河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)
現在、教養教育院で、全学の先生方が参加して行うオムニバス形式の授業『文化事情(フランス)1』が開講中である。このHPのフロントページでも説明されているように、この講義は、名古屋大学からストラスブール大学に留学しようという学生を主な対象にしたもので、私もその中の「放送メディアとフランスの政治」という回を12月に担当することになっている。
昔ヨーロッパでメディアの仕事をしていただけの私がそんな授業を行おうというのは僭越至極だが、「やらないよりやった方がいいだろう」という気持から担当させていただくことにした。「教えるということは教える立場の自分がいちばん勉強になる」というのは、教壇に立つようになってしみじみ実感するようになったことである。
授業では、統合が進むヨーロッパ全体の中でフランスのメディアが置かれている立場や、アメリカや英国と比較してのフランスの放送の特徴といったことを話していきたいと考えている。それを通して、「芸術の国、ファッションの国、グルメの国」というだけではないフランスの一面を伝えられれば、と思う。
留学予定者を対象とする授業を担当することになって、思い出したひとつの言葉がある。第二次世界大戦後、アメリカは世界中から自国に多くの留学生を招き、またアメリカからも大勢の学生や研究者を世界に向けて送り出した。いわゆる「フルブライト計画」である。そのプランの生みの親、フルブライト上院議員の言葉である。彼は、巨費を投じて行う留学や交流の効果をいぶかしく思う人たちに向かって、こう語りかけた。
「学生の交換によって、直ちに国と国の間に愛情が生まれるなどとは思わない。そうしたことがこの計画の目的ではない。この計画が人間の共通の感情、すなわち『他の地域にも、我々と同じ喜びや痛み、残酷さや親切心を持ったひとりひとりの人間が暮らしている』ということを知ることにつながるなら、それだけで十分だ」
良き時代の大国の風格を感じさせる言葉ではなかろうか。曲がりなりにも豊かになった我々と我々の社会は、このような「幅」を持ち得ているだろうか。個人の幅は、間違いなく社会の幅につながっていく。フルブライトにならって、私も学生たちに「まあ気楽に行ってらっしゃい」と声を掛けようと思っている。そして彼等が、内向きと言われがちな名大生に刺激を与えてくれることを強く願っている。