飯野和夫(フランス思想、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)
2015年9月、私は名古屋大学の協定校であるエクス・マルセーユ大学の「言語・文学・芸術大学院博士課程 École Doctorale Langues, lettres et arts 」に一カ月間の招へい教員として招かれた。この大学院のある、南仏プロヴァンス地方の都市エクサンプロヴァンス Aix-en-Provence (<プロヴァンス地方のエクス> の意、以下、エクス) で9月のほぼ全期間を過ごし、この大学院の教員と研究交流の打ち合わせをし、セミナーに出席し、講演を行った。この文章では、滞在中の経験も交えて、エクスというフランスでは有名だが、日本ではあまり知られていない町を紹介したい。
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エクスは現在、人口14万人ほど。この町の起源は、紀元前123年にローマの執政官セクスティウス・カルウィヌス Sextius Calvinus によって宿営地が設けられたことに遡る。湧き水の多いこの地は Aquae Sextiae (セクスティウスの水) と呼ばれ、このアクアエが訛ってエクスとなったとされる。12世紀末(1189年)にプロヴァンス伯爵領の首都となり、15世紀初頭(1409年)には教皇の勅許を得て大学も設置され、文化と学術の中心地としての道を歩み始める。1486年にプロヴァンスはフランス王国に併合されるが、1501年にはフランス国王ルイ12世によってプロヴァンス高等法院が設置された。このようにエスクは格式ある歴史を持つ町である。
私はプロヴァンス地方は初めての訪問だ。この地を訪れると風景がクリーム色あるいは淡い山吹(やまぶき)色の色合いを帯びていることが印象的である。自然の崖や、人の手によって切り開かれて崖状になったところでは必ずクリーム色の岩肌がむき出しになっている。土の色も、雨が少ないことも関係しているかもしれないが日本の土よりやや白っぽく感じる。街路樹として多く見かけるプラタナスの幹がやはり白っぽい部分を持つことも、この土地の色彩上の印象の形成に与っている。そして、特にエクスは、建物も大半がクリーム色や淡い山吹色だ。天然石の建物の色もそうだが、石造りの古い建物を補修して色を塗る場合も、また、コンクリートブロックのようなもので新築される民家も外壁はこの系統の色を基調にしている。こうしたクリーム色系の色のグラデーションの端に、建物の屋根の西洋瓦の赤みの入ったオレンジ色が来ることになる。
クリーム色の岩肌
気候だが、私の滞在した一カ月間は結局「まだ盛夏」という印象だった。月の後半になると、夜はかなり涼しくなったが、昼間は気温が上がった。ミストラル〔ローヌ川沿いに地中海に向けて吹き下ろす、冷たく乾燥した強い北風〕という言葉は9月上旬からメディアで見かけ、9月23日には本格的なミストラルが吹き、かなり冷え込んだ。しかし、その後また暑さが回復した。結局、9月初めの最高気温が30°C くらい、9月末で26°C くらいだった。また、降雨は極めて少なかった。ほぼ一カ月の滞在中、本格的に雨が降ったのは一晩だけだった。
南仏のプロヴァンス地方、そしてコートダジュール地方にはリゾートが数多いが、その中でもエクスは有力な土地のようだ。9月初めにエクスに入った時は、いまだヴァカンス真っ盛りといった風情で、町全体が祝祭のような雰囲気だった。この時は私としては、学校も新学期を迎え、人出は9月中に減っていくのではと予想していた。しかし、結局エクスの町は、9月末に私がエクスを離れるまで人出の目立った減少はなかった。当地の人に聞いたところでは、10月半ばになると冷え込むようになって、さすがに人出は減るそうだ。しかし、冬を過ぎて3月半ば頃からはまた人出が戻るのだそうだ。訪れる人は、7月・8月のヴァカンスの盛期は文字通りのヴァカンス客(仕事の休暇を取って訪れる人)が多く、その前後は仕事をリタイアした人たちの訪問が多いとのことだ。また、最も暑い8月は、エクスには海があるわけではないので、ヴァカンス客はむしろ海岸の保養地を好むとのことだった。
行楽客で賑わう旧市街の広場
