2014年度ストラスブール研修概要

2014年度ストラスブール研修の2014年度研修概要です。

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2015年度後期フランス語中級授業のクラス分け〔10月1日 (木) 1限〕について

10月1日(木)1限にクラス分けを行います。月曜1限の授業の受講を希望する学生も必ずこのクラス分けに参加して下さい。
当日は、クラス分け作業のために、中級の5つの授業のそれぞれに1教室が割り当てられます。受講生は、各授業の内容等を事前にシラバスで確認し、第一希望の授業に割り当てられた教室↓に8時45分に集合して下さい。

月曜1限 飯野先生の授業の受講希望者:教室は後日発表
月曜1限 奥田先生の授業の受講希望者:教室は後日発表
木曜1限 藤村先生の授業の受講希望者:CALL2
木曜1限 田所先生の授業の受講希望者:CALL4
木曜1限 Baumert先生の授業の受講希望者:C20

特に月曜1限の授業の受講希望者については、上記のクラス分け作業の教室は、月曜1限に実際に授業が行われる教室とは一致しない可能性もありますので、注意して下さい。
受講希望者が定員を超えた場合には、受講調整を行います。当日各教員の指示に従って下さい。
不明な点等がある場合は、フランス語科主任 新井美佐子先生宛
arai@nagoya-u.jp
連絡して下さい。

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研修 2015春 pdf版

第2回目の「ストラスブール短期フランス語研修」が2015年3月上旬に実施され、19名が参加しました。フランス語を履修中または履修済の名古屋大学学部1,2年生に参加の資格がありました。昨年度からこの研修は、「文化事情(フランス)2」という名称の授業として行われ、帰国後、参加者にはレポートが課されます。レポート提出者のうち17名から、HP上での公開の許可を得たので以下に掲載します。

様々な学部から研修に参加した学生たちの成果をお読みください。また、特に学部1、2年生のみなさんは2016年春の参加を考える材料にしてください。(学年は研修参加時のものです。)

レポート題目
1. ストラスブールで学んだ、あるいは獲得した3つのこと (日本語2,000文字)
2. ストラスブールで驚いた3つのこと(フランス語300語)

  1. 秋山暁 (文学部1年) (日本語版(jp))
  2. 木村友 (文学部1年) (日本語版(jp)フランス語版(fr))
  3. N.S. (文学部1年) (日本語版(jp))
  4. 松山美咲 (文学部1年) (日本語版(jp)フランス語版(fr))
  5. Y.Y. (文学部1年) (日本語版(jp))
  6. Y.G. (文学部2年) (日本語版(jp))
  7. 服部諒太 (文学部2年) (日本語版(jp)フランス語版(fr))
  8. K.A. (教育学部1年) (日本語版(jp)フランス語版(fr))
  9. 野々村陽 (教育学部1年) (日本語版(jp)フランス語版(fr))
  10. 原雅人 (経済学部1年) (日本語版(jp)フランス語版(fr))
  11. 橋本志津弥 (理学部1年) (日本語版(jp))
  12. 寺島まり絵 (医学部2年) (日本語版(jp)フランス語版(fr))
  13. 石田彩乃 (工学部1年) (日本語版(jp)フランス語版(fr))
  14. Y.Y. (工学部1年) (日本語版(jp)フランス語版(fr))
  15. 森下貴都 (工学部2年) (日本語版(jp))
  16. 今枝紘樹 (農学部1年) (日本語版(jp))
  17. 西山晋平 (農学部1年) (日本語版(jp))

2014年度研修概要

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河村雅隆: フランス語音楽割り当て制度

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

外国に行く時、必ず持っていくものがふたつある。ひとつは世界史の年表。博物館などに行った日の晩、宿のベッドに寝っ転がって、年表を横に辿っていく。昼に見た文物のことを思い出しながら、それらが作られたのと同じ時期、世界の他の地域ではどんなことが展開していたのかを眺める。それは自分にとって至福の時間である。

もうひとつ携行するのは短波も聞けるラジオ。これは元々、短波の国際放送がどんな状況で受信されているのかを現地でチェックするためのものだったが、近年、国際放送はインターネット経由の配信が主流になって、わざわざラジオを持参して確認する意味は少なくなった。それでも持って行くのは、外国でその国の中波の放送を聞いていると、何となくそこで暮らしている人たちに近づけるような気がするからだ。

そうやって聞いていて、自分の知っている曲が流れてくると、何とも言えない気分になる。昔、向田邦子さんが、外国のホテルでクラシックの音楽が流れてくるのを耳にして、「ああ、自分が勉強してきたことは間違いじゃなかったんだ」と思った、と書いていた。私は向田さんよりずっと後の世代だが、その気持は分かるような気がする。こういった感じは、衛星放送やインターネットを通して流入する生の情報に日々接している今の若い人たちには理解できないだろう。

* *

どこの国のラジオを聞いても多いのは音楽番組である。音楽の間におしゃべりをはさむディスクジョッキーというスタイルなら制作費もそれほど掛からないからだろう、そうした形式の番組は非常に多い。

フランスのラジオもディスクジョッキー番組は多く、流れる曲の中には英語の歌詞による音楽や、イギリスやアメリカで作られたと思われる音楽も少なくない。ただ、ニューヨークなどでは英語以外で曲目を紹介し、流される音楽もことごとくエスニックというラジオ局がそれこそ無数にあるのに対し、フランスでは、音楽も紹介のコメントも全部フランス語というラジオは聞いたことがない。実はそうしたことの背景には、放送に関するひとつの規制が存在しているのである。

