河村雅隆: シェンゲン協定の見直し

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

 前回この欄で、アフリカなどから押し寄せている「難民」が、ヨーロッパの国々にとっていかに重大な問題となっているかを見た。それらの人々の多くは、経済的な困窮などの事情から、入管当局の目を逃れるかたちで南欧の国々に入ってきた人たちである。今回は彼等とは違い、いわば合法的にヨーロッパの国々に入国したものの、その後、不法なかたちで欧州域内に留まることになった人々のことについて触れてみたい。

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 海路やってくる難民の問題とあわせ、最近ヨーロッパで大きく報じられたのは、シェンゲン協定という、出入国に関する審査を免除した取り決めについての議論である。この協定は1985年に締結・成立したもので、内容を一言で言ってしまえば、協定参加国の間で人間の移動に関するチェック、すなわち「パスポート・コントロール」をすべて廃止するというものだった。協定に加盟している国の国民が他の協定加盟国に移動しようとする場合、その人は入国に際して一切の審査手続きを免除されたのである。

それだけではない。協定に加わっていない第三国の人間が、協定加盟国において初めてヨーロッパに入ったとしよう。その人は次に他の協定加盟国に移動しようとする場合、いちいち各国の入国審査を受ける必要はなくなり、自由に移動することができるようになった。

日本人もこの協定の適用を受けており、シェンゲン協定の加盟国にひとたび入国すれば、他の加盟国のどこにでも自由に移動できるし、シェンゲン圏と呼ばれる領域内ならどこでも原則、最大限90日間滞在することができるようになった。ところが最近、この取り決めが小アジア、中東、アフリカなどからの移民流入を受けて、一部見直されはじめたのである。

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 振り返ってみれば、1980年代とはヨーロッパにおいて統合の機運が大いに高まった時代だった。その時期、欧州では人、モノ、金のEC(当時)域内における自由な流通が推進され、シェンゲン協定もそうした流れの中で誕生したものだった。シェンゲンとはルクセンブルクにある小さな村の名前で、西ドイツ(当時)、フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク5が国の首脳は、この村を流れる川に浮かべた船の上で歴史的な協定に調印したのである。

 今、80年代とは統合の動きが急速に進んだ時代だったと書いたが、その時期までにはEC(当時)各国の、西ヨーロッパ市民に対する旅券の審査は、既にかなり形式的なものになっていた。フランス・ベルギー国境などの場合、人々はちらっとパスポートを見せるだけで、ほとんどノーチェックで出入国することが出来た。しかしそれは、あくまで運用面において審査が簡素化されていたということでしかなかった。シェンゲン協定は、主権国家が人間の出入りという、国家にとって最も重要な業務を正式に放棄したという意味において、画期的なものだったのである。

その後、この協定に加入する国は数を増し、現在では26もの国がシェンゲン協定に加わっている。ヨーロッパで加入していない国と言えば、イギリスとアイルランドくらいで、注目すべきは、ECの後身であるEUに加盟していないノルウェー、アイスランド、スイスもシェンゲン協定には加わっているという点である。このようにシェンゲン圏とEU圏との関係は非常に複雑なものになっている。

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 今回、シェンゲン協定が見直された最大の理由は、深刻化する移民の流入問題である。域外からやってきた人間は、いったんシェンゲン圏内に入ってしまえば、圏内を自由に移動することが出来る。逆に加盟国にとっては、人々の移動をコントロールしたり自国への入国を拒否したりすることが非常に困難になってきている。昨今のヨーロッパでは、「協定は、各国が有効な移民対策を取るための障害になっている。シェンゲン圏内に入ってしまった途端、姿をくらましてしまい、その後ヨーロッパに不法滞在する人間はあとを絶たないではないか」という批判が力を得てきたのである。

 2013年8月EUの執行機関である欧州委員会は、シェンゲン協定の加盟国の出入国管理に関して、次のような見直し案を採択した。

 まず、加盟国が国境における出入国審査を暫定的に復活させることを認めた上で、もしそれを復活させる場合には、復活のため手順を明確に示すことを求めた。さらに、国境における監視体制を改善できない加盟国に対しては、協定加盟国としての資格を一時停止する可能性があることも示唆したのである。この時、加盟国の間では、加盟国としての資格が停止される可能性のある国とはギリシャのことであると解されていた。現在、西ヨーロッパにはトルコからギリシャ経由で流入してくる人たちが少なくないが、EUはその流れの源を絞ることで、移民の流入をコントロールしようと考えたのである。

