河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)
先日の東京都知事選挙は、ご存じのとおり舛添要一氏の圧勝だったが、選挙の終わった後、メディアが伝えた事前の世論調査、つまり選挙結果の予測のあり方について、インターネット上で少なからぬ人が発言を行っている。世論調査に批判的な意見は、「新聞などがさかんに『舛添圧勝』と報じたために、かなりの数の有権者が『結果がそうなると分かっているのなら、投票に行っても仕方がない』と思い、一票を投じなかった。その結果、選挙結果はメディアが予想したとおりになってしまった」というものである。この主張が正しいかどうかは分からないが、現在行われている選挙の予測報道にいくつかの問題があることは確かだろう。
最大の問題は、回答する人がはたして全有権者を正確に反映しているのかという、サンプリングの問題である。選挙に関する世論調査では放送局も新聞社も、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話を掛けて回答を求める、RDD(Random Digit Dialing)という方法を採用している。全国を対象にした調査であっても、その対象はせいぜい千人か二千人である。
しかし、問題は人数ではない。電話を入れるのはすべて固定電話の番号であって、そこには携帯は一切含まれていないという点が、問題視されるようになっているのだ。つまり現在の調査対象の抽出の仕方だと、固定電話を持たずに携帯しか使っていない人間は、一切リサーチの対象にはならない。しかし、現代においては携帯しか持っていない人は珍しくない。若い世代だったら、むしろ携帯だけの人の方が多数派ではないだろうか。かく言う私自身だって、電話は携帯しか持っていないのだ。
元々、電話調査は電話帳から抽出した個人に電話するというかたちで行われていた。しかし、1990年代以降、電話帳に自分の電話番号を載せない人が増えたことから、2000年頃から上記のRDDという方法が採用されるようになったのである。しかし当時、携帯やスマホがここまで普及してくるとは誰も予想できなかった。
電話調査にはもうひとつ問題がある。当たり前のことだが、抽出された番号に調査員が電話を入れた時、相手が電話を取ってくれなければ調査にはならない。ということは、電話口にいることの多い人たちの層の答が、電話調査の結果には反映されやすくなるということである。具体的に言えば、在宅の可能性が高いのは高齢者や年金生活者などである。現行の電話調査のあり方を批判する人たちは、調査主体が地域別、性別、年代別などの構成比のゆがみをなくす補正をしているとは言っても、在宅時間の長い人たちの答が調査結果を「引っ張っている」と主張する。そして、その結果算出された「偏った」数字がメディアの上で独り歩きして、有権者の投票所に行く、行かないといった行動にまで影響を与えているという。つまり、マスメディアのいわゆるアナウンスメント効果が、以前よりずっと強くなっていると批判するのである。
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選挙の事前予測報道と公正な選挙をどのように両立させるかというのは、非常に難しい課題である。フランスでも大きな選挙があるたび、新聞も放送も事前に予測の調査を活発に行う。そしてその精度はきわめて高く、フランスは先進国の中で最も世論調査が的中する国だと言う人もいるくらいである。
この選挙と世論調査という問題について、フランスは長い間、独特のやり方で両者を共存させようとしてきた。1977年7月19日法という法律が、「新聞や放送は、選挙の結果予想を投票日から逆算して一週間以内に公表してはならない」と定めていたのである。言うまでもなく、投票日直前の選挙予測の発表は有権者に予断を与える恐れがある、と考えられたからである。
しかしこの規定に対しては、メディアや法律学者から、「世論調査を行って、その結果を公表し、解説を加えることは報道の基本であり、民主主義の基礎をなすものだ」という批判が絶えなかった。そうした意見を受け入れるかたちで、1977年7月19日法は2002年に改正され、選挙に関する事前の予測は、現在では投票日前日と投票当日には公表してはならないことになっている。従来の規定の大幅な修正である。
1990年代前半、ヨーロッパにいた時のことである。国民議会の選挙だったと思うが、投票日直前、パリの新聞スタンドにデカデカと「選挙の結果予測、最新情報速報」というポスターが貼られているのを見たことがある。「あれっ、投票日までもう一週間を切っている筈だが」と思いつつ、宣伝文句に惹かれて一部買ったら、何とそれは隣国スイス・ジュネーヴで出されている新聞だった。スイス西部のジュネーヴはフランス語圏だから、そこではいくつものフランス語の新聞が発行されている。そんな新聞社がフランス国内で世論調査を行い、その結果を掲載した新聞が大量にパリに持ち込まれていたのである。そもそもスイス西部の人たちにとっては、フランスの選挙は「国内問題」なのかもしれない。
放送の世界でも、radio périphériqueと呼ばれるルクセンブルクなどの放送局が、意図的にフランス国内をターゲットに放送を行っている例がある。そうした放送局はフランスの国内法の決まりなどお構いなしに、選挙の予測などを放送してきたのである。活字でも電波でも周辺国からの情報の流入は止められないということも、法律改正の背景にはあったのだろう。
それにしても、新聞持ち込み作戦はアイディア賞ものだな、と妙に感心したことを覚えている。もっとも、投票日の2日前まで選挙の予測を報道できるようになった今では、こんなことはもう行われていないだろう。フランスのメディアにとって、予測の「自由化」は良いことだったのだろうが、密輸入された商品をこっそり見るような楽しみがなくなった、と残念がっている読者もいるかもしれない。