2015春 第二回ストラスブール・フランス語研修実施

3月1日から14日までの日程で今年のストラスブール・フランス語研修が実施されました。参加者はすぐにフランスの生活になじみ、研修を楽しみました。

フ ランス語の講習が始まって二日目の午後にはさっそくストラスブール大学日本語科の学生たちとの「日仏交流授業」が行われましたが、これも無事にこなしまし た。この企画は日仏双方の学生にとって新鮮な体験だったようで、授業のあとも学生同士の交流が続きました。下の写真はこの授業の様子です。

ストラスブール大学日本語科には、名古屋大学と同大学院のご出身である村松研二郎先生がおられ、本研修にも多大なご協力をいただきました。交流授業も先生のご尽力によって実現したものです。

研修期間の最後に行ったアンケートでも、参加者の満足度は大変高いという結果になりました。企画別で特に評価が高かったのは、「家庭訪問」、「現地学生との交流授業」、「フランス語学校の授業」などでした。

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河村雅隆: 『自由には責任が伴う』という言葉

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

今年1月7日に起きたパリの週刊新聞「シャルリー・エブド」襲撃事件とその後の展開は、あまりに衝撃的だった。日本にいる我々も、ショックの大きさから回復したとはとても言えない。ただ事件から一か月以上が経って、メディアやインターネットの世界に現れる論調には、特に日本国内の場合、やや変化が見られるようになってきた気がする。

事件直後は今回の事件を、「言論の自由を主張する者と、それを暴力で圧殺しようとする者との戦い」という図式で、いわば一刀両断に描き説明する論がほとんどだった。しかし、時間が経過するにつれ、この新聞がこれまで掲載してきた風刺画の内容を知った人たちの間から、「表現の自由には責任が伴う」と言った声がかなり聞こえるようになってきたように思う。

シャルリー・エブドがこれまで公にしてきた漫画には、日本人の感覚からすると、「これが風刺画だろうか」と感じさせられるものが少なくない。預言者ムハンマドが爆弾を抱えている絵や、イスラム国がやはりムハンマドの首を切り落とす画が掲載されたこともある。日本に関しては他の媒介であったが、原発の事故によって腕が3本になった力士が、オリンピック競技になった相撲に出場しているなどというものもあった。その絵には吹き出しで「フクシマの事故のおかげでスモウは五輪の競技になった」というコメントまで付けられていた。この漫画に対して日本政府が正式に抗議したというニュースはご記憶の方もあるだろう。こうした内容を詳しく知った人たちの中から、「自由と責任」という主張が打ち出されるようになってきたのである。

表現の自由には責任が伴うことは当然である。上記の福島に関係した漫画は一体どこがユーモアや風刺なのだろう、と私も強く思う。現地で被災した人たちがこの絵とコメントを見たらどのように感じるだろうか、と考える想像力が書き手と送り手には欠けているのではないかとも感じる。ただ、私がここで指摘しておきたいのは、「自由と責任」という表現を用いる時、我々日本人が感じる「自由と責任」という意味と、多くの欧米人が感じているであろう意味との間には、小さくない開きがあるのではないかということなのだ。

1948年1月、第二次世界大戦の敗戦から間もない時期のことである。毎日新聞は日本とアジアをよく知るアメリカ人作家、バール・バックに日本人に対する忠告とアドバイスを求め、『日本の人々に』と題された彼女の文章は紙面を大きく飾った。パール・バックは宣教師を父として中国で育ち、長じてからは中国大陸を舞台とする長編小説『大地』などで知られる、アメリカきってのアジア通知識人だった。

その文章の中でバックが強調したのは「自由には責任が伴う」ということだった。しかし、その「責任」という言葉の意味は、日本人が普通に感じるであろうものとは大きく違っていた。彼女は次のように言う。

「民衆が自由で独立的で自治的である国は、いかなる国でも、つねに善なる人々と悪なる人々との間に闘争の行われる国である」。そして、自由に伴う責任として彼女が強調したのは、「積極的に悪と戦う闘志をもて。安きを偸むな」ということだった。「自由といふものは真の自由でなければならず、自由が或る一部の人によって行使されて他のものによっては行使され得ぬといふことは、あり得べきことではないからである」

つまりバックにおいては、「自由に伴う責任」とは、何よりも自由を侵害してくる者と断固として戦うことにこそあるとされたのである。これはヴォルテールの有名な言葉、「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」にも通ずる姿勢だろう。

上記のパール・バックの文章は、日本の地理学者である(という枠にはとてもおさまらない存在だが)飯塚浩二氏の『日本の精神的風土』からの孫引きである。飯塚氏はこのバックの文章が掲載された時、新聞の見出しが、「総ての人に与へよ、責任ある“自由”」となっていた点を指摘して、編集者は彼女の「善良なる人々にとって自由はつねに責任を伴って来るものだ」という一節を見出して、「それ見ろ、やはり自由は無拘束や放縦とはちがうのだ」と我が意を得たのだろう、とも書いている。

はるか昔、学生時代読んだ飯塚氏のこの文章は、ずっと私の記憶の中に残っていた。そして社会人になってヨーロッパやアメリカで生活する中で、飯塚氏の見方に同感させられた経験が少なくなかった。飯塚氏は若い頃フランスに留学した経験を持つ人だから、フランス人の発想や感情を身体で理解していたのだろう。著書の中で氏は、血みどろの戦いの中で自ら自由を勝ち取ってきた人々と、戦後いわば「配給された」かたちで自由を手にした国民との違いということも示唆していた。