シェンゲン協定の見直しを先取りするかたちで、ヨーロッパのあちこちで一部の加盟国が国境における出入国管理を復活させている。フランスは、北アフリカからの難民が自国内に入ってくるのを抑えるために、フランスとイタリアを結ぶ鉄道の運行を一時的に停止する措置を取ったこともある。デンマークでは入管ではないが、税関職員の数が増強された。

 ヨーロッパの統合は、決して一直線で進んできたものではない。一歩進んだかと思うと二歩下がるということを、これまで延々と繰り返してきた。最近では難民や不法移民の大量流入という事態を受けて、これまでの統合の動きを見直そうという動きも目立ってきている。こうした動きがこれまで積み上げてきた統合の動きを本当に後退させてしまうのか、それとも一時的な後退にすぎないのか。ヨーロッパのメディアの伝えるニュースに注目していきたいと思う。

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10/22(水): フランス留学フェア

10月22日(水)にキャンパスフランス主催の留学フェアが開催されます。
フランス留学にご興味のある学生はぜひ参加してください。

日時:
11:00-14:00:留学フェア@国際教育交流センター前
14:45-16:15:フランス留学説明@国際教育交流センター1階ラウンジ
       留学体験談 (パリ第7大学、リヨン第3大学留学経験者)

キャンパスフランス

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フレンチポップコンクール2014 (11月23日、南山大学)

  • 日時: 11月23日(日) 14時~18時30分
  • 会場: 南山大学 フラッテンホール
  • 参加費: 無料
  • 問い合わせ: 052-781-2822

詳しくはもう一度ここをクリックしてください。

フレンチポップについての事前の情報収集はこちら
フランス・ポピュラー音楽 (1980-現在)
フランス・ポピュラー音楽 (1960-1979)

 

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フランス語研修書類一式

2014年度フランス語研修の書類一式は、これです。

募集要項 日程費用 申込書 応募要件(奨学金) 家計基準申告書(奨学金) 地図(国際企画課)

名古屋大学国際交流センター海外留学室のページに掲載されている交流協定校の短期特別プログラムのリストのうちの「ストラスブール研修|フランス(春)」にも情報があります。

 

 

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ジャポニスムのフランス人版画家たちの作品公開(BnF サイト)

先の「フランス国立図書館HPで幕末~明治初頭期の日本の写真公開」の記事でも紹介しましたが、名古屋大学大学院国際言語文化研究科修了生である棚橋美知子さんは、2013年10月から2014年3月までほぼ半年間、フランス国立図書館(BnF, パリ) においてカタログ作成のアシスタントとして働かれました。

今回新たに、棚橋さんがカタログを作成された、ジャポニスムの3人のフランス人版画家のほとんどの作品がGallica(BnFの電子データ・サイト)にアップされました。以下にリンクを張りますのでご覧下さい。

Prosper-Alphonse Isaac (1858-1924)

George Auriol (1863-1938)
George Auriolについての参考ブログ(フランス語)

Jules Chadel (1870-1941)

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フランス・ポピュラー音楽 (1960-1979)

Musique pop française (1960-1979)

 フランス語圏のポピュラー音楽の曲をピックアップして紹介します。今回は1960年代、70年代を扱います(「1980-現在」編はこちら)。曲の選定は、飯野和夫(名古屋大学大学院国際言語文化研究科)と棚橋美知子(愛知工業大学・名古屋市立大学非常勤講師)が話し合って行いました。二人ともふだんは日本に住みフランス語・フランス文化を教える教員であり、ポピュラー音楽の専門家ではありません。また、何らかの客観的指標にもとづいて選曲したわけでもありません。学生の皆さんはフランス語圏のポピュラー音楽にはあまりなじみがないと思います。このページはそうした皆さんにこの音楽に興味を持ってもらうきっかけになることを目指すもので、それ以上のものではありません。

