河村先生新著書評(『週刊NY生活』)

NYで発行されている日本語による週刊新聞『週刊NY生活』デジタル版(サイトはこちら)に、河村雅隆先生の新著の書評が掲載されました。デジタル紙面のイメージのままお読み下さい。

 

週刊NY生活デジタル版

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トランプとルペン (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

今、フランスでは来年春に行われる大統領選挙をめぐって、様々な政治的な動きが繰り広げられている。そうした中、人々の最大の関心は、極右・国民戦線がどこまで第一回投票で有権者の支持を獲得するか、第二回の決選投票に進出するのかという点だろう。

緊迫した政治状況を反映して、フランスの出版界では最近「政治フィクション」とでも言うべき書物が何冊も発行されている。フランスでは政治や社会の動きをフィクションという設定の中で風刺的に描くことはヴォルテール以来の伝統とされるが、そうした流れの中で今回の書物も登場してきているのだろう。

近刊の小説の中には、「現職のオランド大統領とマリーヌ・ルペン国民戦線党首との間で行われることになった決選投票の最中、FNの創始者でマリーヌ現党首の父親であるジャン=マリー・ルペン氏が心臓発作で急逝する。決選投票の結果、共和国大統領の座に就いたマリーヌ・ルペンは、ジャン=マリー・ルペンの国葬を(!)大々的に行うことを決定する」などというストーリーのものもある。

またBD(いわゆる劇画)では、大統領選挙に勝利したFNが国内においては右派・共和党の分裂を誘い、対外的にはユーロ圏とNATOから脱退し、さらにはドイツとの協調路線を放棄してロシアに急接近するという近未来フィクションも人気を集めている。このシナリオはフィクションというより、「FNの大統領が誕生したら必ずこうなる」というリアリティにあふれている。

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去年7月20日、私はこの欄で、フランスの国民戦線(FN)の急激な伸長とメディアの「貢献」との関係に関して短い文章を書いた*。その中で私は、1970年代にはほとんど無名の存在だった国民戦線が、80年代半ば以降、急速に勢力を拡大したのは、当時の党首、ジャン=マリー・ルペンの巧みなメディア戦略があったからだという見方を紹介した。
* 「メディアが国民戦線を作ったのか」(2015年7月20日)

その分析によれば、ルペンは新聞や放送のインタビューなどに登場する機会をとらえ、意識的に過激な発言を行ったのだとされる。移民や社会の弱者を公然と傷つける彼の発言は当然、社会の反発を招いたが、それに対するルペンの反論は再びメディアに大きく扱われ、彼の主張は次第に人々の頭に刷り込まれていったというのである。

その文章に関連して、最近友人から、「トランプはルペンからメディア戦略を学んだのではないか。そのことを示す資料はないのか」と訊かれた。残念ながら、トランプ候補が国民戦線の情報戦略を研究したという資料は見たことがない。しかし、アメリカでは政治家にメディア・コンサルタントがついているのは常識だから、トランプ陣営にフランスの極右の動きを分析した「振り付け役」がいたとしても何らおかしくはない。以前私はワシントンで、メディア・コンサルタントと称する人の話を聞いたことがあるが、彼はどのようなメディア(伝達チャンネル)に登場すれば、どのような人たちにクライアント(候補者)のメッセージがリーチするかということについて、驚くほど詳細な分析を行っていた。

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上のようなことを考えていたところ、最近、ニューヨーク・タイムズにニコラス・クリストフ記者による、「トランプ現象」とメディアとの関係についての分析が出ていた(2016年3月27日付)。その中でクリストフ氏は次のように言う。
「メディアは、トランプや一部の共和党支持者の発言を人種間の敵意をあおるものだとして非難する。しかし彼に力を与えたもうひとつ存在はメディアである。メディアの大きな失敗は、トランプに簡単にマイクを渡してしまったことだ。トランプなら視聴率が稼げるし、彼ならいつも何かをしでかしてくれそうだ、とメディアは考えたのだ」

その上で、クリストフ記者はこう文章を締めくくっていた。
「ジャーナリストの多くはトランプを馬鹿にしてきたが、実は彼の方が一枚上手なのだ。彼は常軌を逸した発言でカメラをひきつけ、テレビを巧みに操った。・・・ジャーナリズムは自省すべき時を迎えている。ジャーナリズムは扇動者に力を与え、国民を失望させた。我々は番犬ではなく、愛玩犬だったのだ」

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ルペンやトランプの問題は、まさに我々自身の問題でもある。前述の去年7月20日の本欄にも書いたことだが、日本の視聴者には、「テレビの画面に取り上げられているものは、世間に公認されているものだ」と受け取る傾向がきわめて強い。たとえばヘイトスピーチを繰り返している団体だって、いったんテレビの画面に登場するようになれば、あっという間にまっとうな政治勢力として認知されてしまう可能性は十分にある。マスメディアには、「何を伝えるか」と同時に「何を伝えないか」という責任も問われている、という当たり前のことをあらためて思う。

 

BDの一例政治フィクションの劇画のひとつ。文中で触れたものとは別物です。

 

