならない(つまり受け入れなければならない)ことになっている。それを規定し たのは欧州委員会が1989年に定めた「国境なきテレビ指令」である。しかしこの指令が出された後も、欧州議会は各国の放送が国や地域の独自性を追求する ことを求める決議を採択している。議会は放送というものに、何よりも多様性を求めたのであり、欧州議会は「国境なきテレビ指令」とはかなりニュアンスの 違った政策を求めてきたということが出来る。このように、欧州委員会と他の機関が摩擦を起こすということも決して珍しくなかったのである。

そもそも、ヨーロッパやアメリカの政治や社会においては、「摩擦」というものは決して否定的にとらえられていない。物事を進めていく上で摩擦が生じ るのは、この世の中に多くの人間や組織が存在している以上当然のことだし、摩擦というものがあることによって少数が暴走して事を進めてしまうということが なくなる・・・。そうした考え方が欧米にはまちがいなく存在しているのである。そのことは有名な三権分立という考え方を見れば明らかだろう。立法、行政、 司法をそれぞれ相互に監視させることによって、特定の権力が強大になるのを抑制するという考え方は、まさに摩擦というものを肯定的にとらえている。戦後の ヨーロッパにおいて統合が一直線で進んできた訳ではないというのも、摩擦というものを決して否定的にとらえないという考え方の反映だったように、私には思 える。

しかし、そう考える私にとっても、最近のヨーロッパの動きを見ていると、ちょっとこれは・・・と感じさせられることが少なくない。

4月フランスの新聞・ルモンドのインタビューの中で、国民議会(下院)の議長であるバルトローン氏が、南ヨーロッパの国の経済危機に対する仏独の姿 勢の違いを取り上げて、「ドイツとの対決」を呼び掛けるという事件があった。バルトローン議長の主張は、「緊縮財政一本やりで欧州経済の再建を進めようと するドイツの姿勢は、ヨーロッパ全体の利益には決してつながらない」という点にあった。後に氏は、「ドイツに対し政策の変更を迫るために confrontationという言葉を用いたのであって、仏独がこれまでともに行ってきた施策を否定するつもりはない」と釈明したが、国会議長という要 職にある人が、他国に対しそのような表現で発言を行ったことはヨーロッパの各国に大きな衝撃を与えた。

バルトローン議長は与党社会党の出身で、社会党は同じ4月に欧州問題に関する文書というものを発表していた。実はこの社会党の文書にも、基本的にバ ルトローン氏の発言と同様の考え方が表明されていた。そこには「ドイツとの民主的対決」というものの必要性が掲げられていたのである。しかもこの文書は草 案段階ではもっと遥かに過激な内容で、そこにはドイツのメルケル首相の「自己中心的な非妥協性」を非難する文言が含まれていたと言われている。最終的に発 表された内容は違っていたとしても、こうした内容が与党の作成する文書の中に含まれていたというのは驚くべきことだろう。

フランスのオランド大統領自身、3月末の発言の中で、「メルケル首相との間で友好的緊張」を維持すると述べているが、与党社会党の文書やバルトロー ン議長の発言は、それよりさらに踏み込んだ内容になっている。こうした社会党や大統領の文書や発言については、フランス国内の経済不振の問題から国民の目 を外国にそらそうとしているのだ、「身代わりの生贄のヤギ」を作り出そうとしているのだという批判も出ている。

一方、ドイツはと言えば、「ギリシャや南欧の国々のためにどこまで金をつぎ込めばいいのか」という声が高まっている。ヨーロッパの一体化のために、 ドイツはマルクという欧州、いや世界最強だった通貨を放棄してまで、欧州の統合にコミットした。その結果がこのザマか、という不満が高まっているのであ る。「いくらギリシャやキプロスに金をつぎ込んだところで、彼等が自分たちのように働くようになるわけではない」という覚めた思いが、ドイツ国内では高 まっているように見える。ギリシャでは多くの人々が緊縮財政によって福祉や各種の給付が削られることに抗議の声を挙げ続けているが、そうした動きを伝える ドイツ発の記事を見ていると、「よその国に支えてもらっているくせに、主張するところだけはよく主張するな」といった、冷ややかな目線を感じることもあ る。

ドイツ国内のそういった反応は、いわば「想定の範囲内」のことと言っていいだろうが、最近のフランスの動きを見ていると、ヨーロッパの一体化の動き をめぐってこれまでとは違った流れが生じているのではないかという気はする。フランスとドイツはヨーロッパの統合の推進にあたって、文字通り機関車として の役割を果たしてきた国である。そして言うまでもなく大国である。このふたつの国の関係がどうなっていくのかは、21世紀のヨーロッパと世界のこれからに 重大な影響を与える問題である。この秋に予定されているドイツの総選挙では、南ヨーロッパの国々への財政支援や、対EUの政策が大きな問題になるだろう。 フランスとドイツをめぐるヨーロッパの動きを注視していきたいと思う。

 

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