紹介したい曲については、歌手名、曲名、発表年を順に掲げ、ビデオあるいは音声、次いで歌詞にリンクさせました。さらに、歌手についてWikipedia の項目、活動全般が把握できる音楽サイトのページ、オフィシャルサイト、へのリンクを掲げました。Wikipedia は日本語か英語のページにリンクさせましたが、そのページの左側にあるリンクから他の言語のページに移れます。Wikipedia の記述は参考程度に考えて下さい。このページの末尾には参考になる若干のサイトと文献を掲げています。

注意事項

 このページでは見る人の便宜のために、他のサイト上のビデオ、歌詞へのリンクを張っています。これらネット上のコンテンツは個人での利用に限って下さい。また、ビデオなどを自分のパソコンなどへ保存することは禁じられています。リンクの作成は次のような考え方にもとづいて行いました。

(1) リンクさせるビデオは1. プロモーション用など公式のビデオ (« vevo » が提供するビデオを含む) と、2. フランス国立視聴覚研究所(L’Institut national de l’audiovisuel、INA)が運営する ina.fr というサイト上のビデオ、を優先しました。1, 2でカバーできない若干の曲については、3. ネット上の主要な音楽サイトを利用しました。こうしたサイトも著作権を遵守することを表明しています。

(2) 歌詞についても、主要音楽サイトは同様の立場を取っています。ただし、このページでは念のため、個々の歌詞に著作権についての記載がある Lyrics.net と、「出版社、著作権保有者との協定によって100%適法」であると宣言している Paroles.net という二つの歌詞サイトに優先的にリンクさせました。(Pareles.net は使い勝手が悪いかもしれませんが、こうした事情ですのでご了承ください。)

このページの内容についてのご意見は、直接飯野(ino@nagoya-u.jp,送信時には@を半角に変更)に送るか、このホームページの「Contacts お問い合わせ」のページのフォームを使って下さい。

 

1960年代

Johnny Hallyday ジョニー・アリデー (1943- )    Il faut saisir sa chance             1961
ビデオ歌詞。アリデーはフレンチポップの大御所。フランスの Elvis Presley のような存在で今日まで活躍を続けている。« Johnny Hallyday » はステージ・ネーム。
J. Hallyday : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

Dalida ダリダ (1933 – 1987)        Garde-moi la derniere danse(ラストダンスは私に)     1961
試聴(アルバム所収の曲目から選択)。歌詞。ダリダはカイロ生まれのイタリア系。アメリカの The Drifters の « Save the Last Dance for Me » のフランス語によるカバー。
Dalida : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動

Salvatore Adamo           サルヴァトール・アダモ (1943- ) Tombe la neige(雪が降る)      1963
試聴+歌詞。アダモはイタリア生まれだが、幼少よりベルギーに移り住んだ。主にフランス語で歌い、世界的名声を得た。日本にもなじみが深い。
Adamo : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site(メンテナンス中)

Danielle Licari ダニエル・リカリ             Les parapluies de Cherbourg(シェルブールの雨傘)      1964
ビデオ歌詞 (歌手名は C. Deneuve になっている)。フランスの同名のミュージカル映画の主題歌。Catherine Deneuve (カトリーヌ・ドゥヌーヴ) 演じるヒロインの歌う歌をリカリが吹き替えた。リカリは Concerto pour une voix (ふたりの天使、1970年) のスキャットでも有名。また、60年代のフランスのミュージカル映画では『ロシュフォールの恋人たち Les Demoiselles de Rochefort 』(1967) も必見。
Danielle Licari : Wikipedia(日本語) ; Official Site

Enrico Macias エンリコ・マシアス (1938- )          Paris, tu m’as pris dans tes bras         1964
試聴 (アルバム所収の曲目から選択)。ビデオ(1965)歌詞。マシアスはフランス領だったアルジェリアの生まれ。世界的名声を得た。他に L’amour, c’est pour rien (1964) (試聴[アルバム所収の曲目から選択]、歌詞) もよく知られている。
E. Macias : Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site

