河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)
外国に行く時、必ず持っていくものがふたつある。ひとつは世界史の年表。博物館などに行った日の晩、宿のベッドに寝っ転がって、年表を横に辿っていく。昼に見た文物のことを思い出しながら、それらが作られたのと同じ時期、世界の他の地域ではどんなことが展開していたのかを眺める。それは自分にとって至福の時間である。
もうひとつ携行するのは短波も聞けるラジオ。これは元々、短波の国際放送がどんな状況で受信されているのかを現地でチェックするためのものだったが、近年、国際放送はインターネット経由の配信が主流になって、わざわざラジオを持参して確認する意味は少なくなった。それでも持って行くのは、外国でその国の中波の放送を聞いていると、何となくそこで暮らしている人たちに近づけるような気がするからだ。
そうやって聞いていて、自分の知っている曲が流れてくると、何とも言えない気分になる。昔、向田邦子さんが、外国のホテルでクラシックの音楽が流れてくるのを耳にして、「ああ、自分が勉強してきたことは間違いじゃなかったんだ」と思った、と書いていた。私は向田さんよりずっと後の世代だが、その気持は分かるような気がする。こういった感じは、衛星放送やインターネットを通して流入する生の情報に日々接している今の若い人たちには理解できないだろう。
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どこの国のラジオを聞いても多いのは音楽番組である。音楽の間におしゃべりをはさむディスクジョッキーというスタイルなら制作費もそれほど掛からないからだろう、そうした形式の番組は非常に多い。
フランスのラジオもディスクジョッキー番組は多く、流れる曲の中には英語の歌詞による音楽や、イギリスやアメリカで作られたと思われる音楽も少なくない。ただ、ニューヨークなどでは英語以外で曲目を紹介し、流される音楽もことごとくエスニックというラジオ局がそれこそ無数にあるのに対し、フランスでは、音楽も紹介のコメントも全部フランス語というラジオは聞いたことがない。実はそうしたことの背景には、放送に関するひとつの規制が存在しているのである。
言うまでもなくフランスとはフランス語という言語を非常に重視し、誇りにしている国である。道を聞こうと英語で話し掛けたら、返事もしてくれなかったが、フランス語で声をかけた途端、たちまち笑顔が返ってきたなどという経験をした方は多いだろう。そうした傾向は昔より弱くなってきたとは言っても、フランス人の自国の言語へのこだわりは現在も強烈である。
しかし、今やフランスは国内に多くの民族、宗教、人種の人たちを抱えるようになった。国民国家の祖国フランスの悩みや問題については、以前このHPでも触れたが*、フランスは国内に様々な構成要素を抱えながらも、共通言語としてはフランス語をきわめて重視し、それを国民統合の象徴と見做してきた。大量に流入する英語に対する危機感も、もちろん大きかった。
* 『レジスタンス活動家のパンテオン顕彰』(2014.5.20) など
そうした国家意思と危機感を法律というかたちで固定したのが、1994年に成立したトゥーボン法である。当時の文化相ジャック・トゥーボンの名前を冠し、「フランス語使用法」とも呼ばれるこの法律は、フランス語の浄化、具体的には英語の使用をフランスの社会で極力少なくすることをめざしたものだった。これによってフランス国内で行われる国際会議、広告、交通機関の標識、金融などのサービス部門、製品の使用説明書、国内におけるテレビやラジオの放送、学会、デモ、レストランのメニュ-など、公共の性格を持った場では、フランス語の使用を原則として義務づけられた。いかにもフランス的なのは、デモの場においても(!)プラカードや幕の表示に関し、フランス語による表示を義務づけているという点である。ちなみにこの法律がトゥーボン法と呼ばれるようになった理由のひとつは、その音が Tout bon と同じだからということだったそうである。
このトゥーボン法はフランスの社会に非常に大きな影響を与えた。放送の世界では1996年、トゥーボン法の趣旨を受けるかたちで、フランス語の歌詞のついた音楽に特別な地位を与えようという政策が導入された。
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現行のフランスの放送法は第28条において、「ラジオ放送で、聴取率の高い時間帯(注:午前10時~午後10時とされる)に放送される番組のうち、ポピュラー音楽で構成された部分について、フランス語表現の音楽作品は最小限40パーセントに達しなければならない」と明記している。「クォータ規制」と呼ばれる制度だが、具体的にこれはどのように運用されているのだろうか。
フランスには、放送関係の規制・調整を行うCSA(視聴覚高等評議会)という、独立の行政機関(委員会)がある。全仏に1500以上あるラジオ局は、放送の15日前までに番組の編成表を、このCSAに提出しなければならない。CSAはこの表に基づき、音楽番組をモニターして放送された時間量を積算し、悪質な「クォータ規制」違反に対しては警告などを発し、規制を遵守するよう求めるのである。
この他、CSAはラジオ局の放送するフランス語のポピュラー音楽の50パーセント以上は、最新のプロダクションか、あるいは新人の歌手によって作られたものでなければならない、という独自のきまりも定めている。こうしたことから、CSAには、フランス人のアイデンティティと文化を守りたいというねらいとともに、国内の音楽産業を保護し育成しようとする意図があることは明らかだろう。現実に1990年代、クォータ規制の導入によって、フランスの音楽産業はCD販売におけるシェアを拡大し、息を吹き返したのである。
一方、ラジオ局はと言えば、フランス語音楽の割り当て制度に対し、長年にわたって反発し続けてきた。ラジオを聞く若者の多くは、アメリカなど最新の音楽を好むから、フランス語の音楽を強制的に割り当てる制度は、ラジオ局にとって営業妨害としか映らなかったのである。
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もっともこのクォータ制度は、その時々のCSAや政権の意向によって、運用の厳しさにかなり温度差があったと言われている。私はフランスの放送関係者から、過去において、CSA(視聴覚高等評議会)は必ずしも厳密なかたちでルールの適用を求めなかった時期もあった、という話を聞いたことがある。
サルコジ大統領の時代になるが、2011年、視聴覚高等評議会がクォータ制度の厳格な適用をラジオ局に対して、突然求めるという出来事があった。音楽産業は高等評議会のこの方針を支持したが、当然のことながらラジオ局は激しく反発した。主要なFMラジオ局は共同で声明を発表し、「高等評議会はラジオ局を過度に監督しようとしている」とその姿勢を強く批判し、あわせて音楽産業に対しても、「彼等は自分たちの利益のために規制を強化させようとしており、政界や視聴覚高等評議会に対して不正な働きかけを行っている」と激しい非難を加えた。
一方、ミュージシャンなど実演家で構成される団体の方も、新作の音楽をラジオ局が放送した実績を独自に調査し、発表した。それによれば、最近では新しくフランス国内で出された音楽がラジオで紹介される回数が、年々低下してきているというのである。
現在、クォータ規制について、フランス国内では目立った論争は起きていないようである。しかし、この問題はまたいつ何時再発するかもしれない。旅人にとっては楽しく聞かせてもらうだけのラジオだが、その背後には政界、経済界の様々な利害が渦を巻いているのである。