河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)
アメリカとの国交回復を受けて、フランスを含め欧米のメディアはこのところキューバに関するニュースを多く伝えている。キューバの問題について私は以前から関心を抱き続けてきた。それは1962年のキューバ危機が、私の中に強烈な記憶として残っているからかもしれない。そして、崇高な理想を掲げて誕生した国家が、歳月を経るにしたがってどのように変貌していくのかという点にも大きな興味があった。
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1980年代半ばのことである。当時東西冷戦という大状況はまだ続いていたが、東側の盟主・ソ連の経済の行き詰まりは誰の目にも明らかになりつつあった。アメリカからの経済制裁を受け続けていたキューバは、それまでソ連からの援助によってかろうじて経済を維持していたが、頼りとするモスクワからの支援はもはや消滅寸前の状態に立ち至っていた。
そうした状況の下、キューバからは小さなボートやいかだに命を託して、対岸のフロリダをめざして出て行く人たちが跡を絶たなかった。故国に見切りをつけて、アメリカでの暮らしにわずかな可能性を見出そうという人たちであった。皮肉なことに、アメリカはキューバに対して禁輸など強硬な態度を取れば取るほど、自国の中に新住民を迎え入れなければならないというジレンマに直面することになった。
そもそもキューバ政府は自国民が流出していく動きに対して、それを事実上容認する姿勢を取り続けていた。80年代後半から90年代前半のキューバの態度を一言で言えば「出て行きたい人間は勝手に出て行け」というもので、密出国に対して厳格な取り締まりは行われなかったという。
その頃、放送局で主に国際関係の番組を担当していた私はある時、外電の中に次のようなキューバ高官の発言を見つけ、我が目を疑ったことがある。それは「アメリカがキューバに対して禁輸解除などの措置を取らなければ、キューバはアメリカに対してこれまで果たしてきた『難民流出に対する防波堤』としての役割を放棄する」という趣旨の発言だった。高官のこの言葉はどのようなことを意味していたのだろうか。それは「自分たちがキューバの島に社会主義政権を維持していることによって、難民の数は一定以下に抑えられているのだ。もしキューバ人の流出がどんどん続いたら、彼等が行きつく先は対岸のフロリダなのだから、困るのはアメリカの方なのだぞ。だから難民の発生する原因となっている禁輸を、アメリカは早く中止しなさい」ということだったのだ。
キューバ政府が難民の流出を抑えない方針を取った理由のひとつは、自国の体制に不満を持つ人間が国外に出て行ってくれる方が政府にとっては都合が良いと考えられたからである。別の言い方をするなら、難民の流出という事態は自分たちの体制を維持していくための安全弁だと考えられたのである。それだけではない。既に述べたように、キューバ政府は密出国していく難民という存在を、「流れつかれる側」であるアメリカへの圧力として最大限利用しようとしたのである。
さらには80年代、キューバは犯罪常習者など、自分たちの体制にとって好ましくないと考えられた人たちを、ボートやいかだに載せて送り出していたという。つまり「革命の敵」が外国に対する有利な道具として使われたということになる。
キューバのこうした方針は「移民政策」と呼ばれることもあったが、実態は「棄民政策」と呼ぶべきものだった。しかし、流出していってくれる人間が国内に無限にいる訳はないし、国民がどんどん外へ出て行ってしまったら、国内のエネルギーが低下してくることは明らかである。自国民を国内から放り出すことによって成り立っている国家などというものが、いつまでも存続できるはずがない。にもかかわらずキューバの高官は、難民という存在を外交の有力なカードとして使おうと考えたのである。これが政治的思考、政治的レトリックというものなのだろう。
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政治的レトリックに関しては、昔、アメリカの外交官から聞いたこんな話も紹介しておきたいと思う。「実話だ」と断った上で彼が話してくれたのはこんな逸話だった。
冷戦で米ソが厳しく対立していた時代のモスクワを、アメリカの代表団が訪ねた時のことである。今も昔もロシアには酔っ払いが多い。乞食も少なくはない。代表団がソ連ご自慢のモスクワの地下鉄を視察した時、一行の前で白昼、物乞いらしい酔っ払った男が寝そべっていた。それまでさんざん社会主義経済の成功を聞かされていたことへの反発もあったのだろう。アメリカ側のひとりが案内役のソ連の人間に、「モスクワにも乞食がいますね」と一言皮肉っぽく言った。
それに対して、ソ連の当局者は直ちにこう言って反論してきたのだという。「そうかもしれません。しかしあなた方はアメリカの南部で黒人に対して、どういうことをしているんですか?」
モスクワの地下鉄の乞食の話題とアメリカ南部の黒人に対する差別や迫害とは、全く関係のない話である。「しかし、そんなふうに全く関係ないことを平気で結びつけて反論できるのが政治的レトリックというものだ」とそのベテラン外交官は笑いながら話してくれた。
日本人は、少なくとも私の年代の人間くらいまでは、「言葉には自分の信じている思いを込めて話しなさい」とか「巧言令色すくなし仁」とか言われて育ったものである。もちろんそれは正しい道徳だと思うけれど、世界の中ではそういった価値観だけでは太刀打ちできない世界の方がずっと多いのではないかと思う。