河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)
インターネットなどを通して送られてくるヨーロッパのテレビを見ていて気がつくのは、アフリカや中東から海を渡って欧州に押し寄せる移民や難民に関するニュースが非常に多くなっているということである。ヨーロッパの公共放送各局が出資し、放送・配信している「ユーロニュース」は、それこそ毎日のようにこの問題を取り上げている。
難民が漂着することがいちばん多いのは、アフリカ大陸にあい対しているイタリアの南部だが、イタリアと同じように地中海に面しているフランスもこの問題には敏感で、新聞もイタリアと危機感を共有するかたちで、南欧における難民流入の動きを大きな紙面を割いて伝えている。難民をめぐる問題が現代のヨーロッパの社会にとって、きわめて大きな事柄となっていることは明らかである。
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地中海をはさんでリビア、チュニジアなどと向き合っているイタリアには、このところボートなどに乗ってアフリカ大陸から流れ着く、いわゆる難民の数が激増している。当局の発表によれば、イタリアには今年初めから8月上旬までの間だけで89,973人という数の人々が漂着した。この数は2013年1年間の難民の数を既に大きく上回っており、当局は今年末までにはその数は10万人を超えるだろうと予想している。また、イタリアの沿岸警備隊が難民たちを救助するために出動した回数も300回以上というのだから、1日に一回以上は、難民を海から救い上げた勘定になる。漂着する前に命を落としてしまった人の数を合わせたら、難民の数はさらに多くなるに違いない。
激増する難民流出を背景に、北アフリカや、エリトリア、ソマリアなどの東アフリカでは、ヨーロッパへの脱出をあっせんする仲介業者の数も急増している。高い金を受け取った彼等は難民をボートや貨物船の船倉に押し込め、ヨーロッパの海岸に送り込んでくる。貨物室に隠れるかたちで海を渡ってきた人の中には、熱気と酸素不足などから、上陸前に命を落とす者も少なくない。欧州の港に着いた船の貨物室から難民たちの遺体が発見されたというニュースは、それこそ日常茶飯事のようにヨーロッパのテレビに登場する。
最近では仲介業者の作戦も巧妙さを増しており、アフリカ北岸から難民をボートで送り出す際、彼等に衛星電話を持たせておき、イタリアの領海に近づいた頃、自分の方から、あらかじめ教えておいた沿岸警備隊の番号に電話させる業者まで現われている。つまり、助けてくれと自分の方から連絡させるのである。事態はそこまでエスカレートしている。このように難民流入の勢いは留まるところを知らず、欧州の抱くこの問題に対する危機感は、日本では想像のできないくらい大きなものとなっている。
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ここまで私は「難民」という言葉を使ってきたが、ヨーロッパ大陸の南岸に漂着してくる人たちを「難民」という言葉でひとくくりにすることには、問題があるかもしれない。元々難民とは戦争、民族紛争、宗教的な迫害、思想的な弾圧、政治的な迫害、経済的な困窮、自然災害、飢餓、伝染病などによって、元々自分たちの住んでいた地域を逃れたり追い出されたりした人たちのことを広く意味しているが、国際条約による定義ではそのうち、人種や宗教、政治的思想により、居住する地域の政府などによって迫害される恐れから国外に逃れた人々のことを「難民」と定めている。これが狭義の難民、いわゆる「政治難民」である。
しかし最近では政治的な理由だけでなく、経済的な原因で故郷を離れる人たちも目立っている。政治的な理由と経済的な問題が結びついている場合も、もちろん少なくない。ヨーロッパに密航してくる人たちの多くは、狭義の難民とはやや性格を異にする「経済難民」と呼びうる存在かもしれないが、ここではそういう人たちを含めて「難民」という言葉を使っていくことにしよう。