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フランスとフランス語を知るためにオススメの本

 

新入生には第二外国語との出会いが待っています。多くの人には英語以外の外国語ということになります。教科書で新しい言語を学び始めるのと同時に、その言語に支えられて生まれた文化にぜひふれてみて下さい。言語学習への意欲を高めることにもなりますし、学生らしい知的な生活へ踏み出すことにもなるでしょう。

名古屋大学生協南部書籍部で外国語教員の推薦図書を店舗に揃えてくれることになりました。陳列される図書のPOP 広告の推薦文は各言語の担当教員が書きました。フランス語科からの推薦図書と推薦文は以下のようです。こちらでゆっくり推薦文を読んで、生協南部書籍部の店頭で手に取ってみて下さい。(画像はそれぞれの本の出版元のホームページから借用しました。)

 

サンテグジュペリ(稲垣直樹訳)『星の王子さま』平凡社ライブラリー

星の王子さま(平凡社)王子は自分の星で愛した花を思い出して言います。「大事なものというのはねえ、目には見えないんだよ… 花のことと同じだよ。どこかの星に咲く花を君が愛したら、夜、空を見上げるのは、楽しいよ。満天の星という星に花が咲くんだよ」(稲垣直樹訳)。作者による挿絵も秀逸。いずれはフランス語で!

 

『ランボー全詩集』(宇佐美斉訳)ちくま文庫

ランボー全詩集(ちくま文庫)「あれが見つかった / 何が? 永遠 / 太陽と溶け合った / 海のことさ」(『地獄の季節』より、宇佐美斉訳)。ランボーは10代末の数年だけ詩作した19世紀後半の早熟の詩人。この一節はヌーヴェル・ヴァーグの映画監督ゴダールの代表作でも引用された。原語にも挑んでフランス語の美しさも感じてほしい。

 

ブリア=サヴァラン『美味礼讃』岩波文庫 / 海老沢泰久『美味礼讃』文春文庫

美味礼讃(岩波文庫)フランスは言わずと知れたグルメ(gourmet)の国。ブリア=サヴァランはフランス革命のころの美食家で、世界初のグルメ本がこれ。ただし上下2巻の本格派で手強い。ブリア=サヴァランはチーズの名としても有名。一方、海老沢泰久の『美味礼讃』は、日本に本物のフランス料理をもたらした辻調理師学校の辻静雄の伝記で楽しく読める。

 

シュテファン・ツヴァイク(中野京子訳)『マリー・アントワネット』(上・下)角川文庫

マリー・アントワネット(角川文庫)歴史の波に翻弄され38歳の若さで断頭台の露と消えた王妃の素顔は、ごく平凡な一人の女性だった。非情な運命に飲み込まれつつも、最期の瞬間まで愛らしさと優しさを失わなかった彼女の姿に、あなたも共感の涙を禁じ得ないはず。伝記文学の巨匠が膨大な歴史的文献をもとに激動の生涯を克明に掘り起こした古典的名著。

 

『ふらんす』(月刊誌)白水社

雑誌『ふらんす』「フランス語、文学、歴史、思想、映画、食、人物評伝、エッセイ、アクチュアリテなどなど、毎号フランスの古今をお届けします」‐出版社による「看板」に偽りなし!否、フランスのみならず、広くフランス語圏を対象に、硬軟&今昔取り混ぜたトピック満載の月刊誌。1925年から息長く続いているのも納得。

 

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2016年度前期中級フランス語1 受講調整

2016年度前期「中級フランス語1」の受講希望者は、開講クラスのシラバスを以下から参照して

○火曜1限:
飯野先生クラスのシラバスはこちら
ボーメール先生クラスのシラバスはこちら
○金曜2限:
奥田先生クラスのシラバスはこちら
鶴巻先生クラスのシラバスはこちら

第1~3希望クラスを決め、
「希望申請票」をこちらからダウンロード→A4サイズ用紙に印刷して、もれなく記入の上、全学教育棟1階 教養教育院事務室横の廊下にあるレポートボックス「中級フランス語1 クラス分け希望申請票入れ」に3月22日火曜~3月25日金曜に投函すること。

調整結果は4月7日木曜以降、本HPならびに教養教育院掲示板で発表するので、決定クラスの初講に出席し、受講申請票を担当教員に提出すること。   不明な点があれば、フランス語科 田所先生(tadokoro@cc.nagoya-u.ac.jp)まで。

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フランスの地方制度 (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

去年の12月、フランスでは州(地域圏=Région)議会の選挙が行われた。その第一回投票において各地で極右の国民戦線(FN)が躍進し、いくつかの州では第二回投票の結果次第では第一党の座を獲得し、議長(行政の最高責任者)の地位を確保するのではないかという事態に至ったことをご記憶の方も多いだろう。そのニュースを耳にした時、「フランスにも州なんてものがあるのか」と驚かれた方もいるかもしれない。