言うまでもなくフランスとはフランス語という言語を非常に重視し、誇りにしている国である。道を聞こうと英語で話し掛けたら、返事もしてくれなかったが、フランス語で声をかけた途端、たちまち笑顔が返ってきたなどという経験をした方は多いだろう。そうした傾向は昔より弱くなってきたとは言っても、フランス人の自国の言語へのこだわりは現在も強烈である。

しかし、今やフランスは国内に多くの民族、宗教、人種の人たちを抱えるようになった。国民国家の祖国フランスの悩みや問題については、以前このHPでも触れたが*、フランスは国内に様々な構成要素を抱えながらも、共通言語としてはフランス語をきわめて重視し、それを国民統合の象徴と見做してきた。大量に流入する英語に対する危機感も、もちろん大きかった。
* 『レジスタンス活動家のパンテオン顕彰』(2014.5.20) など

そうした国家意思と危機感を法律というかたちで固定したのが、1994年に成立したトゥーボン法である。当時の文化相ジャック・トゥーボンの名前を冠し、「フランス語使用法」とも呼ばれるこの法律は、フランス語の浄化、具体的には英語の使用をフランスの社会で極力少なくすることをめざしたものだった。これによってフランス国内で行われる国際会議、広告、交通機関の標識、金融などのサービス部門、製品の使用説明書、国内におけるテレビやラジオの放送、学会、デモ、レストランのメニュ-など、公共の性格を持った場では、フランス語の使用を原則として義務づけられた。いかにもフランス的なのは、デモの場においても(!)プラカードや幕の表示に関し、フランス語による表示を義務づけているという点である。ちなみにこの法律がトゥーボン法と呼ばれるようになった理由のひとつは、その音が Tout bon と同じだからということだったそうである。

このトゥーボン法はフランスの社会に非常に大きな影響を与えた。放送の世界では1996年、トゥーボン法の趣旨を受けるかたちで、フランス語の歌詞のついた音楽に特別な地位を与えようという政策が導入された。

* *

現行のフランスの放送法は第28条において、「ラジオ放送で、聴取率の高い時間帯(注:午前10時~午後10時とされる)に放送される番組のうち、ポピュラー音楽で構成された部分について、フランス語表現の音楽作品は最小限40パーセントに達しなければならない」と明記している。「クォータ規制」と呼ばれる制度だが、具体的にこれはどのように運用されているのだろうか。

フランスには、放送関係の規制・調整を行うCSA(視聴覚高等評議会)という、独立の行政機関(委員会)がある。全仏に1500以上あるラジオ局は、放送の15日前までに番組の編成表を、このCSAに提出しなければならない。CSAはこの表に基づき、音楽番組をモニターして放送された時間量を積算し、悪質な「クォータ規制」違反に対しては警告などを発し、規制を遵守するよう求めるのである。

この他、CSAはラジオ局の放送するフランス語のポピュラー音楽の50パーセント以上は、最新のプロダクションか、あるいは新人の歌手によって作られたものでなければならない、という独自のきまりも定めている。こうしたことから、CSAには、フランス人のアイデンティティと文化を守りたいというねらいとともに、国内の音楽産業を保護し育成しようとする意図があることは明らかだろう。現実に1990年代、クォータ規制の導入によって、フランスの音楽産業はCD販売におけるシェアを拡大し、息を吹き返したのである。

一方、ラジオ局はと言えば、フランス語音楽の割り当て制度に対し、長年にわたって反発し続けてきた。ラジオを聞く若者の多くは、アメリカなど最新の音楽を好むから、フランス語の音楽を強制的に割り当てる制度は、ラジオ局にとって営業妨害としか映らなかったのである。

* *

もっともこのクォータ制度は、その時々のCSAや政権の意向によって、運用の厳しさにかなり温度差があったと言われている。私はフランスの放送関係者から、過去において、CSA(視聴覚高等評議会)は必ずしも厳密なかたちでルールの適用を求めなかった時期もあった、という話を聞いたことがある。

サルコジ大統領の時代になるが、2011年、視聴覚高等評議会がクォータ制度の厳格な適用をラジオ局に対して、突然求めるという出来事があった。音楽産業は高等評議会のこの方針を支持したが、当然のことながらラジオ局は激しく反発した。主要なFMラジオ局は共同で声明を発表し、「高等評議会はラジオ局を過度に監督しようとしている」とその姿勢を強く批判し、あわせて音楽産業に対しても、「彼等は自分たちの利益のために規制を強化させようとしており、政界や視聴覚高等評議会に対して不正な働きかけを行っている」と激しい非難を加えた。

一方、ミュージシャンなど実演家で構成される団体の方も、新作の音楽をラジオ局が放送した実績を独自に調査し、発表した。それによれば、最近では新しくフランス国内で出された音楽がラジオで紹介される回数が、年々低下してきているというのである。

現在、クォータ規制について、フランス国内では目立った論争は起きていないようである。しかし、この問題はまたいつ何時再発するかもしれない。旅人にとっては楽しく聞かせてもらうだけのラジオだが、その背後には政界、経済界の様々な利害が渦を巻いているのである。

 

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オンライン教材 フランス語基本単語(試作版)