飯塚氏の文章は今読み直すと、如何にも敗戦直後に書かれたものという印象を受ける。ただ今回のシャルリー・エブドの事件に対する日本国内の反応を見ていると、日本社会と欧米社会の考え方とメンタリティの違いは、1948年という時点も、それから70年近く経った今も大して変わっていないのではないかという気がする。

繰り返すが、私はあの新聞に掲載されているような絵とコメントは御免である。繰り返し親から言われた、「相手の立場に立って考えなさい。相手には相手の立場があるのだから」という言葉に従って生きていきたいと思う。ただ、そうとばかりは言っていられない社会が、世界では圧倒的であるということは言えるのだろう。

 

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河村雅隆: フランス人人質殺害事件、仏のイスラム社会に衝撃

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

以下の河村雅隆氏の文章は、2015年1月7日のフランスの週刊風刺新聞社襲撃事件とそれに続く連続人質立てこもり事件が発生する以前の2014年12月3日に執筆されたものです。(編集部)

シリア、イラクの国境地帯を支配地域とする、いわゆるイスラム国の動きを、欧米のメディアは連日のように詳細に報じている。イスラム国はシリアやイラクにまたがった地域を支配しているだけではない。その影響を受けた勢力は、中東地域だけでなく北アフリカなどでも欧米人を人質に取って殺害する事件を次々に引き起こしている。今回は、イスラムの過激勢力が起こしたこれら人質殺害という衝撃的な出来事が、フランスに暮らすイスラム教徒たちにもたらした影響について考えてみたい。

いわゆるイスラム国は2014年6月、最高指導者のアブ・バクル・バグダディが樹立を宣言したもので、シャリアと呼ばれるイスラム法に基づくイスラム国家であると自称している。しかし、国際社会はイスラム国を独立国家としては認めておらず、中東のイスラム諸国も地域の安全を揺るがす脅威だと危険視している。

このイスラム国の母体は、2003年のイラク戦争の後に結成されたアルカイダ系過激派組織である。彼等は欧米に対抗して聖戦(ジハード)を展開するという主張を掲げ、2011年にシリア内戦が始まると、シリア国内から流入してきた武装グループを吸収して、急速に勢力を拡大した。その後、アルカイダ系過激派組織は、既存の国境を無視するかたちでイスラム国家の樹立をめざす姿勢を公然と打ち出すようになり、2014年に入るとシリア北東部をほぼ制圧し、イラク北部に侵攻した。イスラム国の主張は、イラク、シリアなどの国家は二度にわたる世界大戦の後、ヨーロッパの国々が勝手に線引きして出来た擬制にすぎないというもので、それを解消するため武力によるイスラム世界の統一を目指している。このイスラム国の支配地域に対して、アメリカや西側諸国は繰り返し空爆を行い、その勢力を削ごうとしているが、はかばかしい成果は上がっていない。

このイスラム国がにわかに注目されたのは、人質としてイスラム国に拘束されていたアメリカ人のジャーナリストが、2014年の夏に殺害された事件がきっかけだった。米国人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏がイスラム国と思われる兵士によって処刑される衝撃的な映像はイスラム国によってユーチューブに投稿され、世界中を駆け巡った。イスラム国は、この処刑はアメリカ軍によるイスラム国支配地域への空爆に対する報復だと主張した。ホワイトハウスもこの動画が本物であると確認しており、またフォーリー氏の処刑を担当した兵士が話す英語がイギリス英語だったことなどから、その兵士はイギリス人であると推定された。そのことも欧米の社会に大きな衝撃をもたらした。「イギリスやアメリカという国は、イギリス人、アメリカ人になりたい人間によってのみ構成される国では完全になくなった」というショックが人々を襲ったのである。

イスラム国が欧米人を人質にとり、殺害するという事件は、これ以外にも頻発している。イスラム国に忠誠を誓うアルジェリアの武装勢力は、9月24日、人質にしていたフランス人男性を殺害したとする映像を公開した。「カリフの兵士」と名乗るアルジェリアの武装勢力は、現地に暮らす山岳ガイドのフランス人男性の首を切断し、殺害する映像を公開した。処刑の前、アルジェリアの武装勢力は声明で、アメリカやフランスがイスラム国に対する攻撃を24時間以内に停止しなければ、男性を処刑すると脅迫する姿勢を明らかにしていた。しかしフランスのオランド大統領は、処刑が行われた後も、「テロには屈しない」と述べ、アメリカと協力してイスラム国への攻撃を続けていく考えを変えていない。

イスラム国の活発な動きはもちろん日本も無縁ではない。北海道大学の学生がイスラム国に入り、その軍事活動に加わろうとしていた出来事は、我々にとってもイスラム国の問題が対岸の問題ではないということを示している。

地理的にも歴史的にも英国以上に中東やアラブ地域との関係が深く、国内に多くのイスラム系住民を抱えるフランスは(彼等のかなりの部分はフランス国籍を取得したフランス人だが)、むしろイギリス以上にイスラム国の問題に敏感に反応している。そのフランスで最近、こんなことが起きた。

フランスにはイスラム系の住民が作る団体が、政府の肝いりでいくつも誕生している。そのうち代表的なものはCFCM(Conseil français du culte musulman)で、その役割はモスクを建設する際、イスラム教信者と行政の間に立って仲介役を務めること、軍隊や刑務所内の宗教施設の設置にあたって意見を述べることなどである。要は、イスラム系住民がフランスの社会に溶け込んでいけるように、行政や政治に対して様々な提言を行っていく役割を担った団体である。