その動きを伝えた日本のメディアの中には、Région の訳語として「州」という言葉を使った放送局もあったが、他に「地域圏」、あるいは「広域地域圏」という語を用いた新聞社もあった。Région という言葉の訳語の統一はまだ出来ていないようだが、ここでは「州」という語を使用して話を進めることにしよう。

とにかくフランスの地方制度は複雑である。それは何よりも国家の枠の下に、市町村(コミューヌ)、県(デパルトマン)、州という三層の自治体が存在しているからである。アメリカの州だったら誰でも知っているが、フランスの州とは一体どのようなものなのだろうか。

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「州」というものが誕生した発端は、ドゴール大統領が提唱した「地域経済圏構想」にある。フランスの地方行政の基本単位である「県」は元々、大革命の直後、人為的に線引きして作られたものであり、その外縁は県庁所在地から馬車で48時間以内に往復できる範囲と定められていた。具体的には、県都からほぼ半径40キロメートルの地域が、平均的な県の大きさとされたのである。しかし20世紀も後半になると、そんな小さな範囲の中だけで経済や社会的な活動が完結することなどありえなくなった。

ドゴールは急速に広域化する経済活動に対応するために、県の枠を超えた大きな行政単位を設け、効率的で計画的な行政を行おうと考えたのである。ドゴールのこの方針は彼の後を継いだポンピドゥー大統領に引き継がれた。ポンピドゥーは1972年、複数の県によって構成される行政単位である「州」という制度を正式に創設し、27の州に特別地方公共団体という資格を与えた。

ポンピドゥーの後、政権を担ったジスカール・デスタン、ミッテランの両大統領は、右派出身左派出身という違いに関係なく、地方分権化を加速させた。そして1982年にはミッテラン大統領によって、州は直接選挙によって選出される議会を備えた、完全な自治体となったのである。

州の創設にあたって、その名称には大革命以前の行政区分であった「旧州」の名前が採用された。AquitaineとかAuvergneなどがそれである。日本で陸奥とか西海道といった、律令時代の名前が現代の行政単位として蘇ったと仮定してみれば、1982年の改革がフランス人に与えた衝撃の大きさが想像できるだろう。新設された州の仕事は一義的には域内の複数の県を対象にした社会・経済計画を、全国的な計画と整合させながら遂行していくことにあったが、社会活動の一層の広域化とともにその役割は大きくなる一方である。

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しかし、この州という制度フランス人の間では必ずしも評判が良いとは言えないようだ。私はフランス人から、「三つものレベルの地方自治体が存在することは複雑すぎて、行政は効率的になるどころか非効率になっている」とか、「自治体の三層構造は公務員の数を増やしただけだ」という批判を何度も聞かされたことがある。ましてや我々外国人にとって、フランスの地方制度はきわめて分かりにくいとなっている。中でも我々にとって理解しにくいのは、行政の責任者と議会との関係ではないだろうか。

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現在のフランスの地方制度では、州における行政の最高責任者は、州議会が選出する州議会議長であり、議長には州の行政のすべての案件に関与し、決定する権限が与えられている。ミッテラン大統領が制定した1982年5月2日法は、議長が州の予算を提案し執行することを規定し、この議長が州の行政部局を統括しているのである。

フランスでは州と同様、県においても行政の最高責任者の座にあるのは議会(県議会)の議長である。1982年の改革以前、各県には大統領が任命する県知事がいて、行政を執行していた。しかし「民主的な地方自治」を掲げたミッテランの改革によって、県知事は県における行政の長としての地位を失い、行政は県議会が選出する議長によって執り行われることになった。つまり県議会議長が実質的な県知事となったのである。

中央から派遣されてくる県知事という国家公務員は今も存在しているが、1982年以降、彼等の業務は、県内にある国の出先機関を国の代表者として監督することに限定され、「知事」という名称も「共和国委員」に変更された。(その後、知事という職名は復活したが、その職務内容は1982年以前とは全く違っている。)州の場合も、行政の最高責任者が議会の長であることは全く同様である。

前にも書いたことだが、他所様の国のことを理解するのは本当に難しい。私自身、外国の社会や組織のことを取り上げて番組やリポートを作ったことが随分あるが、「あれで本当に間違いなかったのだろうか」と今頃になって不安になったりすることがある。

 

(参考)
『フランスの行政』(下條美智彦、1996 早稲田大学出版部)

Legifrance (Le Service de la diffusion du droit)
http://www.legifrance.gouv.fr/

 

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エリートの社会 (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

いきなりのお尋ねで恐縮だが、この欄をご覧下さっている方は、テレビで映像取材を行うロケクルーというのは、いったい何人くらいの人間で構成されていると思われるだろうか。ここで言う映像取材とはドラマや芸能番組とは違う、ニュース企画や報道番組のための撮影のことである。普通の放送局の場合、報道番組の撮影クルーはディレクターか記者、カメラマン、それに音声マン、照明マンの4人程度からなっている。ただ海外ロケなどになると、費用の節約のために音声と照明を一人の人間が兼務して、スタッフが3人になったり、音声や照明を全部カメラマンが行って、チームがディレクターとカメラマンの2人だけになってしまったりすることも珍しくない。ロケを担当する人間がディレクターとカメラマン2人だけになれば、荷物運びから照明や音声のセッティング、ノイズ(周辺の音声)の拾いなど、すべてを二人でこなしていかなければならない。