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さて、粗末な小舟に乗ってやってきた北アフリカなどからの難民の多くがまず辿りつくのは、イタリア南部の島や海岸である。その数はあまりに多く、イタリア政府や自治体は最近では彼等の上陸を、もはやコントロールできない状態に陥っている。つまり勝手に上陸してしまうケースが多く発生している。これまで、国家とは国境によって厳しく規定され、国と国、国民と国民の間にははっきりした線が引かれていたのだが、その壁が確実に溶解しつつあるのである。
イタリア南部への上陸に成功した人たちの多くは、イタリア半島を北へ目指す。もちろん南部で農場や果樹園などで不法に働き始める人間もいるが、農場などは不法に入国した人を雇うことに強い警戒感を持っており、難民たちの多くは首都のローマをめざすと言われている。
先日、ヨーロッパのテレビを見ていたら、ローマ市内の老朽化し、無人のまま放置されていた高層住宅が、首都に流入してきた難民たちによって勝手に占拠されている事態をリポートしていた。この高層住宅はヨーロッパをめざしている北アフリカの人たちの間で有名になっており、彼等の間では「そこに行けばリビアやチュニジアなどから脱出した同胞と会える。そして、そうした人たちが後からやってきた人間を助けてくれる」という噂が飛び交っているのだという。
難民の中にはイタリア国内をさらに北上して、隣接する国々へ行こうと思う人たちも少なくない。その一方で、かなりの人間はローマやイタリア国内に留まろうと考えている。その理由は、EU加盟国の間には「ダブリン規則」と呼ばれる取り決めが存在しているからである。この規則によれば、難民としての正式の認定を受けたいと考える人間は、最初に入国したEU加盟国に対して申請を行わなければならない。つまり、北上して行き、仮にイタリア以外の国に入国できたとしても、彼等は2番目以降入国した国に対しては、難民認定の申請をすることが出来ない。この規定によって、難民が最初に入国した国(その多くはイタリア、スペイン、マルタなどの国々だが)に留まるケースが多く、それが地中海沿岸の諸国に大きな負担をもたらしているのである。
ローマ市内の老朽化した住宅を勝手に占拠して暮らしている人たちに対し、イタリアの政府や自治体は、彼等を拘束するという手段も取れないと同時に、劣悪な住宅環境や衛生環境の下に人々を放置しておくこともできないという、難しい立場に追い込まれている。
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難民への対応という問題を難しくしているのは、言うまでもなくヨーロッパ経済の不振という状況である。流入してきた難民のために最低限の住宅環境や衛生環境を整えるには、大変な金が掛かる。経済の不振が続く中、南ヨーロッパの政府や自治体にとって、それはきわめて大きな負担である。また、納税者や有権者がそうした支出に納得してくれるかという問題もある。先に行われた欧州議会の選挙で、ヨーロッパ各国において、移民や難民の排斥を訴える極右政党が大きく議席を伸ばしたことは、我々の記憶に新しいところである。
そうした事情を背景に、現在、難民たちに対する援助は、行政当局よりむしろ慈善団体やボランティアの手によって行われている。難民を支援する団体は、日常生活に欠かせない用品の提供を市民に呼び掛け、集まった品物を難民に配布している。医師たちのボランティ活動も始まっている。しかし、個人や団体による支援には限界があると同時に、そうした支援が難民たちを地域に留めてしまっている、という批判も現われている。
難民をめぐるヨーロッパのテレビや新聞の報道を見ていると、この問題がどんどん深刻さを増していると同時に、誰ひとり抜本的な解決策を見出せていない、ということを痛感する。究極的にこの問題を解決するには、アフリカや中東地域など、難民を送り出している国々を安定させ、その地域で経済と雇用を確保するしかないことは明らかだが、そういったことが実現するまでに一体何年かかるかは誰にもわからない。
中期的な解決策としては、欧州にやってきた難民が仕事の場を得られるように、彼等に職業訓練の機会を与えるべきだという意見も聞かれるが、そうした考えは、ただでさえ厳しいヨーロッパの雇用情勢をさらに悪化させるだけだという声にかき消されがちである。そうした中、イタリア南部の海岸には北アフリカからの難民を乗せたボートが今日も到着している。