そのCFCMが最近、傘下のイスラム系住民に対して、「『自分たちはイスラム国やそれを支持する勢力が行った人質や殺害を絶対に認めない』という意思表示をせよ」という指令を発した。つまり、「『自分たちはイスラムの過激派などとは違う存在であり、フランスの社会の法とルールを守り、その中でイスラム教の信仰を守っている人間だ』ということをフランス人に対してアピールせよ」という指令が出されたのである。それを受けて、イスラム系の住民のうち、かなりの人々が、ツイッターやフェイスブックで「自分たちはイスラム国などを支持しない」という意思表示を行った。

しかし一方で、この上部からの指令に対しては多くのイスラム系住民が激しく反発した。彼等は、そうした意思表示というのは誰かから命令されて行うものではないし、自分たちの方からそんな意思を示せば痛くもない腹を探られかねない、と考えたのである。

彼等は「一連のテロ事件によって二重の意味で傷ついた」と言う。二重という意味は、過激派の行った処刑という残酷な行為そのものから大きなショックを受けたと同時に、「自分はそうした行為を絶対に支持しない」と表明することで、逆に自分たちはフランスの社会において疑惑の対象となってしまうのではないかと恐れるようになった、という意味である。これらふたつの衝撃が重なり合って自分たちを苦しめている、と彼等は言う。フランス社会の中で、イスラム系の住民の置かれている複雑な立場を示すエピソードではないだろうか。

しかしイスラム系の団体は、今後もイスラム系の住民に対し「アルカイダなどの過激派は人類共通の敵であり、自分たちとは何の関係もない」という意思表示を求めていく方針で、近く、パリにあるイスラム教のモスクの前でイスラム国の残虐な行為を非難する集会を開く計画である。

言うまでもなくフランスという国は「国民国家」の祖国である。国民国家とは、以前も記したように、国家を構成する人間ひとりひとりが宗教や人種、階級や性別といった既存の「属性」を捨象し、一個の国民となって国家と直接結びついていく体制のことである。その体制の下では、個人の信仰や宗教は個人の内面にとどまっている限り、国家はそれに対して口出ししたり干渉したりしてはならないとされる。それは国民国家の大原則である。

だからフランスに暮らしフランス国籍を有する人たちは、自分の信仰がカトリックであれプロテスタントであれイスラム教であれ、あるいは無宗教であれ、そんなことに関係なくひとりのフランス人として生きていけるはずだった。しかし、イスラム国と支持勢力の拡大という事態を受けて、国民国家の原則が揺らいでいる。

もちろん今回の「『自分はイスラム国などの行った行為など絶対に支持しない』という意思表示をせよ」という指令は政府や公権力から出されたものではない。しかし、公的な性格の強い機関が行ったものであることは確かである。イスラム国という存在とその勢力拡大がもたらした衝撃の大きさと、それが浮き彫りにしたフランス社会の問題点を見せつけられたような気がする。

 

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初春のモンブラン

 

2015年初春のモンブラン Mont Blanc 〔フランス・サヴォワ Savoie 地方のモルジン Morzine 村からの眺め〕

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岩下曜子さん(リール第三大学講師 日本語担当)撮影

 

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フランス旅行記 2014年秋

ヨーロッパ旅行記

工学部3年 Y.Y. (2012年入学)

  2014年の9月8日から21日まで友人3人とヨーロッパを旅行することにした。しかも、自分で旅程を組み立てることにした。ヨーロッパ周遊をしたかったのだが、パリ、バルセロナ、ローマの順に回り、パリにもどってモンサンミシェルを見学して帰るルートを考えた。先にヨーロッパ旅行した友人の旅程も参考にし、日程を考慮したうえでこのような都市になった。ユーロスターでイギリスに行くことも夢だったが、鉄道は時間がかかってしまうことなどがあり今回はやめた。スペインはバルセロナとマドリードで迷ったが、サグラダファミリアに惹かれてバルセロナを選んだ。ローマは、フィレンツェやヴェネチア、ミラノなどたくさんの候補で迷ったが、まず首都から周ろうと決定した。

自分が責任者として、まずJALの販売していた往復航空券を購入し、ホテルはネットのホテル予約サイトから自分で予約した。バルセロナとローマは宿泊先を日本人経営の宿にし、こちらは直接メールして連絡をとって予約した。日本人宿にしたのは、滞在先で詳しい情報を得ようと考えたからだ。フランス国内のホテルは普通のホテルにしたため不安が残った。本当に予約できているだろうかという不安もあった。また、シティパスやメトロのパスなどお得に移動できる方法をいろいろ考えた。

こうして出発を迎えた。9月8日(月)、朝11:00羽田発シャルルドゴール行きの便でフランス、パリに向かう。ゆったりしたシートで12時間の長旅もそれほど苦はなかった。現地時間16:00にパリ到着。海外がはじめての人が多かったので、ホテルまでは安全にタクシーで移動。空港では白タクの勧誘もあり海外の洗礼を受けた。無視するのが常識だが、ついていく友人。なんとか連れ戻してタクシーの絵の方に向かう。タクシー乗り場周辺にも怪しい人がたくさんでどれが公式タクシーかよくわからず…英語もあまりしゃべれず、言われるままにタクシーに。料金メーターは途中で止まり、そのままホテルへ到着。100ユーロの請求。高い気がするが事前にネットで調べた料金(4人、時間帯、スーツケースなどの条件を考えて計算)とだいたい一緒。まぁよしとした。安全に泊まれるホテルに到着しとりあえず一安心。