若い頃、放送局の中で報道番組を担当していた私は、そうした映像取材の体制を当たり前のことだと思い込んでいたのだが、ある時、映画監督の方に番組のリポーターをお願いした際、自分たちのやり方は同じ映像の世界とは言っても、映画やドラマとは全く違っているということに、遅まきながら気づいた。リポーターの監督さんは約束の場所に現れた我々クルーを見るなり、「で、他の人はいつ来るの?」と言われた。映画の世界ではカメラマンには、距離の計測係とかピントを合わせることだけを専門に行う助手が、セカンドとかサードとかいう名前でつくのが常識だから、テレビの撮影クルーがそんなに少人数なのが信じられなかったのだろう。もっともその方は取材を進める中で、「テレビの撮影は早くていいね。映画もこうじゃなきゃ、いちばん良い映像を逃してしまうよ」といたくご満悦の様子だった。

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その後、海外取材でフランスに出た時のことである。支局に挨拶してから、ある高官のインタビューを撮りに出かけようとする我々に、特派員の先輩が「誰に会いにいくのか」と声をかけてくれた。彼は取材先の人物の職位と経歴を確かめた後、「今日はお前、セッティングとか片付けはやらない方がいいんじゃないか」とぼそっと言った。その日インタビューする予定の官僚は、グランドゼコールと呼ばれる大学以上の権威を持った高等教育機関の卒業生で、言うまでもなく超エリートだった。

アドバイスの意味がわからなくて問い直した私に先輩は、「インタビューする時までは『俺はディレクターでござい』といった感じで取材しておいて、収録が終わった途端、機材の片づけなどをやり出すと、『こいつは一体本当にディレクターなのか』と思われるかもしれないぞ」と言うのである。

1980年代半ば、この世の中にはインターネットや電子メールなどというものは影も形もなかった。だから外国の組織や人物を取材しようと思えば、まず手紙を書き、その後頃合いを見計らってファックスか電話を入れて、取材の意図を説明するしかなかった。そうした時、アメリカの企業などでは、こちらが書いた拙い手紙のコピーがその組織の中の関係部署全部に転送されていて、驚くこともあった。

フランスの官僚の取材もそのような手続きで進めたのだが、取材申し込みの手紙に書いた私の自己紹介文は、「誇大広告」以外の何物でもなかった。「自分は○○○○という番組の中心的な役割を果たしているディレクターで、これまで制作した番組は日本の社会に大きな影響を与えてきた」などということを針小棒大に記していたのである。それも別の先輩からのアドバイスに従ってのことだった。

その別の先輩は、「ヨーロッパやアメリカのテレビには日本のニュース企画のような番組はあまりないから、企画の構成とかを説明してもなかなか分かってもらえない。手紙にはそれより、『インタビューに関連してこういう絵がほしい』というふうに書いておいた方がいい。そして、撮りたい映像は最初から全部挙げておくことだ。後から追加するのがいちばん良くない」という、まことに実戦的で有益な指導もしてくれた。

フランスでの取材の日、支局の先輩は「思いすごしかもしれないけれど」と言いながら、アルバイトの若い男性を撮影助手につけてくれた。おかげでその日の取材は無事に終了したし、大ディレクターは音声や照明機材のセッティングや後片付けをしないですんだ。

その時の経験がなぜか忘れられず、私はその後ヨーロッパで仕事をするようになってからは、取材先で出会うフランスやヨーロッパのクルーがどんなふうに仕事を進めているのかを、よく観察したりした。もちろん日本と同じように全員が手分けして荷物を運んだりしているチームもあったが、ディレクターとおぼしき人が撮影の前も後も手を貸そうとしないクルーも少なくなかった。見るところ、どうも後者の方が圧倒的に多い感じだった。

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前置きがやたら長くなってしまったが、今回のテーマは「エリートの社会・フランス」ということである。

その後、私は製造業における「技術移転」が日本とアジア、そして欧米との間でどのように行われているかを描く番組を制作したこともある。その取材の中で知ったのは、フランスの製造業の世界では、たとえば理工科学校などのグランドゼコールを卒業したエリートたちは工場のラインにまで足を運びたがらないという事実だった。私は取材先に、「管理者が現場を細部に至るまで把握していなくて、ものづくりというものは出来るものなのか」と質問を繰り返したのだが、ある時、ひとりの技術者が「フランスの社会や組織では、エリートとされる人間が現場から遊離しがちだ」という点を認めた上で、次のように切り返してきた。

「あなたは学生時代、勉強は好きでしたか?誰だってそんなものは好きじゃありませんよね。でも人生の中でいちばん遊びたい時期に、誘惑に打ち克って懸命に勉強し、その結果、高い知識、技能、資格を身につけた人間と、そういう努力をしてこなかった人間が、どうして同じ処遇を受けなければならないのですか?もし両者が同じというのなら、その方がよほど逆差別ではありませんか」