名古屋大学 教養教育院 学習環境開発部門によって開発された、フランス語の基本的な単語・表現を学ぶための教材です。

スマホでもPCでも学習できますので、是非、活用してください。
フランス語の各種初級教科書に現れる単語はこの教材には収まりきりません。教科書に現れる単語を覚え、この単語表で補うとバランスのいい語彙力を形成することができるでしょう。
QRcodeFrenchVocab

PCはこちらをクリックして開始。スマホは右のQRコードをお使い下さい。
http://nuact.ilas.nagoya-u.ac.jp/tool/user/french/top/index.html


使い方、注意事項

(1) 使い方は、Home 画面右上の “Help” ボタンを押すと読むことができます。ヴィデオによる解説もあります。
(2) 単語および例文の読み上げ機能があります。スマホでは、iOS7 以上の iPhone や iPad、Android では Chrome の最新版で機能します。パソコンでは、Windows なら Chrome の最新版、Mac なら Chrome のほか Safari6.1 以上でも機能します。IE や Firefox、古いスマホでは機能しません。
(3) 形容詞名詞で男女両形を持つもの男性形(基本形)のみ見出しにしています。注意して下さい。

各単語の補足説明について
(1) 各単語の補足説明の中の「品詞等」の欄では、品詞の指示に加えて、-er動詞以外の動詞について活用のタイプを示しました。不規則動詞では、同変化の代表的動詞を示した場合もあります。
(2) 同じく「英語/備考」の欄には、フランス語の各単語に対応する英単語を示しました。また、( )内には、当該のフランス語単語と語源的に関連のある英単語 を示しました(品詞や意味はフランス語単語とは一致していません)。この欄ではまた、「→」のしるしで関連するフランス語を指示しました。
(3) 動詞の補足説明においては任意に例文を掲げました。

本教材作成の原則
本教材は、2005年に飯野和夫と細井綾女が作製した「フランス語基本語彙1063」をベースにしています。本教材では、一つの単語が複数の品詞に分類される場合は品詞ごとに取り上げため、本教材の総項目数は1095になっています。
2005年に作成した「基本語彙」は “Gougenheim 2.00” というフリーのフランス語会話データベース http://www.lexique.org/public/gougenheim.php をもとにしました。このデータベースはパリ第五大学が運営する ”Lexique2” http://www.lexique.org/ というインターネット上のフランス語関連のデータベースサイトに収められています。もとは Georges Gougenheim が 『フランス語基本辞典 Dictionnaire fondamental de la langue française 』(1958) を編纂するに先立って行なった会話フランス語についての調査です。本語彙表の作成に当たっては、原則としてこのデータベースの出現頻度20以上の単語を収録しました。本学でフランス語を学ぶ学生にはこのレベルまでは知っておいてほしいとの判断によります。ただし、現代では使用頻度が減少していると判断される若干の単語は省くなど、必要な修正を加えました。
このデータベースでも単語は品詞別になっていますが、あらためて品詞分類をチェックし、日本語訳を加えました。日本語訳の選定に関しては特に『新版 朝倉 フランス基本単語集』朝倉季雄著、白水社、1988/2003 を参考にしました。フランス語の各単語に対応する英単語の選定に当たっては特に『アポロ仏和辞典』角川書店、1991 を参照しました。本語彙表の作成に当たってはその他にも多くの文献を参考にしました。

2015年5月、飯野和夫(名古屋大学教養教育院フランス語科)

 

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河村雅隆: 放送、ドゴールの呪縛

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

フランスにおけるメディアと政治の関係を見ていると、第5共和政・初代大統領、ドゴール (Charles de Gaulle, 1890-1970) が果たした役割と彼の敷いた路線が、今日まで如何に大きな影響を与えているか、ということを痛感させられる。一言で言ってしまえば、フランスでは政治とメディアの距離はきわめて近いのだ。そうしたメディアの性格はドゴールの時代も現在も本質的には違わない。

例えば2009年、オランド現大統領の前任者であるサルコジ大統領は放送法を改正し、公共放送・フランステレビジョンのトップは大統領が直接指名することを決定した。その後、オランド大統領の下で大統領の権限は見直され、指名権はCSA(視聴覚高等評議会)に戻されたが、サルコジ氏の例からも窺われるように権力は常にメディアの各所に自分たちの息のかかった人間を配置しようと試みるし、新聞や放送を見る側も、そうしたことを承知の上で毎日のニュースに接している。

そもそも権力と政治との関係はメディアにとって永遠の課題である。アジアにおいても、例えば中国ではジャーナリストは純粋な報道人と言うより、何よりも「権力に近い存在」と世間も記者自身も考えているふしがあるが、フランスにおいてもメディア、特にその幹部に関しては似たようなところがあるように思う。

* *

ドゴールがフランスという国家の全権を握ることが出来たのは、1950年代から60年代にかけて、フランスでは北アフリカの植民地・アルジェリアをめぐって国論が二分し、国家が分裂寸前の状態にまで至っていたからである。その危機を救ったのがドゴールだった。彼は議会からいわば全権を委任され、共和国の再建をめざしたのである。

19世紀以降、フランスはアルジェリアを支配し、そこに3つの直轄県を置いて本国の一部としていた。アルジェリアは、アフリカやアジアに保有するフランスの広大な植民地の中で最も重要な地域だった。

しかし第二次世界大戦が終結すると、アルジェリアでは独立を求める動きが急速に高まり、宗主国に対する抵抗運動が拡大した。それに対し第4共和政下のフランス政府は、運動をひたすら力で押さえ込む姿勢を崩さなかった。地中海を挟んだ対岸のアルジェリアはフランスに近く、本国はそこにあまりに多くの利権を有していたからである。