少し休憩して、作戦会議。フランスといえばエッフェル塔ということで、最初にメトロでエッフェル塔へ向かうことになった。メトロはわかりやすかったがRER(国鉄系の地下鉄)で迷う。苦戦しつつも無事到着。フランス標準時やサマータイムの関係で時計は19:00を指しているが、日本なら16:00くらいの太陽の傾き。エッフェル塔とその周辺をブラブラ。無事到着ということでビールを一杯。ヨーロッパのご飯を食べこの日は終了。

12205エッフェル塔の夜景

9日(火)。無計画な自分たちは、ホテル、飛行機の時間などしか決まっておらうず、この日の予定はパリ散策。適当に有名どころを回る。まず有名なルーヴル美術館へ。休館日は日本みたいに月曜だろうと勝手に予想していったがルーヴル美術館に行列がない。もしやと思いつつ目の前へ。やはり休館日だった(笑)。仕方なく写真だけをとって、近くのノートルダム寺院へ。 しかし道に迷い苦戦。現在3年生でフランス語力が落ちてしまっているので英語に頼り、英語が喋れる人をさがす。ちょっと残念。人に聞くもスペインからきた からわからない、などと言われる。これもヨーロッパ特有のことなんだなぁと思った。ただ、フランスでは英語は第二言語。いつもペラペラしゃべっているわけではないので聞き取りやすかった。ノートルダム寺院を散策しオルセー美術館に向かう。ここでパリミュージアムパスを購入し、美術品を鑑賞。 美術品には詳しくないので良さはよくわからなかった。近くの(旧)オペラ座の建物もちらっとみた。ヨーロッパらしい建物だった。(まわりも当然ヨーロッパ らしい建物だが…)きれいだった。いろいろ建物を見て2日目は終了。夕食を外食しすぎるとお金がなくなってしまうので、ホテルの前のスーパーでパスタやパ ンやお肉や生ハム、ワインなど購入しホテルのキッチンで調理して過ごした。

12179ルーヴル美術館

10日(水)。前日休館日だったルーヴル美術館へ向かう。ネットでもたくさん書いてあったが、平日なのにすごい行列でびっくり。しかし前日にミュージアムパスを購入していたので待ち時間0で入場。3日で €60?くらいの少々割高なパスだが入場料を考えると、ちょっとだけお得な気がする。モナリザ、ミロのヴィーナス、ハムラビ法典などなど、教科書でみた作品がたくさん。興味がない自分でも、興奮して楽しめてしまった。なんだかんだ長い時間過ごしてしまった。午後は凱旋門に向かう。すべての道が凱旋門に向かっている光景を確認して興奮。凱旋門前のロータリーみたいな道路。よく事故がおこらないなーと感心した。ミュージアムパスで凱旋門の上に上る。らせん階段の長さにびっくり。パリについてから歩きまくっている僕たちにはきつかった。15時頃のお昼の景色を楽しんだ。シャンゼリゼ通りの美しさも楽しみ、周辺で買い物。買いすぎてしまった。出国前は€1が137円くらいだったレートがこの日くらいから140円を超える。物価も日本とは比べ物にならないくらい高く、レストランで食べると軽く20ユーロは超える。ワインなどちょっと飲んでご飯食べるだけで3000円なんかあっという間になくなる。この日も昨日買っておいたものを調理して食べる。

11日(木)。この日はどうしても行きたかったヴェルサイユ宮殿へ。しかし鉄道の切符の買い方がわからず、困る。駅員に聞くも英語なのでなんとなくしか理解できない。あっているかよくわからないがまぁあっているのだろう、と思いながら切符を買う。親切に乗り換える駅などもメモしてもらいヴェルサイユへ出発。この切符ホントにあっているのかと不安であったが、車内チェックもない。降りる駅でも切符は回収されず出口のゲートしかない。日本とは全然違う。わざわざ高い切符買わなくても来れちゃうじゃないか!と思いながらも、ばれると 5000円?以上の罰金などあるのでおとなしく買った方がいい。昼ご飯を食べていると、突然フランス人から話しかけられる。どうやら日本語の勉強をしている大学生のようだった。コンニチハ!と慣れない日本語でしゃべりかけてきた。どこから来たのですか?など慣れないながらも十分聞き取れる日本語で必死に話してくる大学生。名古屋から来ましたよ!っと言ったけど理解した感じではなかった。日本で有名な都市名なんて東京くらいか…と思い、東京、って言って喜んでもらえばよかったと反省。Your Japanese is good!! みたいな感じで一応ほめておいた。最後に男4人に向かって、かわいいですね!さようなら!といって恥ずかしそうに去って行った。ペラペラではなかったが上手にしゃべっていた。ヨーロッパ人のこういうところ見習いたいと思った。ヴェルサイユは写真の通りすごくきれいな空間。裏の庭園などたっぷり堪能。この旅行で見たかったものがどんどん見られて満足。パリへ戻り夕食。昨日のお昼みつけた日本語のメニューのあるおいしいお店へ。エスカルゴなどめずらしいものを食べたり、サラミ、ステーキ、ワインに満足。(ただお金が心配である…)夜になり外も暗くなり、凱旋門から夜景を見たくなったため急きょ上ることに。またらせん階段。辛かった。でも昼とは全然違う夜景に感動。次の日はパリを離れるため、最後のパリを満喫できた。

