ブルカ・ニカブ禁止法制定から5年 (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

イスラム教徒の女性が着用する衣装に「ブルカ」や「ニカブ」というものがある。これらは目の部分を除く顔のすべてをベールで覆ったもので、どちらも顔の大部分を隠すという点でよく似ているが、ブルカは目の部分の前方も網状の布などで隠しているところがニカブと異なっている。

言うまでもなく顔というのは、人が人と交流するにあたって、最も重要な役割を果たす部位である。中でも目は最も人間の感情を端的に示す部分である。その目が網状のもので覆われてよく見えないのだから、それらの服を着ている人の心中や反応を読み取ることは難しい。ニカブの場合ならかろうじて可能かもしれないが、ブルカの場合、それはほとんど不可能だろう。私自身、ブルカを身にまとった女性と言葉を交わした経験があるが、相手の視線が確認できないので、非常に話しにくかった記憶がある。

これらブルカやニカブはフランス語では総称して voile intégral と呼ばれているが、そうした衣装を公共の場で着用することを禁じる、通称「ブルカ・ニカブ禁止法」と呼ばれる法律がフランスにはある。2015年の秋、フランスのテレビや新聞は制定から5年というタイミングをとらえて、この法律をめぐる問題を取り上げていた。

この「ブルカ・ニカブ禁止法」は2010年、当時のサルコジ大統領の強い働きかけによって成立したものである。サルコジ氏がこの法律の成立を急いだ背景には、2001年にアメリカで発生したイスラム過激派による連続テロ事件の衝撃と、その結果高まった反イスラム感情があった。新しく成立した法律によって、公的な場でブルカやニカブを着用した人は、150ユーロの罰金を課されたり、市民教育を受けることを強制されたりするようになったのである。この「公的な場で」という言葉の意味は、通常の市民生活が展開され、誰もがアクセスできる空間というふうに考えられている。

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フランス人ですら混同しがちなようだが、2010年に制定されたこの禁止法は、それ以前の2004年に制定されていた公立学校におけるベール禁止法とは別物である。2004年の法律は公立の学校内における「これ見よがしの(ostentatoire)宗教的なしるし」の着用を禁じたもので、これはフランス共和国の基本理念である「政教分離(laïcité)」、すなわち「国家の徹底的な非宗教化」をめざしたものだった。2004年法によって公立の学校内においては、イスラム教徒だけでなくキリスト教徒もユダヤ教徒も「これ見よがしの宗教的なしるし」、すなわち自分がどの宗教・宗派に属しているかということを明確に示すシンボルの着用が禁じられた。

日本人にとって、フランスにおける政教分離というのはわかりにくい概念だが、要は「国や公的機関を徹底的に非宗教化することによって、宗教が個人の内面の自由の問題である限り、信教の自由を保障する」という考え方のことである。

公権力が徹頭徹尾、非宗教的であろうとする態度のことをフランスでは laïque という。この単語を辞書で引くと、「聖職者でない。宗教から独立した。世俗の・・・」などといくつもの訳語が出てくるが、要は「政教分離の原則が貫かれていること」というのが、その本義である。

この原則の下では国家は、特定の信仰を有する人間とそうでない人間との間で、一切の差別的な取り扱いをしてはならないし、またどんな宗教に対しても等距離の立場を取らなければならない。このlaïqueということを別の角度から見れば、それは宗教の徹底した「個人化」ということを意味している。つまり、宗教とはあくまで個人の内面にのみ関わるべきものであって、一方国家の側は、宗教が人間の内面にとどまっている限り、それに関与したり、立ち入ったりすることを一切しない、ということなのである。こうした近代国家の原則を、ドイツの法学者、カール・シュミットはニュートラル・ステイト(中性国家)と呼んだが、それはきわめて適切な表現だろう。この原則に立つフランス共和国では公立学校は公的機関に準ずるものとされ、そこでは宗教的なシンボルの着用が禁じられたのである。

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政教分離についての説明が長くなってしまったが、2010年に制定された法律の方は、その政教分離ということを一義的にめざしたものではなかった。法律の提案時、サルコジ大統領は上下両院の合同会議において、「ブルカの着用は女性の自由と尊厳の問題であり、女性の隷属の象徴である」と発言したが、必ずしも政教分離を法律の目的とした訳ではなかった。この2010年法について、フランスの最高行政裁判所であり、政府の諮問機関でもある国務院は、ブルカの着用を一律に禁止することは個人の自由を侵すことになりかねない、という見解を表明したが、サルコジ大統領は反対を押し切って法律を制定させた。

その後、イスラム教徒の女性が「この法律は信教の自由や表現の自由を定めた欧州人権条約に反している」として、欧州人権裁判所に訴えを起こしたが、2014年、裁判所は「顔は社会的な交流において重要な役割を果たしている」として、フランス政府の主張を認めた。

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「法律の制定から5年」というニュースの中で、『ルモンド』(2015年10月17日週間版)など多くのメディアは、この法律の規定と罰則はブルカやニカブの着用を抑えることにはつながっていないと伝えていた。そうした例のひとつとして、ベールを着用して150ユーロの罰金を課された女性に代わって、その支払いを肩代わりする活動を続けているイスラム教徒の男性実業家の話が紹介されていた。彼は、自分たちの行動は自由を圧殺しようとする法律に対する正当な抗議活動だ、と主張しているのである。このように確信犯として法律を無視しようとしている人たちにとって、法律は何の効果も強制力も発揮していない。その一方で右派の共和党の政治家などの中からは、「この法律がきちんと運用されていないことは大問題だ。法律というものは社会のどんな場においても等しく適用されることによって、初めて法律たりうるのだ」という批判の声が上がっている。

2010年制定のブルカ・ニカブ禁止法を適用し、警察が違反者から調書を取ったケースは、同一人物が複数回、法律の適用を受けた例もあるが、フランス全土で2012年には332件、13年には383件、14年には397件だった。そして2015年は9月までの時点で200件。数字だけを見る限り、「違反」の数は少ないのではないかという印象を受ける。しかし、実態は違うと分析する報道も見られた。どうして調書を取った件数がこんなに少ないのかという点について、ある警察の担当者は次のように語っている。

「警察は初めから、『この法律を現実に適用することは難しい』と主張してきた。警察官は、公的な場所でブルカやニカブを着ている人の調書を取る前に、果たしてこの法律を適用すべきかどうか、熟考している。違反が起きた場所がイスラム教徒や移民の多く暮らしている地域である場合は、特に慎重にならざるをえない」

2013年には、移民が多く暮らすパリ郊外のトラップという町で、警察官がニカブを身につけた女性に対し身分証明書を示すよう求めたことをきっかけに、住民の暴動が発生するという事件も発生した。そうした経験から、警察は街中でベールを着用した女性を見掛けても、法律をすぐには適用しようとはせず、話し合いによって解決しようという姿勢を取ることが多いのだという。

またそもそも、ブルカやニカブといった服装は、女性の自由と尊厳を侵しているのか、女性の隷属の象徴であるかどうかという根本的な点についても、フランス国内では疑問の声が聞かれる。ブルカやニカブを着用する女性たちには、最近イスラム教に改宗した若い人たちや、離婚を経験してイスラム教に深く帰依するようになった人たちが多く、男性から強制されて着るようになったという人は皆無だという指摘もなされている。

以上、様々な問題を抱えながらも、2010年に成立したブルカ・ニカブ禁止法はフランスの社会の中で生き続けている。今年11月に起きた凄惨なテロ事件が、この法律の運用をどのように変えていくのか、注目していきたいと思う。

 

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