河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)
元々乏しい外国語の力がいちだんと落ちるのはどういった時だろうか。年齢? 元から低い水準にある所為か、私の場合は必ずしもそうではない。
これまで外国語を使って仕事をしてきた経験から言うと、バッテリーが落ちるように、急に言葉が聞き取れなくなったり出て来なくなったりするのは、次の三つの場合だった。眠い、暑い、腹ぺこ。この三つの条件が揃うと、我ながら悲しくなるくらい外国語の能力が低下した。昔、ロンドンにいた時、西アフリカのセネガルに取材と交渉の仕事で出張したことがあるが、ハードスケジュールと暑さでフランス語はおろか英語も出てこなくなってしまった。しかし屋外の仕事が終わって冷房の利いた建物の中に入ると、自分でも不思議なくらい、また言葉が口から飛び出してきた。
厳しい条件の中でも外国語を使う仕事ができるようになるには、過酷な環境下では頭脳が働かなくなることを見越して、頭の中にある蓄積を事前に少しでも大きくしておくしかないのだろう。
戸外の作業の場合、その場の気温や湿度を自分で調整することなどもちろんできないが、睡眠時間や腹具合なら自分で手当できる部分が大きいから、私は大事な交渉やインタビューに臨む前は、できるだけ睡眠時間を取り、腹に何かを入れておくようにしていた。すきっ腹だと、アルコールを勧められたりした場合、たちまち酒がまわってしまうからということもあった。
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逆にほんの短い間だけだが、「自分はこんなに外国語ができるのか」と感じさせてくれた時もある。放送局でニュース番組を担当していた時のことだが、放送が始まる直前か直後に、衛星経由で外国からの映像やインタビューが飛び込んでくることがしばしばあった。これはしびれる体験だった。番組のテーマ音楽はもう鳴り始めている。番組の後半にその映像素材を何としても突っ込まなければならない。
どこを使うのかを決めるその作業は「切り出し」と呼ばれていた。切り出した後は、使う部分にすぐに翻訳の字幕をつけたりコメントを書いたりしなければならなかった。これら一連の作業は、本当に心臓が胃袋から飛び出しそうな経験だった。私は切り出しが間に合わず、放送中の画面が真っ白になってしまう夢を今でも見ることがある。
幸い放送が出なかったことはなかった。私だけでなく、「切り出し」の作業を担当した人間が口を揃えて言っていたことだが、そうした修羅場になると、自分のリスニング力がぐんと伸びるような気がした。いつもだと何回も聞き直さなければ聞き取れない言葉や言い回しがすっと頭に入ってきて、「オレはこんなに外国語ができただろうか」と感じることがあった。スポーツでも同じことだろうが、集中力というものがいかに大事かということなのだろう。
しかし本番が終わってしまえば、そんな自信はかげろうのように消えてしまい、リスニングにはずっと悩まされ続けた。アメリカでは弁護士などと難しい交渉も行ったが、ただ彼等との議論は、何が問題になっているかという点は明らかだったし、相手からどんな選択肢が提示されそうかなどの予想も比較的立てやすく、話されている内容自体は高度でもリスニングはむしろ楽だった。
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悪夢のようなニュースの切り出し作業だったが、今にしてみると、私はそれを決して嫌いではなかったように思う。人は苦しいとか悲しいとかいった思いを最小にして生きていきたいと願うが、そうした感情がなくなってしまった時、人間は自分が生きているという生命感そのものも失ってしまうものかもしれない。ヨリ強い刺激を求めるのは人間の性なのだろう。自分の外国語の力がすごいレベルにあるような錯覚に陥らせてくれる一瞬には、麻薬のような魅力があった。
切羽詰まった状態で一瞬の恍惚を味わえるためには、普段から単語力など、自分の中にある蓄積を大きくしていくしかないのだろう。ラジオ講座『攻略!英語リスニング』の講師、柴原智幸先生は番組の中で繰り返し、「知らない単語は聞き取れない」と言っておられる。本当にその通りだ。その言葉に従って、普段から単語など「原資」を少しでも多くしておくしかないのだろうと思い、学生諸君にもそのように話している。