12177-1 ヴェルサイユ宮殿 鏡の間

12日(金)。この日は移動日。オルリー空港へ向かう。行先はバルセロナ。 格安航空による1時間ちょっとの短い空の旅。欠航になるのではないかと少し不安。ネットなどで調べていると格安航空はそれなりにリスキーだ。鉄道駅では、 恒例になったが、チケットの買い方から乗り換えの仕方まで全部教えてもらい出発。無事、空港到着。飛行機もon timeで順調!バルセロナ到着!バルセロナでは、日本人が経営する宿に泊った。当然日本語でやりとりもできるので過ごしやすかった。サグラダファミリアの近くの宿。サグラダファミリアを見ながら名物パエリアを食べる。機内食以来の米の料理。おいしすぎる。サングリアも飲んで満足。ホントにおいしいものばかり食べられて幸せだった。この日は終了。

12181サグラダファミリア

13 日。バルセロナの世界遺産をみつつ、カンプノウでバルセロナの試合を観戦。こんな経験おそらく人生最後だろう。とても興奮。ただチケット代は 10,000円と高かった。なんでこんなに高いのだろう。おそろしいヨーロッパ。しかしフランスに比べるとスペインのスーパーは安い。隣の国なのにこんなにちがうのか、とギャップを感じた。14日もバルセロナの世界遺産を回る。工事中だったカサミラを除きコンプリートしバルセロナは満喫できた。

15日。この日はローマに移動。同じく1時間ちょっとの空の旅。同じく格安航空。欠航にならず安心した。無事ローマ・フィウミチーノ空港へ到着。空港からは、慣れてきたしお金もないのでバスを使うことに。イタリアの案内表示はイタリア語と英語が使われているが、字が小さくほとんどが絵のマーク。しかも英語もなんかちょっと表現の仕方が違う。まぁ意味は分かるのだがよく見る表現じゃない。バス乗り場もわかりづらい、バスの切符の買い方とかもよくわからない。なんか不親切だなー と思いつつバスで移動。行先はテルミニ駅。よし、到着!とバスを降りた。しかしテルミニ駅じゃなかった。降りる場所まちがえた!(笑)バス行っちゃったし…とりあえず近くの人にテルミニ駅について聞く。しかしあまり英語が通じない。しゃべれそうな人に聞くも、なんか日本人みたいに片言でしか話してくれない。結局、日本から持ってきたWi-Fiを頼りにホテルへ向かう。30分くらいスーツケースを持ったまま歩く。つらかった。ヨーロッパって近いのに国ごとで全然違う。フランス人はだれに聞いても英語できちんと答えてくれた。しっかり教育されてたなー、と痛感。イタリアでは警察官に英語で話しかけるも全然通じない。英語もしゃべれないのかとちょっと不満。(自分も大して話せないのだが。)ローマでも日本人宿。おいしいお店の話とか地図とかいろいろ聞いてご飯を食べる。イタリアでは観光というよりも個人的にはご飯が楽しみであった。おいしいパスタ屋さんへ。お通しのパン、めちゃくちゃおいしい。パスタ、めちゃくちゃおいしい。さすが食にこだわるイタリア。仕事もそれくらいこだわれよと思いつつも、おいしすぎて感動。来てよかった。この日は終了。

16日。バチカン市国へ。見るもの見て、昼ごはん。スパゲティ、やっぱりおいしい。間違いなくヨーロッパ旅行で断トツでおいしかったイタリアン。でも店員は適当。イオンカードにあるWAONの犬を見ていろいろちょっかいかけてくる。お茶目。国によって違いをやっぱり痛感。メインのトレビの泉へ。だが工事中…。夜景はすごいきれいらしいのに。メインだったのですごく残念。次の真実の口はホントにわかりづらいところにあった。入ろうと思ったら何かの撮影中。がんばってスタッフにいろいろ聞き、15時まで待って真実の口へ。よかった。翌日もただずーっと歩いてローマは終了。ごはんがおいしかった。

12193コロッセオ

18 日。パリへ戻る。最後の格安航空での移動。夜の便なので欠航になったらホテルにもいけない、といろいろ考えながらも無事パリ到着。Sortie など見慣れ たフランス語をみてちょっと安心。1年勉強しただけでも全く知らない言語ではないので安心感がある(しゃべれないが)。ここでもタクシーの客引き。こんどはひっかからない。ホテルへ向かうがトラブル発生。予約したホテルをプリントアウトした紙にある住所についたがホテルがない。相当焦った。しかし、運転手が紙に書いてある番号で電話してくれた。どうやら住所が違ったみたいだ。トラブルはつきものだが実際にあうと相当焦る。結局なんとかなってよかった。この日は終了。

19日。この日はモンサンミシェルへ移動。フランスの中で一番行きたかったのでホテルも高いところを用意し、モンサンミシェルで1泊というもっとも自分がこだわった点である。移動はTGVとバス。日本のサイトではこれが主流みたいなことを書いてあったが、フランスではそうでもなさそうだ。こんな行き方するのは日本だけだと思った。まぁモンサンミシェル自体日本人しか行かないのだが。TGVは新幹線のようなもの。しかし早く予約したおかげで往復30ユーロくらいだった。距離は東京-名古屋くらいもあるのに往復で5000円は相当安い。日本の新幹線の高さがわかった。無事TGVにも乗れた。座席はよくわからず、やさしそうなおばちゃんに聞いて教えてもらった。ありがとう。