このHPの『レジスタンス活動家のパンテオン顕彰』についての回でも書いたように、フランスは第二次世界大戦において、実はドイツに完敗した敗戦国だった。しかしそのフランスは、アメリカを中心とする連合国によって解放された途端、一転して戦勝国となった。戦後発足した国際連合の中でフランスは常任理事国の座を確保できたし、ドイツの中の、例えばベルリンにはフランスが統治する地区まで獲得したのである。

今日、多くのフランス人の頭に残っている大戦のイメージとは、大西洋を越えてやってきたアメリカ軍と内からのレジスタンスが呼応して、ナチスドイツは駆逐され、祖国は解放された、というくらいのものではないだろうか。敗戦国だったのに、自分たちは敗れたとは一向に感じていないらしいフランス人のメンタリティは、第三者から見ると摩訶不思議だが、1950年代前半、ヨーロッパに長く滞在した竹山道雄氏の『フランス滞在』(『ヨーロッパの旅』の一章)には、当時のフランス人の自負と、その一方での社会の混乱が鮮やかに記録されている。

大戦の終結後、戦前の植民地帝国が復活したぐらいにしか考えていなかったフランス人たちの前に突き付けられたのがアルジェリア問題だった。「戦勝国」フランスの肩に、植民地の問題をどう処理するかという重荷が残されたのである。この問題をめぐって第4共和政下の内閣は、独立運動を弾圧する以外の対策を見出せなかった。議会では小党が乱立し、有効で確固たる方針を打ち出すことが出来なかった。そんな中、徴兵されてアルジェリアに行かざるをえない若者の間から不満と怒りの声が上がった、その時代の感情は、映画『シェルブールの雨傘』などに明らかだろう。

独立運動を力で抑えようとする政府の方針をめぐって、フランス国内の世論は分裂した。左派陣営や知識人の多くはFLN(アルジェリア民族解放戦線)を支持し、人権の祖国・フランスが北アフリカで「汚い戦争」を続けていると、政府を糾弾した。一方、右派や軍部は国家の威信と利権の維持を主張し、国論は文字通り真っ二つに割れた。1958年5月、事態はアルジェリアに駐留するフランス軍が本国のコントロールを拒否するという事件にまで発展し、フランス共和国は崩壊寸前の状態に陥った。

ここはアルジェリア問題を論ずる場ではない。しかし、ドゴールが絶対的な国家元首の座を占めるようになるまでの事情に触れないと、彼が就任後なぜメディアを重視したのか、そしてそれがその後の政治とメディアの関係にどのような影響を与えたかについて述べることができないので、もう少し続けさせて頂きたい。

この国家崩壊の危機に際し、国を救うことができる唯一の人物として白羽の矢が立ったのがドゴールである。軍人だったドゴールは第二次大戦中、ロンドンに亡命し、そこで臨時政府「自由フランス」を組織した。パリ解放の後、彼は第4共和政の下で故国の首相の座に就くが、現実政治の煩わしさに愛想を尽かし、わずか半年で首相の座を降り、1958年当時は事実上の隠遁生活を送っていた。そのドゴールしか軍部を抑えることのできる人物はいない、と誰もが考えたのである。

ドゴールはまた戦時中、BBCのラジオ国際放送を通して、英国からフランスの人々にドイツに対する抵抗を呼び掛けた経験を持っていた。そのことは、戦後フランス人の間で神話となっていたし、ドゴール自身、その神話を事あるごとに利用しようとした。ロンドンからラジオ演説を行った体験は、ドゴールに放送というものの影響力を認識させ、そのことは政権を握った後、ラジオやテレビをきわめて重視する姿勢へつながっていくことになる。

1958年6月、首相の座に就いたドゴールは9月、新しい憲法を国民投票によって承認させた。いわゆる第5共和国憲法である。新しい憲法はアルジェリア危機を収拾させるために、大統領にきわめて大きな権限を与える内容だった。次いでドゴールは、国会議員や地方議会の議員などから成る選挙人団の圧倒的な支持を得て大統領に選出され、アルジェリア危機を収束させるための全権を手にしたのである。

ここで注目すべきは、ドゴールを大統領に選出したのは国会議員や地方議員を中心とする選挙人団であって、国民の直接選挙で新大統領が生まれたのではない、という点である。つまり、立法府は自らの権能を手放すかたちで、強い大統領を誕生させたのである。なぜ議会がそのようなことを容認したかと言えば、この時点、フランスでは、アルジェリアをめぐる問題の処理がすべてに優先されたからである。

しかし、議会の権能を奪うかたちで強力な大統領職を手にしたことにより、ドゴールの政権はその後長く、「永遠のクーデター」という非難を浴びることになる。大統領を支持するゴーリストたち(ドゴール派)にとっては、そうした批判を克服し、第5共和政という体制の「正統性」を国民に納得させ、定着させることが最大の課題となった、そのために最大限利用されたのがメディアだった。

* *

ドゴールの下で成立した第5共和政は、一言で言えばドゴールの身の丈に合わせて作られた体制だった。憲法は大統領の権限を強調する一方で首相についての記述はきわめて少なく、首相は大統領に代わって議会に対して責任を負うなど、若干のことが定められているにすぎない。

