河村雅隆: 『自由には責任が伴う』という言葉

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

今年1月7日に起きたパリの週刊新聞「シャルリー・エブド」襲撃事件とその後の展開は、あまりに衝撃的だった。日本にいる我々も、ショックの大きさから回復したとはとても言えない。ただ事件から一か月以上が経って、メディアやインターネットの世界に現れる論調には、特に日本国内の場合、やや変化が見られるようになってきた気がする。

事件直後は今回の事件を、「言論の自由を主張する者と、それを暴力で圧殺しようとする者との戦い」という図式で、いわば一刀両断に描き説明する論がほとんどだった。しかし、時間が経過するにつれ、この新聞がこれまで掲載してきた風刺画の内容を知った人たちの間から、「表現の自由には責任が伴う」と言った声がかなり聞こえるようになってきたように思う。

シャルリー・エブドがこれまで公にしてきた漫画には、日本人の感覚からすると、「これが風刺画だろうか」と感じさせられるものが少なくない。預言者ムハンマドが爆弾を抱えている絵や、イスラム国がやはりムハンマドの首を切り落とす画が掲載されたこともある。日本に関しては他の媒介であったが、原発の事故によって腕が3本になった力士が、オリンピック競技になった相撲に出場しているなどというものもあった。その絵には吹き出しで「フクシマの事故のおかげでスモウは五輪の競技になった」というコメントまで付けられていた。この漫画に対して日本政府が正式に抗議したというニュースはご記憶の方もあるだろう。こうした内容を詳しく知った人たちの中から、「自由と責任」という主張が打ち出されるようになってきたのである。

表現の自由には責任が伴うことは当然である。上記の福島に関係した漫画は一体どこがユーモアや風刺なのだろう、と私も強く思う。現地で被災した人たちがこの絵とコメントを見たらどのように感じるだろうか、と考える想像力が書き手と送り手には欠けているのではないかとも感じる。ただ、私がここで指摘しておきたいのは、「自由と責任」という表現を用いる時、我々日本人が感じる「自由と責任」という意味と、多くの欧米人が感じているであろう意味との間には、小さくない開きがあるのではないかということなのだ。

1948年1月、第二次世界大戦の敗戦から間もない時期のことである。毎日新聞は日本とアジアをよく知るアメリカ人作家、バール・バックに日本人に対する忠告とアドバイスを求め、『日本の人々に』と題された彼女の文章は紙面を大きく飾った。パール・バックは宣教師を父として中国で育ち、長じてからは中国大陸を舞台とする長編小説『大地』などで知られる、アメリカきってのアジア通知識人だった。

その文章の中でバックが強調したのは「自由には責任が伴う」ということだった。しかし、その「責任」という言葉の意味は、日本人が普通に感じるであろうものとは大きく違っていた。彼女は次のように言う。

「民衆が自由で独立的で自治的である国は、いかなる国でも、つねに善なる人々と悪なる人々との間に闘争の行われる国である」。そして、自由に伴う責任として彼女が強調したのは、「積極的に悪と戦う闘志をもて。安きを偸むな」ということだった。「自由といふものは真の自由でなければならず、自由が或る一部の人によって行使されて他のものによっては行使され得ぬといふことは、あり得べきことではないからである」

つまりバックにおいては、「自由に伴う責任」とは、何よりも自由を侵害してくる者と断固として戦うことにこそあるとされたのである。これはヴォルテールの有名な言葉、「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」にも通ずる姿勢だろう。

上記のパール・バックの文章は、日本の地理学者である(という枠にはとてもおさまらない存在だが)飯塚浩二氏の『日本の精神的風土』からの孫引きである。飯塚氏はこのバックの文章が掲載された時、新聞の見出しが、「総ての人に与へよ、責任ある“自由”」となっていた点を指摘して、編集者は彼女の「善良なる人々にとって自由はつねに責任を伴って来るものだ」という一節を見出して、「それ見ろ、やはり自由は無拘束や放縦とはちがうのだ」と我が意を得たのだろう、とも書いている。

はるか昔、学生時代読んだ飯塚氏のこの文章は、ずっと私の記憶の中に残っていた。そして社会人になってヨーロッパやアメリカで生活する中で、飯塚氏の見方に同感させられた経験が少なくなかった。飯塚氏は若い頃フランスに留学した経験を持つ人だから、フランス人の発想や感情を身体で理解していたのだろう。著書の中で氏は、血みどろの戦いの中で自ら自由を勝ち取ってきた人々と、戦後いわば「配給された」かたちで自由を手にした国民との違いということも示唆していた。

飯塚氏の文章は今読み直すと、如何にも敗戦直後に書かれたものという印象を受ける。ただ今回のシャルリー・エブドの事件に対する日本国内の反応を見ていると、日本社会と欧米社会の考え方とメンタリティの違いは、1948年という時点も、それから70年近く経った今も大して変わっていないのではないかという気がする。

繰り返すが、私はあの新聞に掲載されているような絵とコメントは御免である。繰り返し親から言われた、「相手の立場に立って考えなさい。相手には相手の立場があるのだから」という言葉に従って生きていきたいと思う。ただ、そうとばかりは言っていられない社会が、世界では圧倒的であるということは言えるのだろう。

 

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