レンヌ駅に到着しバスで移動。バス乗り場がわからずまたいろんな人に聞く。モンサンミシェルへ到着。すげえ!!と感動。昼のモンサンミシェルを堪能しホテルへ。ここでこの旅行最大のピンチとなるトラブルが発生。帰国にはドイツ経由のエールフランス運航の便が組み込まれていたが、そのエールフランスがストライキを行っていた。フランスのTV なんか見るわけなく何の情報も入っていなかったが、知らない間にこんなことになっているとは。もしやと思いつつ調べると Cancelled の表示は出ていない。よかった、帰れそう。飛ぶことが確定したわけじゃないが、次の日の朝には最終確定すると書いてあったので、夜のモンサンミシェルを楽しみ、この日は終了。

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20 日。朝やけのきれいなモンサンミシェルを見ようと思ったが盛大に寝坊。まぁちょっと太陽が出てきかけたくらいに起きたのでぎりぎりセーフとしよう。さて、昨日から気になって気になってしょうがない帰りの便の運航情報。確定したようなのでチェック。Cancelled になってた。終わった、そう思った。フランクフルト経由は一日にたくさん飛んでいるだろうから大丈夫だろう、と思っていたが、21日のパリからフランクフルトへの便はすべて欠航。これはまずい。滞在期間が延びることも覚悟した。すぐに往復チケットを購入した日航の日本語対応のヨーロッパ窓口に電話し対応。営業開始時間と同時に電話。これが功を奏したのか同じ21日の便を、追加料金等なしで用意してくれた。ありがとうJAL、と感謝しつつ最大のピンチをなんとかすることができた(自分は電話しただけだが)。電話が遅かったら帰国日がずれるなど大事になったと思う。災難だったが貴重な経験ができた。そのままモンサンミシェルを楽しみパリへ。

21 日。15:00パリ出発の予定だったが欠航のため21:00まで待たされる。そして22日、羽田空港到着。日本に帰ってきた。自分がホテル、飛行機などす べて予約したが、ついにやりきった。時間の使い方など下手だったなーと感じつつも無事日本に帰って来れた。羽田空港では自分の好きなように時間を過ごし中部国際空港へ。そして帰宅。

長い長い2週間だった。たった2週間だったが、計画を含めると1か月以上はいろんなことを考え調べ、時間を費やしてきた。自分が計画したので、もちろん自分が行きたかったところやこだわりなどはすべて達成できたが、ほかの3人の2週間も背負っていると考えると、すごい責任感で不安な日々を過ごしたときもあった。しかし、だれも大きな事件には巻き込まれず無事に帰宅できた。(残念ながらミサンガの押し売りの被害にあった人はいるが…(笑))計画しているときは辛かったがやりきれてよかった。こうして初めてのヨーロッパは満喫できた。

訪れた三か国はそれぞれお隣同士だが似ているような似ていないようないろいろ感じるものがあった。英語はフランスでは通じるがイタリアではほとんど通じない。フランス人は、ネイティブほどではないが英語をペラペラ話す。いろいろ違うんだなぁと思った。挨拶も、ボンジュール(フランス)、ボラ(スペイン)はたくさん使ったが…イタリアでは あまり挨拶していないような気がする。これも国の文化なのか。フランスやスペインでは町中であいさつされたのでこっちも返していた。三国しか回っていないがとってもちがうんだなぁと痛感した。学んだフランス語で「トイレはどこ?」などと聞いてみたりもした。(通じたが、この時は英語で返されてしまった。残念。)旅行を通じて、最低限英語はもっと向上させる必要があると思った。自分は理系でこれから英語以外の言語に触れる機会がなくなってしまうが、フランス語でも旅行会話、日常会話はできるようにしておきたいと感じた。

 

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河村雅隆: クリスマスカードを手にして思ったこと

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

毎年この季節、外国から沢山のクリスマスカードを頂戴する。昔ヨーロッパやアメリカで一緒に仕事をした方たちが、今も忘れずにカードを送って下さることに本当に感激する。ひとつひとつ丁寧に拝見した後、彼等がよくするようにカードに糸を通し、部屋の中にぶら下げて飾る。

ただカードの真ん中に大きな文字で記されている文句をよく見ると、それらは「シーズンズ・グリーティング(季節のご挨拶)」というものであったり、「ハッピーホリデーズ」といったものであったりする。「メリークリスマス」という文字はどこにも見当たらない。10年くらい前までは、「メリークリスマス」と書かれたカードもあったように思うが、そうした言葉は、少なくともアメリカからのカードでは完全に姿を消してしまった。※

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「メリークリスマス」という言葉が消えてしまったのは、「社会にはキリスト教を信じる人以外に、キリスト教徒以外の多くの人たちがいるのだから、そうした人たちに配慮して『メリークリスマス』という文句は遠慮しよう」ということからである。例えばユダヤ教徒はイエスの中に神性を見ない。つまりイエスは信仰の対象ではないし、その誕生は彼等の祝い事ではない。ユダヤ教徒以外にも、欧米の社会にはイスラム教徒も仏教徒も数多く暮らしている。そういう人たちの存在に配慮するかたちで、クリスマスカードから「メリークリスマス」の文句が消えてしまったという訳である。