ドゴール自身、首相や政府とは大統領自身が決定した政策を実施していくための執行機関にすぎないと考えていた。彼は首相のことをchef du gouverment(政府の長)と呼ぶことすら嫌ったという。それは政府とは自分自身のことだ、と考えていた彼にとって当然のことだった。特に外交や国防は、大統領自身が直接、決定を下す分野だった。

それではそういうドゴールの権力基盤はどこにあり、彼の政治手法とはどのようなものだったのか。

ドゴールの権力基盤は、議会や政党といった既存の政治システムの中には存在していなかった。既存の政治の枠の外から登場したドゴールにとって、頼りとなるのは自身のカリスマ的なパーソナリティだけだった。彼は自分をフランス社会の各パート、各階層を超越した存在と位置づけ、そのように自らを演出した。そのさまは発展途上国の独裁者のようだとも、現代のボナパルティズムとも評されるほどだった。ボナパルティズムとはマルクス流に言えば、ブルジョアジーとプロレタリアートの対立が均衡状態にあり、どちらか一方の支配が実現しがたい時、調停者のようなかたちで登場する専制的政治権力のことである。19世紀半ばのナポレオン3世がその典型である。

ドゴールにはまた、「放送やテレビをコントロールする者だけが、国の政治のアジェンダ(議題)をコントロールできる」という確信があった。その意味で、ラジオに代わって新しく登場してきたメディア=テレビは、フランス全土に瞬時に自分の考えを伝えることの出来る、掛け替えのない手段だった。重大な決定を公にする時、彼は常にテレビ通して重大発表を行うというスタイルを採用したが、それは劇的な政治的効果を狙ったものだった。ドゴールがテレビ演説を行う時、閣僚すらその内容がどのようなものになるのか、事前には承知していなかったという。大臣も議員も放送を通して、初めて政治のアジェンダを知ったのである。

こうしたドゴールの政治手法を「テレクラシー」と評する人もいる。フランスにおいて、第5共和政が軌道に乗るのと、テレビの急速な普及が同時進行で展開していったことは、決して偶然ではない。ドゴールはコメディ・フランセーズの名優を指南役に迎えて、テレビ出演する時の表情や発声はどうあるべきか、研究を怠らなかったという。

アルジェリア危機がピークを迎えた1960から62年にかけて、彼は通算21回もテレビに登場し、自らの方針を国民に直接説明した。中でも、アルジェリア駐屯の舞台が本国に攻め寄せてくる寸前にまで至った1960年1月の危機の際には、軍服を着用して画面に現われ、自分が国軍の最高指揮官であることを強くアピールした。

このように放送メディアを重視したドゴールとゴーリスト(ドゴール派)にとって、放送局という組織を手中に収めようと考えることは自然の流れだった。ゴーリストは編集責任者などの枢要なポストにドゴール派の新聞出身者などを任命して、放送内容をコントロールした。ゴーリストたちが放送に求めたのは、決して多面的で公平な取材などではなく、あくまで自分たちの側に立った報道だった。例えば選挙の報道において、ドゴール派の主張には多くの時間が与えられ、野党の反論はカットされることすら珍しくなかった。

番組の内容にもゴーリストの意向が反映された。ドゴールの政治的な目標は、アメリカに従属しない独自外交の追求であると同時に「フランスの栄光」の追求だったが、そうした思想を反映して、放送には「フランスの栄光」を視聴者に知らしめる役割が課せられた。ORTF(フランス放送協会)が放送するドラマでは、フランスの全盛期、ブルボン王朝時代の古典劇が多く取り上げられたのである。

先に、ドゴールは放送によって政治のアジェンダを設定しようとした、と書いた。そのような統治者の意思は、民意を選挙や議会を経由して吸収するのではなく、国民投票というかたちで国民の選択を直接問う政治手法に直結していった。ドゴールは重大な政治的選択を行うにあたって、国民投票を何度も実施している。具体的には1961年に行われた、アルジェリア人民に自治権を与えることを承認するかどうかの国民投票、翌62年のアルジェリアの独立を認めるかについての投票などである。

大統領の選出方法に関しても、1962年、ドゴールは国民投票に諮って憲法を改正し、大統領は国民の直接選挙によって選ばれることになった。国民に語り掛け、議会を介さずに直接国民から支持を取り付けようとした彼にとって、直接選挙による選出は、自らの力を誇示し強化するための望ましい制度だった。

しかし、国家元首がテレビで国民に直接語り掛け、そこに支持と権力の基盤を確保しようという手法は、国民に次第に厭きられるようになった。戦争や植民地紛争が続く限りドゴールは求められたし、ドゴールも「自分がいなくなればカオスがやってくる」というメッセージを送り続けた。しかし、アルジェリア危機が峠を越し、平時が戻ってくれば、カリスマ的な指導者に鬱陶しさを感じる人が増えてくるのは避けられなかった。家父長的なリーダーへの反発は、1968年、学生運動に端を発する「5月革命(危機)」となって爆発することになる。

* *

この文章の冒頭で、フランスにおける政治とメディアの関係において、ドゴールの遺産は今日まで大きな影響を与え続けている、と書いた。政治家がメディアを重視し、それに対し露骨なまでに影響力を行使しようという姿勢は、ドゴールもその後の大統領も変わっていない。1974年、非ドゴール派出身者として初めて大統領の座に就いたジスカール・デスタンは、ORTF(フランス放送協会)を解体し、複数の放送局に再編したが、それは非ドゴール派にとって、ORTFはゴーリスムの牙城と考えられたからである。ジスカール・デスタンによるORTFの解体は、それ自体、政治的な運動の産物であり、フランスにおける政治とメディアの関わりの深さを逆説的に示す事件だった。