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フランスの企業では、cadreと呼ばれる管理職と、それ以外の一般社員や労働者の世界は、処遇の面ではっきりと二分化されている。cadreの中でもグランドゼコールの卒業生は、初めから別格の処遇を受ける。日本の会社だったら、大卒だろうが大学院卒だろうが、新人はすべて現場の研修からスタートするのが常識以前のことだが、フランスではそんなことはまずない。彼等は組織の中に最初から管理者として登場する。ましてやそうしたエリートたちが、工場で働く一般社員と同じ制服を着用することなど、夢にも考えられない。(そもそも制服のある工場などほとんどないのだ。)

日本人にとって技術とは、最新鋭の機械を導入したらたちまち生産効率が上がったり、据え付けたその日から何のトラブルもなく操業や生産が可能になったりするといった性格のものではない。同じ機械を使ったとしても、それを使いこなせるかどうか、それを使って最高の成果を生み出せるかどうかは、使う人ひとりひとりの創意工夫にかかっているのである。そうした考え方は我々日本人にとっては常識以前のことだろう。しかし、そんなふうに考える社会というのは、世界の中では圧倒的に少数派である。

フランスのように組織や社会の中でエリートの存在を認め、それに特別の待遇を約束する社会は、優秀な個人に存分に力を発揮させることができる。しかしそういう社会では、全員が知恵を出し合い、皆で汗をかくことはしばしば困難になる。製造業の世界でもイベントの世界でも、フランス人の考えるアイディアをめぐっては、「着想は素晴らしいが、実行に移していくとなると問題がありそうだ」といった批判がついて回る。大きな計画を実行に移したり、高度なアイディアを商品化したりしていくためには、多くの「普通の人間」の参加が欠かせないのだが、そうしたことは少数のエリートが世の中をリードしていく社会においては期待しがたいだろう。

しかし、そうした点にもかかわらず、フランスの社会からエリートという存在が姿を消すことはないだろう。反発を示すことはあっても、フランス人たちは、普通の人間を含め、本音のところではエリートというものの存在を肯定しているように私には感じられる。

 

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新刊『端倪すべからざる国~メディア・ウォッチャー、フランスを見る~』 河村雅隆著

 

本ホームページに寄稿していただいている河村雅隆先生が新著を出版なさいました。先生から文章を寄せていただきましたのでご紹介します。

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

当フランス語科のHPに連載させていただいている『メディアとフランス』を基に、『端倪すべからざる国~メディア・ウォッチャー、フランスを見る~』(文芸社、1400円税別)という本を出版することができました。「芸術の国、ファッションの国、グルメの国」ではない、したたかな政治大国フランスの一面を、メディアを通して見ていこうと試みた一冊です。

執筆のきっかけを下さいましたフランス語科の先生方に、心から感謝申し上げます。中央図書館にも入れますので、ご覧いただければ幸いです。

2016010319260001

目次

はじめに
第一章 フランスのメディア
第二章 メディアを通してヨーロッパを見る
第三章 フランス語とフランス人をめぐって
あとがき
主な参考文献

 

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署名記事の意味 (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

言うまでもないことだが、欧米の新聞の記事のほとんどは、いわゆる署名記事である。記事のあたまか終りには、それを執筆した記者の名前が示され、取材にあたって協力した人間がいた場合には、その人の名前も明示される。

記事の内容も、事件や事故に関する単なる情報というより、記者がそのニュースをどのようにとらえ、解釈したかということの方に力点が置かれていることが多い。そうした傾向はアメリカよりフランスの新聞の方に顕著だろう。極端に言ってしまえば、アングロサクソンの新聞の記事の多くは5W1Hを備えた文章だが、フランスの新聞の記事はそうはなっていないことが少なくない。

そのように記事の目的が「書き手がそのニュースをどう解釈したか」ということを伝えるということになると、記事はエッセーのような性格を帯びてくるから、自ずと長文にならざるを得ない。私など「さあ読むぞ」と気合を入れないと、一気には読み通せないほどの分量である。1ページ全部がひとつの記事に充てられていることも珍しくないが、そうした記事のスタイルを、高級紙と呼ばれる新聞の読者は許容してきたのであり、その結果、署名記事という「制度」がフランスの新聞では定着してきたのである。

そもそも欧米のメディア、特に活字メディアにおいては、個々の記者は独立した存在であって、そうした記者の集合体が新聞であり雑誌だという考え方が強い。その典型はルモンド紙だろう。2010年に外部の資本によって買収されるまで、ルモンドは「記者会」という、記者の集まりによって経営されていた。この記者会が新聞の株式の多くを保有し、それが新聞の経営者を選任していたのである。したがってルモンドにおいては経営者と記者との関係も、通常の組織における上下関係とは大きく異なっていた。ルモンドは極端な例だが、「個々の記者の集合が新聞である」という考え方がメディアの世界の常識になっているからこそ、その記事を書いたのはどんな記者かということを明示する署名性が重視されてきたのである。