プロヴァンス地方には、世界文化遺産が四つある。登録順に、オランジュのローマ劇場と凱旋門、アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物、ポン・デュ・ガール(ローマ時代の水道橋)、アヴィニョンの歴史地区だ。エクスには、これらに匹敵する旧跡は残っていない。古代劇場もあったようだが、その後の町の再編成の中で取り壊されたようだ。しかし、古い町並みはかなり広範囲に残っており、エクスの売り物はむしろこの町(旧市街)自体、その雰囲気全体なのであろう。世界遺産クラスの旧跡も、一度訪れてしまえば、その旧跡自体に何度も通う意味は減っていく。また、旧跡を有する町も、京都やパリのように、見るべき旧跡が多数存在するというわけではない。結局、町全体の魅力が問われるならば、エクスは今名前を上げた各地に匹敵し、凌駕さえするということのようだ。アルル、アヴィニョンはどちらもエクスからバスで一時間ほどで行くことができ、私も9月末に訪れた。9月末というヴァカンスの盛期を外れた時期での比較ではあるが、人出はむしろエクスの方が多かった。
旧市街の繁華街
エクスの町の中心部は環状の道路(反時計回りの一方通行)に囲まれている。その道路が作る円の直径は1 km に満たない程度である。この道路は、かつて町を取り巻いた城壁を19世紀に取り壊して作られたとのことだ。この町の中心部のやや南寄りを東西に、町のメインストリートであり、17世紀に馬車用舗装路として作られたというミラボー通りCours Mirabeau が貫いている。この道の北側はいわゆる旧市街 Vieil Aix で古い町並みが保存されている。南側はマザラン地区 Quartier Mazarin と呼ばれ、かつての貴族たちが館を構えた地区であり、こちらも革命前に遡る歴史を持っている。旧市街の多くの街路は、道が狭いこともあり、住民の車と荷物搬入のための車以外は進入できない。その結果、親しみやすい通りが面として広がり、旧市街全体が歩行者天国のようになっている。環状道路の内側が古いまま保存されている分、現代的なホテルなどはこの環状道路の外側に立地しているようだ。多くの観光客が車で来るようだが、彼らはそうしたホテルに車を置いて、歩いて旧市街を観光をすることになる。
町のシンボルの大噴水。西に位置するバス・ステーションや鉄道駅から
町の中心部に向かうとこの噴水が迎えてくれる。噴水の向こう側が町の中心部。
大噴水を越えると町のメインストリートであるミラボー通りCours Mirabeau に
入る。左側が旧市街、右側はマザラン地区。
環状道路の一部をなすセクスティウス通り Cours Sextius. 右が旧市街側。
車止め。カード式の許可証を道路脇の機械 (写真には写っていない) に認識させると
車止めが下降して車が通れるようになる。また、エクス旧市街の多くの道路は、
中央が低くなって雨水などを集める伝統的スタイルをとっている。
旧市街は、入り組んだ狭い道のそれぞれにファッションの店やみやげ物店が軒を連ね、上品なショッピング街になっている。ファッション関係のブランドショップも多い。有名ブランドがプロヴァンス地方に出店する場合、近隣の大都市マルセーユ(距離にして33km, バスで30分ほど)よりエクスが優先される場合があるようだ。マルセーユから、ブランド品を求めてエクスに買い物に来る人たちがいるとのことだ。ただし、2014年5月にはマルセーユのウォーターフロントにブランドショップも含む大型ショッピングモール “Les Terrasses du Port” が誕生したので、こうした状況が変わっていく可能性はある。付言すれば、エスクは多くの訪問者を集め、彼らが落とすお金で潤っており、マルセーユはその豊かさを当てにして、エクスと協力して政策を展開したがってきたとのことだ。なお、マルセーユとエクスは都市圏を作っているとされるが、実際には両者の間は民家も途切れて森が広がっており、日本人がイメージするような連続的な市街地を形成しているわけではない。
しゃれた店が古い建物を改装して入っている
噴水があり、カフェの屋外席で人がくつろぐ旧市街の一角
旧市街の裏道
エクスの旧跡は小粒だが、町の中に溶け込んで存在している。2世紀にまで起源を遡るというサン・ソヴール大聖堂 Cathdrale Saint-Sauveur には、ニコラ・フロマンの『燃ゆる茨』(Wikimedia による画像) の三連祭壇画があり(教会内の小礼拝室にあるが、残念ながら近くには寄れず、暗くて見にくい)、中庭の回廊もすばらしい。街の中にはローマ時代まで遡るであろう泉がいたるところにある。旧市街の北の外れにはローマ時代の浴場 Thermes Sextius の遺跡もある。ただし、現在、遺跡の土地は民間資本が所有し、遺跡も利用して「温泉リゾート」として営業している。敷地内に入って写真撮影程度はできるが、遺跡の間近まで行くことはできない。浴場遺跡はアルルにもあり、こちらはエクスのものに比べて大きく保存状態もよく、中まで入ることができる。やはり旧跡の点ではエクスは他の都市の後塵を拝してしまう。なお、この浴場遺跡のそば、旧市街を出たところにはパヴィヨン・ドゥ・ヴァンドーム Pavillon de Vendôme という17世紀の貴族の館がよい状態で残っている。