1980年代後半になると、フランスの放送界はミッテラン大統領によって民営化が進んだ。1987年にはORTFの後身であるTF1も民営化された。しかし、新たに誕生した放送局は、アメリカ流の商業放送局とはかなり性格が異なっている。フランスの放送局を訪ねると、この間まで政治家に従って中央省庁の中の官房で働いていたなどという幹部に会うことは決して珍しくない。フランスにおける政治とメディアの関係は、政権や政党が放送局の人事や具体的な番組内容に介入することを自制してきたとされるイギリスとも、また大きく違っている。

1989年には放送機関を第三者の立場から管理・指導する独立規制機関・視聴覚高等評議会(Conseil supérieur de l’audiovisuel)が発足した。しかし、公共放送・フランステレビジョンのトップ人事をめぐる指名権の問題が浮き彫りにしたように、その権威はアメリカの連邦通信委員会(FCC)には遠く及ばない。政治とメディアの関係は、フランスのメディアは、ドゴールの呪縛から自由になったとは、まだとても言えないようである。

 

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フランスの数学者たち(川平友規先生講義資料)

昨年度後期、名大全学のフランス関係教員の協力で「文化事情(フランス)」という連続講義を開講しました。本ホームページにご寄稿いただいている川平友規先生には、その一環として「フランスの数学者たち」という講義をしていただき、大変な好評を得ました。
その川平先生は本年度から東京工業大学に転任なさいました。「文化事情(フランス)」は本年度も開講され、数学関係は新たに梅村浩先生(名古屋大学名誉教授)をお迎えして講義をしていただくことになっており、同じように興味深い講義をしていただけるものと思います。
とはいえ、川平先生の講義を聴けたのが昨年の受講生だけというのは残念ですし、川平先生ご自身も今年担当できないことを残念がっておられます。
川平先生にご相談したところ、講義の当日に配布したプリントを本ホームページに掲載してもよいとのご快諾を得ました。先生の講義はスライドも取り入れての熱のこもったものでしたので、その再現は無理としても、配布プリントを通じて講義の概略を知っていただけます。

川平先生の講義時配布プリントはこちらです。

 

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河村雅隆: 欧州で再燃するユダヤ人排斥の動き

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

最近、ヨーロッパでユダヤ人を排斥する動きが表面化している。戦後のヨーロッパでは最近まで、第二次大戦中のナチスドイツによるユダヤ人虐殺を歴史の教訓として、反ユダヤ人的運動が社会の表面に姿を現すことは少なかった。少しでも反ユダヤ人的言辞を明らかにした政治家や文筆家に対しては、たちまち厳しい批判や制裁が科せられるのが常だった。しかし最近、各国の極右政党は反ユダヤ的な主張を繰り返している。そうした動きに呼応するかたちで、一般の市民からも同様の声が発せられるようになった。ベルギーやフランスでは、パレスチナを支持し、イスラエルの軍事行動を非難するデモに参加した人たちの中から「ユダヤ人に死を!」「ユダヤ人をガス室に送れ!」といったシュプレヒコールが公然と発せられ、人々に大きなショックを与えた。

反ユダヤ人の動きは具体的な行動という面でも目立ってきている。2014年5月にベルギーの首都ブリュッセルにあるユダヤ博物館で、ユダヤ人など3人が殺害された事件をご記憶の方もあるだろう。また7月には、パリにあるユダヤ系の住民が経営する薬局が破壊されるという出来事も起きた。ドイツでは、ユダヤ教の聖堂であるシナゴーグに火炎瓶が投げ込まれるという事件も発生しており、反ユダヤ人的動きはヨーロッパで収まる気配がない。こうした一連の動きを、メディアは「古い悪魔が復活した」という表現で大きく取り上げている。

もちろん反ユダヤ的な運動の高まりを、各国の指導者たちは強く非難している。中でも大戦中、大量虐殺を引き起こしたドイツのメルケル首相は、「反ユダヤ主義と戦うことはドイツの国として、社会としての義務だ」と述べて、反ユダヤの動きと対決する姿勢を鮮明に打ち出している。しかし、こうした発言は運動の暴発を抑えることにはつながっていない。戦後70年間、ヨーロッパの社会は「ユダヤ人虐殺のような人類に対する罪を二度と犯してはならない」という共通の認識の上に成り立ってきたが、今や少なからぬ人たちが、そうした社会の根本が揺らいでいるのではないか、という恐れを感じるようになった。

一連の動きを受けて、欧州各地に暮らす1400万人のユダヤ人の中には、住み慣れた土地を離れてイスラエルなどに移住する人たちも現われている。イスラエルのネタニヤフ首相はヨーロッパに暮らすユダヤ人たちにイスラエルに移住するよう、繰り返し呼び掛けており、それに応えるかたちで、フランスからはこの一年で6000人ものユダヤ人がイスラエルに移住している。(注)

ヨーロッパで反ユダヤ人の動きが顕在化してきた大きなきっかけは、パレスチナ問題の緊迫化である。最近欧州では、ガザ地区などに対してイスラエルが展開してきた軍事作戦や入植地の拡大といった政策を非難する人が増えている。政治家だけでなく、一般の市民の間にもそうした意見を持つ人が目立つようになった。その結果、最近では、イスラエルという国家の政策に対する非難がいつの間にかユダヤ人への批判というものと混同されるようになってきており、そのことが反ユダヤ的な言説や行動が表面化する一因となっている。これまでも第二次世界大戦後のヨーロッパでは、パレスチナの情勢が緊迫すると人々の間で反ユダヤ人的な心情が動き出す、と言われてきた。しかし、最近の動きはそうしたレベルをはるかに越えている。