先日、私は教室でクリスマスカードを示しながら、欧米の社会は社会の多様化が進む中、そのような配慮をしているのだが、それをどのように思うか、と学生に訊ねてみた。学生の答は、「社会を構成している様々な信仰を持つ人たちに配慮することは当然だ」という意見が大体半分。「クリスマスの行事は今や必ずしもキリスト教の信仰と直接結びついていないかもしれないのだから、そこまですることはないのではないか」という声が四分の一くらい。残りは「アメリカやヨーロッパは元々キリスト教の社会だったのだから、それ以外の宗教を信じる人たちも、そこに暮らす限りはその社会の伝統に敬意を払い、従うべきだ」というものだった。

他愛もない教室での「アンケート」だったが、この問いは大きな問題につながっているように思う。

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最近、ヨーロッパでは移民の制限や排撃を政策に掲げる極右の政党が勢力を伸ばしている。東欧のように、中東や小アジアなどからの移民が合法的であれ不法であれ、どんどん流入してきている地域だけでなく、北欧のようにこれまで中東やアフリカからの移民を積極的に受け入れてきた国々でも、移民問題に強硬な姿勢を示す政党が支持を拡大している。

そうした極右政党の主張は、これまで政府や既成政党は移民の受け入れなどに関し、寛容すぎたというものである。彼等はまた、政府は国内に受け入れた外国出身者に配慮するあまり、自分たちの国の伝統や習慣を放棄してしまっている、とも訴える。

北欧のデンマークでも、デンマーク人民党という極右の勢力が支持を拡大している。デンマークの地方都市の中には、キリスト教以外の信仰を持つ人のことを考えて、これまで市役所の前に毎年立ててきたクリスマスツリーの設置を取りやめたところもあるが、人民党はそうした措置は過剰な配慮であり、デンマークという国の伝統と習慣を破壊するものだと強く批判している。

デンマークの学校の給食では、豚肉の入ったミートボールが定番のおかずだったのだが、自治体の中には豚肉を食べないイスラム教徒に配慮して、そのメニューを廃止したところも現われた。極右政党はこのことも激しく攻撃している。そうした極右の主張に対しては、普通の市民層から一定の支持が寄せられるようになってきている。支持層の中からは、「移民たちはデンマークという国を選んでやってきたのだから、この国の伝統や習慣をもっと尊重しなさい」という声が聞こえてくる。

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ここまでご紹介してきたような問題を、皆さんはどのようにお考えになるだろうか。世界の歴史を振り返ってみれば、人類にとって最大の課題は「自分とは違った考えの人たちに対して、如何にして寛容を保っていくか。自分と違う思想や信仰とどのように共存していくか」ということだった。この、寛容を保つということが如何に難しいかは、歴史の幾多の悲劇が教える通りである。「寛容は非寛容に対しても寛容であるべきか」という問いは人類永遠の課題だろう。そして人類の歴史は、寛容が非寛容によって押しまくられてきた歴史だと言えるのかもしれない。しかしそうではあっても多分、寛容は非寛容に対しても寛容でなければならないのだろう。

※移民が多いと言いながらも、フランスではキリスト教信者が社会の多数を占めていることを反映し(ふだん教会に行っているかどうかは別として)、現在でもカードの文句は‘Joyeux Noël’ というのが多いようだ。ただクリスマス時期の挨拶としては、異教徒に対しては、‘Joyeux Noël’ではなく‘Bonne Fête’と声を掛ける人も少なくない。
政教分離や公的機関の非宗教化ということにきわめて厳格なフランスが、こうしたことに関してはアメリカほど神経質でない、という点はちょっと面白い。

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フランス国立図書館の「電子展示会サイト」公開

日仏文化協力90周年(日仏会館が設立されて90周年)を記念し、フランス国立図書館(BnF) と日本の国立国会図書館はそれぞれ電子展示会のサイトを作成してきました。12 月11日に、BnF側のサイト “France-Japon  une rencontre, 1850-1914” が一般公開されました。

日本の国会図書館側の電子展示会サイト「近代日本とフランス--憧れ、出会い、交流」も 12月初旬に公開されています。

BnF のサイトは、現時点では、presentation(館長挨拶)以外はフランス語のみでの公開となっていますが、来年1月には日本語版も公開されて日仏ポータルサイトになるとのことです。

『富嶽三十六景』にオマージュをささげた『エッフェル塔三十六景』などの面白い作品や、その他 BnF 所蔵の日本関係の様々なコレクションに簡単に高画質でアクセスできます。ぜひご覧下さい。

なお、先に、「ジャポニスムのフランス人版画家たちの作品公開(BnF サイト)」と「フランス国立図書館HPで幕末~明治初頭期の日本の写真公開」の記事で紹介した棚橋美知子さんは、このBnF 側のポータルサイトにも関わっておられます(サイトのクレジットにお名前があります)。

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河村雅隆先生テレビ出演(2015年1月19日)

河村雅隆先生(国際言語文化研究科メディアプロフェッショナル講座)は本ホームページで「メディアとフランス」を連載され、また名大のフランス関係教員が協力して開講している言語文化科目III 「文化事情1 (フランス)」の担当にも加わっておられます。その河村先生が、名古屋テレビの『哲人の告白』に出演なさいます。

放送予定は次の通りです。ぜひご覧下さい。
<メ~テレ/愛知、岐阜、三重>
▼2015年1月19日(月)18時56分~19時00分

<静岡朝日テレビ/静岡>
▼2015年1月31日(土)17時25分~17時30分

 

