河村雅隆: 坐りが悪い 気色が悪い

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

ニューヨークにいた時、日本の国宝や重要美術品ばかりを集めた刀剣の大展覧会が、メトロポリタン美術館で開催されたことがある。いずれ劣らぬ名品ばかりの展示は、アメリカや世界からの観客を魅了し、多くの日本人が日本の文化と伝統を、誇りを持って再確認することが出来た。

空前絶後の展覧会を仕掛け、プロデュースしたのは、その分野の第一人者で、美術館の特別顧問の小川盛弘氏だった。小川氏は若い頃、日本刀研究の権威・佐藤寒山氏に従って、刀剣について学んだ方である。当時NYの放送局「テレビジャパン」で働いていた私は、小川氏にインタビュー番組に登場して頂いたが、その時のお話の中で今も鮮明に記憶している言葉がある。

「寒山先生はどのように小川さんを指導されたのですか」というインタビュアーの質問に対して、氏は次のように答えた。

「具体的なことは何も教わっていません。先生は学生だった私に国宝クラスの刀を示し、『これを見ていろ』とだけ言われました。何週間かそればかり眺めていると、今度は『次はこれだ』といって、別の名品を渡されました。そんなことを何回も何回も繰り返した後、ある時先生は『これはどうだ』と言って、一本の古刀を出されました。一目見て、私は気分が悪くなりました。いわゆる偽刀でした。それまで名品ばかり見てきた私の目は、その刀を生理的に受け付けませんでした。私の様子をご覧になっていた先生は一言、『分かったろう。よく覚えておけ』とだけ言われました」

フランス語の勉強を続ける中で、私は小川先生のその言葉を思い出すことがよくある。

フランス語の文法の中で、日本人にとって特に厄介なのは接続法だろう。「なぜcroireという動詞は、肯定文の従属節では直接法の動詞を取るのに、否定文や疑問文では接続法を取るのか」とか、「なぜcraindreという動詞の従属節では虚辞のneが必要なのか」とか、理屈では理解できないことが山のようにある。

しかし、長年文法書や辞書を繰っているうち、「ここは接続法でなければ坐りが悪いな、そうでないと気色が悪いな」といった感覚が少しは分かってきたような気がする。このあたり、「読書百遍、意自ずから通ず」ということにも通ずる話だろうか。

以上、小川先生や寒山先生を引き合いに出して心苦しい限りである。出来る方から見れば、「アッタリ前だろう、そんなこと」という話だろうが、セントラルパークの冬景色を思い出したついでに、あえて記してみた。

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