人々は「ユダヤ人に死を!」などという言葉が公然と街頭で発せられるのを聞くと、最初は大きなショックを受けるが、何回もそれを聞かされているうちに慣れてしまい、やがてそうした言葉を耳にしても何も感じなくなってしまう。欧州のメディアには、「そうした慣れがいちばん恐ろしい」と論じる意見も散見する。

また最近では、教育の場でこんなことも起きている。学校や社会教育の場で、異なった宗教や民族に対する寛容や共存というテーマを扱う場合、そこで取り上げられる事例は、最近では「イスラム教徒やアラブ出身の移民との共存」といった問題が中心になってきており、ユダヤ教徒やユダヤ人に対する差別や迫害の歴史のことに触れることは少なくなっている。こうしたこともユダヤ系住民の危機感を高めている。

これまで欧州の政治の世界では、右派、特に極右と言われる政治家の中には、反ユダヤ人的な心情の持主が少なくなかった。一方、左派政党の政治家のかなりの部分は、パレスチナ問題をめぐってイスラエルの姿勢に対して批判的だった。しかしそれでも、欧州に暮らすユダヤ系住民の多くは、選挙の時、左派の政党に投票してきた。左派の政党がたとえイスラエルの政策に対して批判的だったとしても、ユダヤ人抹殺の歴史を否定したりしかねない右翼よりマシだ、と考えたからである。しかしユダヤ人たちが頼りにしてきた(?)左派政党は、最近ではユダヤ系の有権者だけでなく、急速に人口を増しつつあるイスラム系の住民にも秋波を送るようになってきている。

ヨーロッパの新聞を見ていたら、「欧州に暮らすユダヤ人たちにとって最悪のシナリオとは、左翼政党の対イスラエル政府批判と右翼の伝統的な反ユダヤ人感情がひとつになることだ」という分析が出ていた。そうした予測があながち絵空事ではない事態を、ヨーロッパは迎えつつあるのかもしれない。

 

(注)ネタニヤフ首相の勧誘に対しては、「これはヨーロッパにおけるユダヤ人の存在と、そこでユダヤ人たちが果たしてきた貢献を否定するものだ。ユダヤ人のいないヨーロッパはヨーロッパではない」という反発の声が上がっている。フランスのおけるユダヤ教の長老会議(Consistoire Israélite de France)の長も、フランスに住むユダヤ人に対し、恐怖からフランスを離れることのないよう、呼び掛けている。

 

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2015年度前期フランス語中級授業のクラス分け〔4月10日 (金) 2限〕について

2015年度前期のフランス語中級クラスは学部によるクラス指定を無くし、火曜1限と金曜2限の全5クラスについて、受講希望者全員を対象に一斉に受講調整を行います。フランス語中級は文系2年生には必修です。理系2年生はクラスの定員に余裕がある場合は授業担当者の判断で受け入れる場合があります。受講希望者は文系学生・理系学生とも、以下の要領でクラス分けに参加して下さい。

4月10日(金)2限(金曜の第1回目の授業時)にクラス分けを行います。火曜1限の授業の受講を希望する学生も必ずこのクラス分けに参加して下さい。
当日は、クラス分け作業のために、中級の5つの授業のそれぞれに1教室が割り当てられます。受講生は、各授業の内容等を事前にシラバスで確認し、第一希望の授業に割り当てられた教室↓に10時30分に集合して下さい。

火曜1限 Baumert先生の授業の受講希望者:CALL1
火曜1限 飯野先生の授業の受講希望者:CALL4
火曜1限 鶴巻先生の授業の受講希望者:サブラボB
金曜2限 奥田先生の授業の受講希望者:CALL2
金曜2限 新井先生の授業の受講希望者:C36

特に火曜1限の授業の受講希望者については、上記のクラス分け作業の教室は、火曜1限に実際に授業が行われる教室とは一致していませんので、ご注意ください。

受講希望者が定員を超えた場合には、受講調整を行います。当日各教員の指示に従って下さい。

不明な点等がある場合は、フランス語科主任 新井美佐子先生宛メールarai@nagoya-u.jp 連絡して下さい。

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河村雅隆: フランスの武器輸出をめぐって

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

外国のテレビや新聞に目を通していて面白いのは、そこで大きく報じられている事柄が日本では全くと言っていいくらい伝えられていないことに気づかされる時で ある。世間が内向きになっていることを反映して、日本のマスメディアでは、国内ニュースの比重が圧倒的に高まっている。そうしたニュースを見ているだけで は世界の動きは分からない、ということを素朴に感じる。先日のシャルリー・エブド社襲撃事件のような事件が起きれば、もちろん日本のメディア各社も一斉に それを大きく取り上げるが、そうした中でも事件の歴史的な背景が説明されることは少ないから、見る側はその事件がどのような歴史的な経緯で発生したのか が、よく分からないままで終わってしまう。