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河村雅隆: フルブライトの言葉

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

現在、教養教育院で、全学の先生方が参加して行うオムニバス形式の授業『文化事情(フランス)1』が開講中である。このHPのフロントページでも説明されているように、この講義は、名古屋大学からストラスブール大学に留学しようという学生を主な対象にしたもので、私もその中の「放送メディアとフランスの政治」という回を12月に担当することになっている。

昔ヨーロッパでメディアの仕事をしていただけの私がそんな授業を行おうというのは僭越至極だが、「やらないよりやった方がいいだろう」という気持から担当させていただくことにした。「教えるということは教える立場の自分がいちばん勉強になる」というのは、教壇に立つようになってしみじみ実感するようになったことである。

授業では、統合が進むヨーロッパ全体の中でフランスのメディアが置かれている立場や、アメリカや英国と比較してのフランスの放送の特徴といったことを話していきたいと考えている。それを通して、「芸術の国、ファッションの国、グルメの国」というだけではないフランスの一面を伝えられれば、と思う。

留学予定者を対象とする授業を担当することになって、思い出したひとつの言葉がある。第二次世界大戦後、アメリカは世界中から自国に多くの留学生を招き、またアメリカからも大勢の学生や研究者を世界に向けて送り出した。いわゆる「フルブライト計画」である。そのプランの生みの親、フルブライト上院議員の言葉である。彼は、巨費を投じて行う留学や交流の効果をいぶかしく思う人たちに向かって、こう語りかけた。

「学生の交換によって、直ちに国と国の間に愛情が生まれるなどとは思わない。そうしたことがこの計画の目的ではない。この計画が人間の共通の感情、すなわち『他の地域にも、我々と同じ喜びや痛み、残酷さや親切心を持ったひとりひとりの人間が暮らしている』ということを知ることにつながるなら、それだけで十分だ」

良き時代の大国の風格を感じさせる言葉ではなかろうか。曲がりなりにも豊かになった我々と我々の社会は、このような「幅」を持ち得ているだろうか。個人の幅は、間違いなく社会の幅につながっていく。フルブライトにならって、私も学生たちに「まあ気楽に行ってらっしゃい」と声を掛けようと思っている。そして彼等が、内向きと言われがちな名大生に刺激を与えてくれることを強く願っている。

 

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書評 河村雅隆・著 『テレビは国境を超えたか ヨーロッパ統合と放送』

「文化事情1 (フランス)」をご担当いただいている、国際言語文化研究科の河村雅隆先生のご著書に関する書評が、NYで出されている『週刊NY生活』という週刊新聞に掲載されましたので、ご紹介します。

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書評 『テレビは国境を超えたか ヨーロッパ統合と放送』
   河村雅隆・著 ブロンズ新社・刊

放送人として見た欧州統合  小味かおる

欧米の放送がいかに始まったか、ヨーロッパとアメリカの放送は何が違うか、放送から見たヨーロッパ統合とは何か。放送人としてロンドンやニューヨークで働き、国境を越えようとするテレビ報道の動きを目の当たりにした著者が、アメリカとは根本的に異なるヨーロッパの放送について、その放送制度の変遷を紐解き、汎ヨーロッパの衛星放送の試みを展望する。

著者の河村雅隆さんは長年NHKで報道の仕事に関わり、90年代初めにロンドン勤務、2007年から2010年までジャパンネットワーク(テレビジャパン)のエグゼクティブ・バイス・プレジデントとしてニューヨークに赴任した国際派の放送人。現在は名古屋大学大学院国際言語文化研究科の教授として、メディアプロフェッショナルコースで「比較放送論」などの教鞭を執る。

1920年代のラジオブームに始まる放送の歴史は、イギリスのBBCは放送は営利から離れて「文化的・道徳的使命を担う国民への奉仕事業・公共サービス」という考え方が根強くあり、一方アメリカでは放送は産業と理解され、両国がスタート時点から正反対のスタンスをとってきた。また、ヨーロッパ各国は長らくBBCの姿勢とあり方が影響を与え、公的な放送が長らく独占的な地位を保ち続けたが、80年代の衛星放送やケーブルテレビの出現、さらには自由競争の原理が放送という分野にも導入され、「ユーリコン」や「ユーロパ」といった国境の枠を超えた欧州各国参加の衛星放送へと発展していく。

もちろん、一筋縄ではいかない。例えば自動車のボルボは、イギリスでは「堅実な車」、イタリアでは「セクシーで高級」という売り込み方をしており、地域に特化した広告が出せない。そして20世紀半ばまで「国民統合の象徴」として機能してきた放送はいま、多様化が急速に進む世界にどう対応していくのか。メディアがナチス政権に利用された反省を踏まえて、放送に関する規制や行政がすべて州ごとに行われているドイツの取り組みを例示し、公共放送に求められる多様性を提示する。

ヨーロッパ統合の波の中で「メディアは文化か産業か」という議論が続くヨーロッパ各国の放送界の挑戦は、その激動の現場の「証人」だった河村さんにしか書けないエピソードも織り込まれて読み応えがある。欧米や日本の放送に関する法律の記述も充実していて参考図書としても活用できる。河村さんは、放送局で働く人や大学でメディアを学ぶ学生に、テレビやラジオといった身近なメディアの背景や経緯を理解してほしいとの願いから本書をまとめたとあとがきに綴っている。本書の端々から、放送とくに公共放送に身を置いた者の責任感と使命感が読み取れる。

上記の書評が掲載されている『週刊NY生活』のページはこちらです。

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