Sylvie Vartan シルヴィー・ヴァルタン (1944- )    La plus belle pour aller danser(アイドルを探せ)              1964
ビデオ歌詞。シャルル・アズナヴール (Charles Aznavour) の名曲。S.ヴァルタンは68年には Irrésistiblement 愛のとりこ (ビデオ歌詞) も大ヒットさせる。
S. Vartan : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

France Gall フランス・ギャル (1947- )    Poupée de Cire, Poupée de Son(夢見るシャンソン人形)              1965
ビデオ歌詞。セルジュ・ゲンズブール (Serge Gainsbourg) の初期の作品。F. ギャルはソングライターのMichel Berger ミシェル・ベルジェと結婚し、その後も長く活躍。他に Évidemment (1987)(試聴〔アルバム所収の曲目から選択〕、歌詞)など。
F. Gall : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動

Vicky Leandros ヴィッキー・レアンドロス (1949- )           L’amour Est Bleu(恋は水色)   1967
ビデオ歌詞。V. レアンドロスはギリシャ出身。この曲は1967年のユーロビジョン・ソング・コンテストで入賞した。
Vicky : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

Françoise Hardy フランソワーズ・アルディ (1944- )         Comment te dire adieu(さよならを教えて)              1968
試聴(アルバム所収の曲目から選択)。歌詞。これも S. ゲンズブールの作曲。F. アルディは長く活躍を続けるシンガー・ソングライター。夫は著名なミュージシャンのジャック・デュトロン(Jacques Dutronc)。
F. Hardy : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

Joe Dassin ジョー・ダッサン (1938 – 1980)          Les Champs-Elysées   1969
ビデオ(Cecilia, Les Champs Elysées, etc. [Les Champs Elysées は 3:30 あたりから])。試聴歌詞。J. ダッサンはアメリカ生まれだが、少年期に家族とヨーロッパに渡り、その後、歌手としてフランスで活躍した。心臓発作により死去。
J. Dassin : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動

Michel Polnareff ミシェル・ポルナレフ (1944- )  Tout, tout pour ma chérie      1969
試聴(or ビデオ)(アルバム所収の曲目から選択)。歌詞。この曲は誰もが耳にしたことがある大ヒット曲。Love me, please love me (1966)(試聴〔アルバム所収の曲目から選択〕、歌詞)も有名。父方がウクライナ系。
M. Polnareff : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site(フランス語を理解できる人向け)

60年代には他にも
Yves MONTAND イヴ・モンタン、Jacques BREL ジャック・ブレル、Charles AZNAVOUR シャルル・アズナヴール、Juliette GRÉCO ジュリエット・グレコ、Georges MOUSTAKI ジョルジュ・ムスタキ、Gilbert BÉCAUD ジルベール・ベコー、Nana MOUSKOURI ナナ・ムスクーリ、BARBARA バルバラ、など多くの歌手が活躍しました。


1970年代

Véronique Sanson ヴェロニック・サンソン (1949- )         Amoureuse       1972
試聴(アルバム所収の曲目から選択)。ビデオ歌詞。シンガー・ソングライターとして今日に至るまで活躍を続けるサンソンのデビューアルバム Amoureuse から。
V. Sanson : Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site

Brigitte Fontaine ブリジット・フォンテーヌ (1940- ) / Areski Belkacem アレスキ・ベルカセム (1940- )              Comment ça va              1973
試聴(アルバム所収の曲目から選択)。歌詞(B. Fontaine の曲の歌詞は greatsong.net に詳しい、このサイトでの試聴には登録が必要)。アンダーグラウンド系音楽。二人の前作、1969年のアルバム Comme à la radio もフランスのアンダーグラウンド音楽の古典的存在。ina.fr のサイトでは1990年代の二人(あるいはBrigitte一人)が演奏する映像(Soufi, Le Nougat など)を見ることができる。彼らの曲の歌詞は多くの場合平易なのでフランス語の学習にも応用できそう。
B. Fontaine: Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site
Areski: Wikipedia(French) ; 音楽活動

Michel Delpech ミシェル・デルペッシュ (1946- )  Le chasseur    1974
試聴(アルバム所収の曲目から選択)。歌詞(ビデオ)。デルペッシュは70年代後半から80年代前半にかけての内向期を経てカムバックした。この曲の歌詞は平易。半過去が多用されている。
M. Delpech: Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site