昔、放送局にいた時、先輩から「テレビは常に三つのテンス(時制)を意識していなければだめだ。 どうしてそれが起きたのか、今何が起こっているのか、そしてこれからどうなっていくかという、過去、現在、未来の三つの視点が不可欠だ」と何度も聞かされ た。全くその通りだ。ただ分かってはいても、これらの要素を全部満たしていくことは難しい。放送とは何よりも現在、起きていることを伝えることに最も強い 力を発揮するメディアだから、これだけ事件事故の多いご時勢、今というテンスに引っ張られるのは致し方ない面もあるだろう。ただそうは言っても、昨今のテ レビは目の前のことや近くで起きたことだけに引っ張られすぎているのではないか、という気はする。

最近、ヨーロッパの放送や新聞で大きく報じられたニュースに、フランスの軍用機がエジプトに輸出されることが決まったというのがあった。2015年2月、フランスの航空機メーカー、ダッソー・アビエション社の最新鋭の戦闘爆撃機「ラファール」24機が、エジプトに輸出されることになり、オランド大統領自らが契約の締結を宣言したのである。エジプ ト政府はラファールの他に、フリゲート艦などもフランスから購入することになっており、支払金額はトータルで57億米ドル(およそ6720億円)という巨 費に上る。しかも、その購入資金のかなりの部分は、サウジアラビアなどの湾岸諸国がエジプトに対し融資することになるのだという。

各メディアは、「これまでアメリカ製の兵器だけに依存してきたのを改め、武器の入手先を多角化したいエジプトと、武器輸出を国内の雇用や経済の改善につなげたいフ ランスの意向が合致して今回の契約が成立した」と報じていた。このニュースはユーロニュースなどでも大きく取り上げられていたが、私の知る限り、日本の放 送や新聞ではほとんど見掛けなかった。

この武器輸出のニュースをフランスのテレビや新聞は、おおむね肯定的に伝えていた。しかしそうした記事を見ていて、私はある種、違和感を禁じ得なかった。というのは、これまでフランスのメディアの多く、特に中道左派と言われるルモンド紙などは、エジプト の現在の政権であるシーシー大統領に対し、ずっと批判的だったからである。シーシー氏は、2011年のいわゆるエジプト革命によってムバラク大統領が退陣 した後、2012年からはムルシー大統領の下で国防相を務め、さらに2013年7月にはクーデターによってムルシー氏を追って、事実上の最高実力者となっ た人物である。そして2014年6月に行われた大統領選挙で、シーシー氏は正式に大統領の座に就いた。

このような経緯から、フランスの多くのメディアはシーシー氏については、民主化運動を押さえ込み、軍部の力によって政権を奪取した人物として、厳しい報道を行ってきた。しかし今回、巨額の武 器輸出が成立したことに関しては、そうした批判よりも、武器の輸出がフランスの経済や雇用に与える好影響を評価する論評の方が多かったように思う。

例えばルモンドの2月21日の週間版の社説は、次のようなものだった。
「angélismeは無しにしようではないか。武器輸出はフランスの国防にとって、また貿易収支にとっても、重要な要素のひとつである。武器の輸出は多 くの産業分野における需要の拡大をもたらすし、最新技術の飛躍にも貢献する。武器の輸出によってフランスの軍隊が必要とする材料費のコストを下げることも 可能になる。(※武器の量産によって、その生産コストが削減できるという意味である。)・・・武器の輸出ということを遺憾に思うか、祝福するかは別とし て、それは世界において強国というものが持つ属性のひとつである。・・・発表されたエジプトに対するラファール24機などの輸出は、悪いニュースではな い。それは国内における雇用や最先端技術の水準を維持することにもつながるし、フランスの政治的影響力を維持していくことにもなるからである・・・・」
文中にあるangélismeとは、物質的なものを離れ、純粋で精神的なものを求める態度のことである。

社説は上記のように述べた上で、シーシー大統領の強権的な政治手法に対する批判を展開していく。政治のあり方を厳しく批判しながら、一方でそうした統治を 行っている国に対する武器輸出については、それを手放しで(!)肯定する。これは、我々日本人には非常に分かりにくいレトリックである。しかしこれを書い た人の頭の中では、ふたつは全く矛盾していないのだろう。

この文章を読んでいて、私は1995年、フランスが南太平洋のムルロア環礁で地下核実験を再開した時のことを思い出した。フランスは国際世論の反対を押し切って、実験を行ったのだが、当時のシラク大統領はタイム誌のインタビューに答え、次のように語った。
「フランスに対する反発は誇張されている。その証拠に、フランスから武器を購入する国は少しも減っていない」

フランスの政治家の多くは、核実験や武器輸出を含め、自分たちの国を守るために感傷を排して最善最強の抑止力を追求することは、二度の大戦を経験したフラン スにとっての死活問題だ、と考えている。そしてそうした姿勢は、メディアのかなりの部分にも共通するものがあるように思う。

私も含め、日本人は本当にウブだ。もちろんそれは良い面でもあるのだが、世界ではそういった性格の国民は圧倒的な少数派だろう。今回紹介したような論説を一流とされる新聞の一面に発見すると、日本とフランスの思考とメンタリティの違いを痛感せざるをえない。

いずれにせよ、フランスという国は、芸術の国フランス、ファッションの国、グルメの国というだけの国ではない。大変な軍事大国、技術大国であり、端倪すべか らざる国である。しかし若い人たちの話を聞く限り、彼等のフランスのイメージは以前と全く変わっていないように見える。本当に、日本のメディアだけを見て いては、世界は分からない。世界はこんなに激しく動いているのに、日本はこんなに内向きでいいのだろうか。

 

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