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最近では日本の新聞も署名の入った記事が多くなった。しかしページをめくっていて、これはどうして署名記事なのだろう、と感じさせられることも少なくない。単に5W1Hを報じただけの、業界でいうところの「本記ニュース」や、誰が書いても同じ内容になりそうな「発表原稿」にも、それを書いた記者の名前が出てくる。そうした記事の中には、必ずしも記者の解釈や分析が登場してくる訳ではない。それらの文章を見ていると、編集局は機械的に記事の最後に出稿者の名前を入れているだけなのではないか、という印象すら受ける。

そもそも日本の記者の多くは、ジョブとしての記者職・取材職を選択したというより、○○新聞に「就社」したという感覚の方を強く持っている人の方が多いのではないだろうか。元々日本人は、自分が所属している集団に対する帰属意識のきわめて高い国民性である。もちろんそれは悪いことではない。組織に対する帰属意識や、組織の中での小集団ごとの競い合いが、組織全体を活性化し、トータルなエネルギーを拡大してきたことは否定できない。何を言いたいかと言えば、要はメディアで働く人間や組織の性格が、フランスと日本とではかなり違っているということなのだ。

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個々のリポーターや記者の集合が新聞社や放送局である、という感覚はアメリカのジャーナリストの多くにも共通したものである。そもそもアメリカのメディアにおいて、新聞なら新聞の世界だけ、テレビならテレビだけでずっと仕事を続けてきた人というのは、圧倒的に少数派だろう。ニューヨークやロサンゼルスに本社がある新聞社や放送局で、学校を卒えた後、すぐにトレーニーというかたちで働き始める人もいないことはないが、それはあくまで例外であって、多くの人間は、地方の小さな新聞社やラジオ・テレビ局で仕事をスタートさせ、そこで実績を積み上げてから、大都会のメディアに移ってくるのである。その過程で、新聞社で腕を磨いた記者がテレビ局のニュース部門に移ったり、新聞記者をやっていた人間がテレビのリポーターになったりすることも珍しくないし、企業や官庁の広報部門などを経験したりすることもある。

そうしたモビリティーの高い労働市場においては、その記者が書いてきた署名記事の数と質が、転職にあたってのきわめて重要な指標となってくる。そうした意味でも記事の署名性は大事なのである。これに対して日本の状況は違う。これまで多くの記者は通常、最初に「就社」した会社の中でずっと働くものとされてきた。

もちろん私も署名記事は大歓迎である。たとえ発表原稿であろうと、それをどんな人が書いているのかは知りたい。ただ、ひとつひとつの記事に署名を入れる意味と必然性は、それぞれの国で異なっているのではないかと思う。

 

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ブルカ・ニカブ禁止法制定から5年 (河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

イスラム教徒の女性が着用する衣装に「ブルカ」や「ニカブ」というものがある。これらは目の部分を除く顔のすべてをベールで覆ったもので、どちらも顔の大部分を隠すという点でよく似ているが、ブルカは目の部分の前方も網状の布などで隠しているところがニカブと異なっている。

言うまでもなく顔というのは、人が人と交流するにあたって、最も重要な役割を果たす部位である。中でも目は最も人間の感情を端的に示す部分である。その目が網状のもので覆われてよく見えないのだから、それらの服を着ている人の心中や反応を読み取ることは難しい。ニカブの場合ならかろうじて可能かもしれないが、ブルカの場合、それはほとんど不可能だろう。私自身、ブルカを身にまとった女性と言葉を交わした経験があるが、相手の視線が確認できないので、非常に話しにくかった記憶がある。

これらブルカやニカブはフランス語では総称して voile intégral と呼ばれているが、そうした衣装を公共の場で着用することを禁じる、通称「ブルカ・ニカブ禁止法」と呼ばれる法律がフランスにはある。2015年の秋、フランスのテレビや新聞は制定から5年というタイミングをとらえて、この法律をめぐる問題を取り上げていた。

この「ブルカ・ニカブ禁止法」は2010年、当時のサルコジ大統領の強い働きかけによって成立したものである。サルコジ氏がこの法律の成立を急いだ背景には、2001年にアメリカで発生したイスラム過激派による連続テロ事件の衝撃と、その結果高まった反イスラム感情があった。新しく成立した法律によって、公的な場でブルカやニカブを着用した人は、150ユーロの罰金を課されたり、市民教育を受けることを強制されたりするようになったのである。この「公的な場で」という言葉の意味は、通常の市民生活が展開され、誰もがアクセスできる空間というふうに考えられている。

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フランス人ですら混同しがちなようだが、2010年に制定されたこの禁止法は、それ以前の2004年に制定されていた公立学校におけるベール禁止法とは別物である。2004年の法律は公立の学校内における「これ見よがしの(ostentatoire)宗教的なしるし」の着用を禁じたもので、これはフランス共和国の基本理念である「政教分離(laïcité)」、すなわち「国家の徹底的な非宗教化」をめざしたものだった。2004年法によって公立の学校内においては、イスラム教徒だけでなくキリスト教徒もユダヤ教徒も「これ見よがしの宗教的なしるし」、すなわち自分がどの宗教・宗派に属しているかということを明確に示すシンボルの着用が禁じられた。