Jacques Brel ジャック・ブレル (1929 – 1978)     Voir un ami pleurer      1977
試聴(アルバム所収の曲目から選択)。歌詞。ブレルは50年代、60年代と活躍して名声を確立し、1973年にフランス領ポリネシアに移住した。74年に肺がんを患った彼は、77年パリで最後のアルバムを発表した。この曲はその内の一曲。他に La ville s’endormait, Jojo など。翌78年に死去。
J. Brel : Widipedia(日本語) ; 音楽活動

Téléphone テレフォン (1976 – 1986)        Hygiaphone      1977
ビデオ (Flipper, Le vaudou, et Hygiaphone [Hygiaphone は 11 :30 あたりから])。歌詞(Hygiaphone)。Téléphone はフランスには珍しい「古典的」ロックグループ。1976年から1986年まで活動。ここに掲げた曲はデビューアルバム中の一曲。他に Ça (C’est Vraiment Toi) (1982) (ビデオ歌詞) など。ヴォーカルであった Jean-Louis Aubert (1955- ) はその後ソロに転じて成功した。
Téléphone : Wikipedia(English) ; 音楽活動

Claude François クロード・フランソワ (1939 – 1978)        Alexandrie Alexandra  1977
ビデオ歌詞。C. フランソワは、« Cloclo » の愛称で呼ばれた1960-70年代を代表する歌手だったが、1978年に事故(感電)により惜しくも亡くなった。1967年には、Comme D’Habitude (いつものように) (ビデオ歌詞) を歌っている。これは、ポール・アンカ Paul Anka、フランク・シナトラ Frank Sinatraらが歌って世界的にヒットした My Way の原曲。
C. François : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動

1970年代にはまた、Yves Duteil イヴ・デュテーユ (1949- ) が代表曲 Prendre un enfant (子どもを抱いて) (1977) (ビデオ歌詞) をヒットさせました。

 

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リアルタイムのフランスにおけるヒット状況は、たとえば Charts in France のサイトの次のページで見ることができます。
Top Singles en France
Top Albums France

参考になる日本のサイトと文献には以下のようなものがあります。
Music of France” (Wikipedia)
French pop music” (Wikipedia)

現代のフランス音楽事情」-フランス観光開発機構オフィシャルサイトの中の記事。

フランス語 Chocolat! Podcast: Musique 音楽」-オンライン・フランス語教室の音楽紹介のページ。

音楽雑記帳: フレンチポップ」-音楽関係のブログのフレンチポップのカテゴリー。

ルゼルの情報日記 シャンソン/フレンチポップ・カテゴリ」-現在も更新されて新曲を紹介しているページ。

フレンチポップ100年史」-現在も更新されて新曲を紹介しているページ。10年ごとの「データベース」もあり、「試聴付き」とされていて目を引くが、実際に曲を聞くことができる場合は限られている。

Demari,長野,西山,Calvet『ヌーヴェル・シャンソンで楽しむ 現代フランス語スケッチ』 (2枚組CD および 別冊日本語版付き), 第三書房,1996.

大野,野村『シャンソンで覚えるフランス語』1-3,第三書房,1 : 2003, 2 : 2004, 3 : 2005.

永島茜『現代フランスの音楽事情』,大学教育出版, 2010.
この書は現代フランスのいわゆるクラシック音楽について扱っている。

田所光男「エンリコ・マシアスの歌うアラブ=ユダヤ共生」,平成16年度-17年度日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(C)「20世紀ポピュラー音楽の言葉:その文学的および社会的文脈の解明」報告書,2006年2月

田所光男「ショアー後のフランスに生きる東欧ユダヤ移民のアイデンティティ――革命家ピエール・ゴールドマンと歌手ジャン=ジャック・ゴールドマン――」,『敍説』第2巻第3号 p.101-114,花書院,2002年1月

 

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9月30日:2014年度フランス語研修オリエンテーション次第

日時:9月30日(火)5限目16:30~
場所:全学教育棟CALL1教室

1.言語文化科目Ⅲ:文化事情(フランス)1および2の履修(教養教育院事務室)

