河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)
フランスの新聞を見ていてよく目に留まるのは、「50年前、100年前の今日は」といった類のコラムや記事である。そうした欄がフランスだけでなくヨーロッパの新聞や雑誌に少なくないのは、「この日にはこんなことがあった」と回顧するためだけではないだろう。「現在という時間と社会はそれを成り立たせている要因によって成り立っている」という考え方が社会とメディアの中に浸透しているからだ、と私は思う。日本の新聞人は「活字メディアにはテレビと違って、読者に取材の継続性やこれまでの蓄積を提示できる強みがある」と言うけれど、現実の紙面はそうした長所を十二分に発揮したものとはなっていないようである。
「何十年前フランスでは」といった記事のテーマとして頻繁に取り上げられるのは、第二次大戦中の事柄、特にレジスタンスの活動に関する事柄である。その活動に参加していた超高齢の人物が亡くなった時、新聞は大きな紙面を割いてそれを報じるのが常である。最近では、フランスの偉人たちを祀る霊廟・パンテオンに、レジスタンスの活動家、男女2人ずつの名が加えられたことが大きなニュースとなり、彼等が大戦中に行った活動が詳細に紹介された。
パンテオンに祀られるということはフランス最高の栄誉であり、そこにはヴォルテール、ルソー、ゾラ、ユーゴー、キュリー夫人といった偉人たちがキラ星のように名を連ねている。そこに新たに4人の名前が加えられたのである。そしてそれらの人たちが、これまで一般にはあまり知名度の高くなかった人たちであったことに、驚きを示す人たちも少なくなかった。
ところで、第二次世界大戦をめぐるフランスの立場というのは非常に微妙である。フランスは第二次世界大戦において、実際はドイツに完敗した敗戦国だった。しかし今、フランス人たちの頭の中には、そんな記憶は全くと言っていいくらい残っていないように見える。普通のフランス人たちの記憶に鮮やかなのは、フランスが最後には解放され、敵は国外に駆逐されていったということだけのようである。
そして、フランスの解放ということに関し彼等が常に強調するのは、フランス人自らが組織したレジスタンスの運動が解放の過程で大きな役割を果たした、という点である。もちろん、大西洋をわたってやってきたアメリカの軍事力が決定的だったことは彼等も否定しえない。しかし同時にフランス人の多くは、外からの力と国の内からのレジスタンスの決起が合わさって、はじめて親独ヴィシー政権の打倒と侵略者ドイツの撃退は可能になった、と考えるのである。パリ市内のあちこちにはレジスタンスの中で亡くなった犠牲者を悼むプレートが掲げられているが、それらはフランス人たちの「内からの決起があってフランスは初めて解放された」という自己主張を強烈に示している。
レジスタンスの運動を語り継ぐフランス人たちの情熱には一方ならぬものがある。レジスタンスの運動こそ、フランス人が勇気と美徳を最大限発揮した場であり、国民はドイツの占領下にあっても愛国心に燃えて解放の日を待ったと説くのである。そして、戦闘に参加しなかった人間も「受動的抵抗」を行い、最後には全員が運動に結集して祖国のために立ち上がったとされてきたのである。そうした視点から、フランスでは戦後多くの小説や映画がレジスタンスの運動を取り上げ、レジスタンスはいわば国民的な神話にまで高められた。そこではcollabo(対独協力者)の存在は、レジスタンスの闘士の活動ほど取り上げられることはなかったのである。
戦後のフランスにおいては、戦時中レジスタンスの活動に参加してドイツ軍と戦った行為は大きな尊敬の対象となった。レジスタンス時代の活動に対する評価を足掛かりに、戦後、政界に入っていった人たちはきわめて多かったのである。そうした政治家の代表は、大統領を二期14年の長きにわたって務めた故ミッテラン大統領だろう。
このように第二次大戦中、どんな抵抗運動をしたかということが重大な価値判断の基準となってきた以上、何十年も前の出来事は今も読者にとって大きな関心事であり続けているのだろう。淡白な日本人としては、戦争終結から70年近くたった今も、その時代にこれだけのエネルギーを注ぐ執着力に圧倒されるような気がする。
今回、レジスタンスの活動家4人があらたにパンテオンの霊廟に祀られることになったことについては、「フランスという国を守ろうと人々が団結した、あの時代のことを思い起こそう」という国の意志が明らかに感じられた。4人の人物を最終的に選んだのは国家元首であるオランド大統領だが、彼の行った人選をある歴史家は次のように評している。
「今やレジスタンスの時代とは、フランス人が国民的な団結を確認できる唯一の時代になってしまった」
この発言はどういうことを意味しているのだろうか。
近年、フランスの社会では多様化がますます進行している。フランス革命に端を発して確立した「国民国家」とは、本来、ひとりひとりの国民が民族や宗教、人種、階級、性別などといった既存の「属性」を捨象し、ただ一個のナシオンとなって直接国家を構成する体制のことだった。一方国家の側から見れば、国家とはひとりひとりの国民を護ることを約束する存在であり、国民と国家の間には社会契約という強い結びつきがあったのである。革命の後、共和派の人々がフランス国民のことをune et inseparable nation(ひとつにして不可分のナシオン)と呼んだのは、そのような意味においてだった。
しかし20世紀の後半以降、フランスの社会は大きく姿を変えた。今や国内には、既存の属性を放棄しようとしない小さな集団が数多く存在するようになった。国外から流入し続ける移民や、国内で深刻化する格差の問題が、フランス社会の中に数多くの小集団を産み出し、それらの存在は固定化しつつある。そのことは国民国家という体制を脅かしかねない重大な問題となっている。
上に紹介した歴史家の言葉は、フランス社会が現在直面している危機感の大きさを物語っているだろう。そして、現在フランスで進行している問題とそれに取り組んでいる姿は、まさに明日の日本の自分自身の課題でもある。