日本人にとって、フランスにおける政教分離というのはわかりにくい概念だが、要は「国や公的機関を徹底的に非宗教化することによって、宗教が個人の内面の自由の問題である限り、信教の自由を保障する」という考え方のことである。

公権力が徹頭徹尾、非宗教的であろうとする態度のことをフランスでは laïque という。この単語を辞書で引くと、「聖職者でない。宗教から独立した。世俗の・・・」などといくつもの訳語が出てくるが、要は「政教分離の原則が貫かれていること」というのが、その本義である。

この原則の下では国家は、特定の信仰を有する人間とそうでない人間との間で、一切の差別的な取り扱いをしてはならないし、またどんな宗教に対しても等距離の立場を取らなければならない。このlaïqueということを別の角度から見れば、それは宗教の徹底した「個人化」ということを意味している。つまり、宗教とはあくまで個人の内面にのみ関わるべきものであって、一方国家の側は、宗教が人間の内面にとどまっている限り、それに関与したり、立ち入ったりすることを一切しない、ということなのである。こうした近代国家の原則を、ドイツの法学者、カール・シュミットはニュートラル・ステイト(中性国家)と呼んだが、それはきわめて適切な表現だろう。この原則に立つフランス共和国では公立学校は公的機関に準ずるものとされ、そこでは宗教的なシンボルの着用が禁じられたのである。

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政教分離についての説明が長くなってしまったが、2010年に制定された法律の方は、その政教分離ということを一義的にめざしたものではなかった。法律の提案時、サルコジ大統領は上下両院の合同会議において、「ブルカの着用は女性の自由と尊厳の問題であり、女性の隷属の象徴である」と発言したが、必ずしも政教分離を法律の目的とした訳ではなかった。この2010年法について、フランスの最高行政裁判所であり、政府の諮問機関でもある国務院は、ブルカの着用を一律に禁止することは個人の自由を侵すことになりかねない、という見解を表明したが、サルコジ大統領は反対を押し切って法律を制定させた。

その後、イスラム教徒の女性が「この法律は信教の自由や表現の自由を定めた欧州人権条約に反している」として、欧州人権裁判所に訴えを起こしたが、2014年、裁判所は「顔は社会的な交流において重要な役割を果たしている」として、フランス政府の主張を認めた。

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「法律の制定から5年」というニュースの中で、『ルモンド』(2015年10月17日週間版)など多くのメディアは、この法律の規定と罰則はブルカやニカブの着用を抑えることにはつながっていないと伝えていた。そうした例のひとつとして、ベールを着用して150ユーロの罰金を課された女性に代わって、その支払いを肩代わりする活動を続けているイスラム教徒の男性実業家の話が紹介されていた。彼は、自分たちの行動は自由を圧殺しようとする法律に対する正当な抗議活動だ、と主張しているのである。このように確信犯として法律を無視しようとしている人たちにとって、法律は何の効果も強制力も発揮していない。その一方で右派の共和党の政治家などの中からは、「この法律がきちんと運用されていないことは大問題だ。法律というものは社会のどんな場においても等しく適用されることによって、初めて法律たりうるのだ」という批判の声が上がっている。

2010年制定のブルカ・ニカブ禁止法を適用し、警察が違反者から調書を取ったケースは、同一人物が複数回、法律の適用を受けた例もあるが、フランス全土で2012年には332件、13年には383件、14年には397件だった。そして2015年は9月までの時点で200件。数字だけを見る限り、「違反」の数は少ないのではないかという印象を受ける。しかし、実態は違うと分析する報道も見られた。どうして調書を取った件数がこんなに少ないのかという点について、ある警察の担当者は次のように語っている。

「警察は初めから、『この法律を現実に適用することは難しい』と主張してきた。警察官は、公的な場所でブルカやニカブを着ている人の調書を取る前に、果たしてこの法律を適用すべきかどうか、熟考している。違反が起きた場所がイスラム教徒や移民の多く暮らしている地域である場合は、特に慎重にならざるをえない」

2013年には、移民が多く暮らすパリ郊外のトラップという町で、警察官がニカブを身につけた女性に対し身分証明書を示すよう求めたことをきっかけに、住民の暴動が発生するという事件も発生した。そうした経験から、警察は街中でベールを着用した女性を見掛けても、法律をすぐには適用しようとはせず、話し合いによって解決しようという姿勢を取ることが多いのだという。

またそもそも、ブルカやニカブといった服装は、女性の自由と尊厳を侵しているのか、女性の隷属の象徴であるかどうかという根本的な点についても、フランス国内では疑問の声が聞かれる。ブルカやニカブを着用する女性たちには、最近イスラム教に改宗した若い人たちや、離婚を経験してイスラム教に深く帰依するようになった人たちが多く、男性から強制されて着るようになったという人は皆無だという指摘もなされている。

以上、様々な問題を抱えながらも、2010年に成立したブルカ・ニカブ禁止法はフランスの社会の中で生き続けている。今年11月に起きた凄惨なテロ事件が、この法律の運用をどのように変えていくのか、注目していきたいと思う。