サン・ソヴール大聖堂 Cathdrale Saint-Sauveur
回廊
Pavillon de Vendôme
一方、マザラン地区には、18世紀の貴族の館を改修したコーモン美術センター Caumont centre d’art が最近開館した。この建築も Pavillon de Vendôme と同様にかつての貴族の生活を偲ばせる。グラネ美術館 Musée Granet も収蔵作品の数は多くないが楽しめる。ただし、エクスはセザンヌの故郷であることを強調しているものの、現在エクスに残されているセザンヌ成熟期の油彩画は、残念ながらごく小さな一品だけだ。後述するセザンヌ晩年のアトリエにも油彩画は残されていない。(他に、セザンヌの初期のアトリエが残っており、ここでは初期の壁画も見ることができるようだが、私は訪れることはできなかった。)
セザンヌ晩年の小品 (Musée Granet)
こちらはアングルの大作 (Musée Granet)
ピカソ (Musée Granet 別館)
私は滞在の最初の一週間ほど、サン・ソヴール大聖堂のすぐそばの旧市街のアパルトマンを借りた。日本で言う一階だったが、居間の壁は元はローマ時代の城壁だと大家は言っていた。真偽のほどはわからないが、そうである可能性はあると思う。建物も大革命以前からのものだとか。また、このアパルトマンから50mくらいのところの狭い道路で、水道かなにか工事をしていたのだが、私が何気なく工事の穴をのぞくと、工事の穴の底の方に横穴が口を開け、横穴の壁は石積みになっている。何かと思っていたら、近くに住む女性が、サン・ソヴール大聖堂からの地下の抜け道で、ローマ時代のものだと教えてくれた。確かに サン・ソヴール大聖堂は2世紀に建立されたとも言われるらしいが、年代はともかく地下道であることは間違いなかった。公開されている様子はないので、こうしたものを見られたのは運がよかったのかもしれない。
工事の穴の底の方に横穴。ローマ期の抜け道?
現代のエクスは学生の町でもある。エクス・マルセーユ地区の大学は豊かな歴史を持ち、フランスの有力大学の一角を占めてきた。ちなみにフランスの大学はすべて国立である。2012年には、この地区の三大学が合併し、エクス・マルセーユ大学という、学生総数8万人というフランスさらにはフランス語圏で最大の大学が発足した。この内、法学部、文学部、経済学部などの文系学部のキャンパスはエクス中心部の南側、環状道路から徒歩でも10分から10数分のところに互いに近接して置かれている。大学以上の格を持つとされる高等教育機関グランドゼコールの一つであるエクス政治学院 (Sciences Po Aix) は旧市街の古い建物を校舎にしている。学生は品格ある文化の町エクスを構成する極めて重要な要素となっている。なお、私は、やはり市の南部にあり、各学部のキャンパスにも歩いて通える「大学都市 Cité universitaire 」の学生・教員用の寮で滞在期間の大半を過ごした。ここには学生食堂が併設されており、ここで生活している学生に限らず、一般の学生が昼食や夕食をとりに訪れる。安価な学生料金で食事ができるため、特に昼食時は多くの学生が列を作る。
法学部。大学の校舎は基本的に近代建築だが、この校舎は伝統を取り入れた
デザインになっている。
旧市街を出て北方に 1 km もいかない所にセザンヌ晩年のアトリエがあり公開されている。そこからさらに 1 km ほど坂道を登ると、セザンヌがサント・ヴィクトワール山 Montagne Sainte-Victoire (1011 m) を描いていたという高台につく。市内からはふだんこの名高い山を見ることはできないが、私はここからようやく眺めることができた。
エクスは現在はリゾートとなっていることは事実だが、歴史と文化を感じることのできる美しい町であり、多くの学生に混じって勉学に励むのに好適な環境を提供してくれている。
サント・ヴィクトワール山(望遠レンズによる撮影)