河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)
フランスの政治を見ていて分かりにくいのは、冷戦構造が崩壊した後になっても、「左派対右派」の対立という図式で国内の政治的な対立が説明されることが多い、ということである。日本にも似たような用語はあって、最近ではあまり見かけなくなったが、メディアは長い間、「保守対革新」などという表現をよく使っていた。しかし、そんな図式が現実を説明するために無力だということは、多くの人が承知していた。
ところがフランスの政治では、左派勢力というのは大きな現実的なパワーであって、右派の共和党などと常にぶつかり合ってきた。一例をあげれば、大統領選挙の第2回投票(決選投票)はほとんど例外なく、左派右派両陣営を代表する候補者同士の一騎打ちになってくるのである。
しかし、左派と言ってもそれを構成する人たちの経歴や性格は、日本の左翼とは大きく異なっている。たとえば社会党の長老、ジョスパン元首相などは、フランスきっての名門校、ENA(国立行政学院)の出身であって、外務省など中央官庁に勤めた経験を持っている。つまり高級公務員が左派陣営に加わったのである。しかし、彼の中においては左派的な思想を持つことと国家公務員であることの間には、何の矛盾も存在していなかったろう。
このようにフランスの政治においては、左対右という対立軸が長く存在してきた一方で、左と右の間には人材の共通性があるという、日本人には分かりにくい状況が長く続いたのである。
ただ、この左対右という図式がこのところとみにぼやけてきた。一段と分かりにくくなってきた。去年末の地域圏(州)議会選挙の第二回投票において、極右・国民戦線(FN)の進出を抑えるために、左派の社会党が自分たちの支持者に対し、右派の共和党への投票を呼び掛けたり、逆に右派の政党が左派の政党へ投票を要請したりしたことは、フランスの政治がFNの伸長を機に、その様を大きく変えつつあることを示している。このあたり、最近日本で共産党が次回の参議院選挙において、反安倍勢力の結集をめざして、自党の候補者を立てない可能性を示唆していることを想起させ、興味深い。
* * *
国民戦線研究の第一人者、パリ政治学院のパスカル・ペリノー教授によれば、上記のような動きは別に目新しいことではない。前回2007年の大統領選挙において、右派の候補だったニコラ・サルコジは左派の支持者から多くの票を獲得したし、一方左派・社会党の候補だったセゴレーヌ・ロワイヤルは右派の支持基盤に対し、積極的に働きかけを行った。たしかにロワイヤル氏は選挙戦において、国民戦線のように三色旗や国歌を多用し、その周りに支持者たちは終結し、「強い国家」というイメージを演出していた。
そうした動きを分析してペリノー教授が何より強調するのは、長年フランスの政治を特徴づけてきた「左か右か」という図式は、もはや意味をなさないこと、そしてその背景にあるのは急速に進行する社会の多様化だ、という点である。
2010年9月の数字になるが、フランスソワール紙の行った調査によれば、フランス人の62パーセントが「自分は左派か右派か、そのいずれかに属している」と回答する一方で、33パーセントの人間が「自分は左派でも右派でもない」と答えている。特に18歳から24歳までの若者では、52パーセントが「自分は左派でも右派でもない」と回答しているのである。今同じ調査を行ったら、この数字はもっとずっと高いだろう。
長年二極化されていたフランスの政治構造が大きく変わってきた原因として、ペリノー教授はふたつの理由を挙げていて、説得力がある。
理由のひとつは、1970年代の終わりから、欧州議会選挙、地域圏(州)議会選挙などで比例代表選挙の仕組みが導入されるようになったことである。その結果、政治の「比例化」が進み、それまでの「左か右か」という二極構造の下では政治の場から排除されていた国民戦線などが、直接、政治に参加するチャンスを手にしたのである。
ふたつ目の理由としては、1980年代以降から恒常化したコアビタシオン(保革共存政権)が、「左か右か」という図式をきわめて曖昧なものにした点が挙げられる。コアビタシオンとは現行の第5共和政において、所属勢力の異なる大統領と首相が共存する状況のことである。たとえば右派の政党の大統領と左派の政党の首相、あるいは左派の大統領と右派の首相という組み合わせをいう。1986年から88年までの左派ミッテラン大統領と右派シラク首相、1993年から95年までの左派ミッテラン大統領と右派バラデュール首相、1997年から2002年までの右派シラク大統領と左派ジョスパン首相がその例である。こうした保革共存という事態の日常化が、従来からの政治の二極化という性格を弱めていったのである。
来年、2017年、フランスでは大統領選挙が行われる。この選挙、特に第二回目の決選投票が、これまでのように「オール左派対オール右派」という形態を保ち、フランスの政治の枠組みが維持されるのか、それとも国民戦線(FN)とその伸長がこの図式を変えていくのか、フランスの政治は今、重大な選択肢を前にしている。
(参考文献)
Pascal Perrineau, Le Choix de Marianne 〔マリアンヌ〔=フランス〕の選択〕, Fayard, 2012, 序論および第一章