 

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やせ細る欧州の文化活動援助(河村雅隆)

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

クリスマスが近づくと、ニューヨークにあるオーケストラから、「あなたの善意が私たちの活動を支えている」という内容の寄付を求めるメールが届く。NYにいた時、私はその楽団のいちばん安いクラスの年間会員になっていた。登録したデータが残っているのだろう。その街を離れて何年にもなるが、毎年この季節になると、連絡はクリスマスカードのように私の許へやってくる。受け取ったメールを眺めているうち、Big Appleで過ごした懐かしい時間のことを思い出して、毎年、少額の寄付をさせていただく。そういう自分を発見するたび、積極的でシステマティックな募金活動はいかにもアメリカらしいな、と感じてしまう。アメリカでは、個人も寄付(ドネーション)をごく当たり前のように行う。確定申告の際、寄付した金額を所得から控除できるという制度的な裏付けもあって、個人による寄付は社会の中に完全に定着している。

一方ヨーロッパではこれまで、個人による小口の寄付の習慣がアメリカほど定着してこなかった。伝統的に欧州には、「文化とは経済的な尺度で測りにくいものだ」という考え方が根強く存在している。通常の商品やサービスの場合、どんな商品やサービスが選択されて、生き残っていくかを決定するのは市場だが、「文化活動については市場による選択というやり方はなじまない」と多くの人たちが考えてきた。文化活動は商品ではないのだから、多くの人が選ぶものではなくても社会にとって必要な活動は存在するし、それに対して国や自治体が援助するのは当然だ、と考えてきたのである。そのような考え方に基づいた公的援助は文化団体の収入の大きな柱となってきた。

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ギリシャやポルトガルなどの財政危機以来、ヨーロッパの各国政府は支出の削減を政策の前面に打ち出している。フランスのオランド大統領は就任直後こそ、財政出動をてこに経済の活性化を図る方針を明言していたが、その後、政府主導の景気刺激策は尻すぼみの感が否めない。欧州各国は支出のカットに躍起になっており、長年行われてきた給付や慣行を次々に見直している。文化的な活動に対する補助金のあり方もあらゆる場で再検討されており、メディアでは文化活動に対する援助の削減や廃止の問題がよく取り上げられる。

イタリアではミラノの歌劇場スカラ座に対する政府からの援助が大幅に減らされ、年間900万米ドルもの資金が不足する見込みになったという。オランダでは芸術活動に対する国の援助が25パーセントも減額された。

これまで公的援助に頼る収入の構造が出来上がってきただけに、公的援助の削減は文化団体にとってきわめて大きな痛手となっている。援助の急激な削減に対しては、文化団体や市民による見直しを求める集会やデモも行われている。掲げられたプラカードには、「芸術は未来への投資だ」とか「我々はオペラに行く権利を持っている」といった文字が躍る。

しかし財政の悪化は、国や自治体が文化活動や団体に対して、これまで通りの支援を行うことをきわめて難しくしている。ドイツやフランスでは文化活動に対する援助は、国のイメージを高めることに直接つながるような分野、例えば映画などに集中させていったらどうかといった議論が現実のものとなっている。

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こうした公的補助見直しの影響をいちばん受けているのは、小さな、実験的な活動を行う劇団や団体だと言われている。大きな劇団やオーケストラや美術館などは一定の支持層と財政的な基盤を持っているのに対し、そういったものを持たない小さな団体にとって、支援の削減は特に深刻な打撃である。

もちろん伝統を誇るオーケストラだって大変である。景気の良かった時代、公演旅行でアメリカの東海岸を訪れたヨーロッパの楽団は、さらにそこから中西部や西部まで足を伸ばすことも珍しくなかった。しかし、最近ではそういったことはめっきり少なくなった。アメリカ各地を回る日程を組むためには、欧州のオーケストラはアメリカにおける興行のパートナーから一定の収入の保証を求められることがあるが、そうした負担に耐えられるヨーロッパの楽団はごく限られている。

またヨーロッパでは、演劇の演目の選択にも変化が現われていて、大人数の人間が登場する舞台より、登場人数の限られた芝居の方が、予算面の事情からよく上演されるようになっているのだという。

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これまでアメリカでは、個人以外の法人もメセナというかたちで社会貢献を行うのが当たり前のことになってきた。もちろん景気が良かった時代ほど盛んではないが、それでもメセナの伝統は消えてはいない。今やヨーロッパの文化団体は海を越えてアメリカ企業や財団のメセナに殺到しており、限られたパイを巡ってアメリカの文化団体と激しい競争を展開している。

先日、文化活動を行っているアメリカ人の知人と再会したが、彼のところには最近、ヨーロッパの文化団体から「どうすればアメリカの企業や財団から援助を得ることができるか、教えてくれ」という問い合わせが寄せられているのだという。ニューヨークのオーケストラへの送金手続きをしながら、「そんなものがあったら、こちらが教えてもらいたいくらいだよ」と苦笑していた彼の表情を思い出した。

 

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