2.研修プログラムの説明(フランス語科 藤村)

3.昨年度研修生の声

    • 体験談(文学部3年安司さん、法学部2年森田さん)
    • 質疑応答(経済学部3年斎藤さん、法学部2年戸塚さん、文学部2年横井さん)

4.申込の方法、日程、費用、選考(国際部国際企画課国際事業掛)

5.奨学金の申請(国際部国際学生交流課)

6. 質疑応答

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河村雅隆: 深刻化する欧州への難民流入

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

インターネットなどを通して送られてくるヨーロッパのテレビを見ていて気がつくのは、アフリカや中東から海を渡って欧州に押し寄せる移民や難民に関するニュースが非常に多くなっているということである。ヨーロッパの公共放送各局が出資し、放送・配信している「ユーロニュース」は、それこそ毎日のようにこの問題を取り上げている。

難民が漂着することがいちばん多いのは、アフリカ大陸にあい対しているイタリアの南部だが、イタリアと同じように地中海に面しているフランスもこの問題には敏感で、新聞もイタリアと危機感を共有するかたちで、南欧における難民流入の動きを大きな紙面を割いて伝えている。難民をめぐる問題が現代のヨーロッパの社会にとって、きわめて大きな事柄となっていることは明らかである。

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地中海をはさんでリビア、チュニジアなどと向き合っているイタリアには、このところボートなどに乗ってアフリカ大陸から流れ着く、いわゆる難民の数が激増している。当局の発表によれば、イタリアには今年初めから8月上旬までの間だけで89,973人という数の人々が漂着した。この数は2013年1年間の難民の数を既に大きく上回っており、当局は今年末までにはその数は10万人を超えるだろうと予想している。また、イタリアの沿岸警備隊が難民たちを救助するために出動した回数も300回以上というのだから、1日に一回以上は、難民を海から救い上げた勘定になる。漂着する前に命を落としてしまった人の数を合わせたら、難民の数はさらに多くなるに違いない。

激増する難民流出を背景に、北アフリカや、エリトリア、ソマリアなどの東アフリカでは、ヨーロッパへの脱出をあっせんする仲介業者の数も急増している。高い金を受け取った彼等は難民をボートや貨物船の船倉に押し込め、ヨーロッパの海岸に送り込んでくる。貨物室に隠れるかたちで海を渡ってきた人の中には、熱気と酸素不足などから、上陸前に命を落とす者も少なくない。欧州の港に着いた船の貨物室から難民たちの遺体が発見されたというニュースは、それこそ日常茶飯事のようにヨーロッパのテレビに登場する。

最近では仲介業者の作戦も巧妙さを増しており、アフリカ北岸から難民をボートで送り出す際、彼等に衛星電話を持たせておき、イタリアの領海に近づいた頃、自分の方から、あらかじめ教えておいた沿岸警備隊の番号に電話させる業者まで現われている。つまり、助けてくれと自分の方から連絡させるのである。事態はそこまでエスカレートしている。このように難民流入の勢いは留まるところを知らず、欧州の抱くこの問題に対する危機感は、日本では想像のできないくらい大きなものとなっている。

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ここまで私は「難民」という言葉を使ってきたが、ヨーロッパ大陸の南岸に漂着してくる人たちを「難民」という言葉でひとくくりにすることには、問題があるかもしれない。元々難民とは戦争、民族紛争、宗教的な迫害、思想的な弾圧、政治的な迫害、経済的な困窮、自然災害、飢餓、伝染病などによって、元々自分たちの住んでいた地域を逃れたり追い出されたりした人たちのことを広く意味しているが、国際条約による定義ではそのうち、人種や宗教、政治的思想により、居住する地域の政府などによって迫害される恐れから国外に逃れた人々のことを「難民」と定めている。これが狭義の難民、いわゆる「政治難民」である。

しかし最近では政治的な理由だけでなく、経済的な原因で故郷を離れる人たちも目立っている。政治的な理由と経済的な問題が結びついている場合も、もちろん少なくない。ヨーロッパに密航してくる人たちの多くは、狭義の難民とはやや性格を異にする「経済難民」と呼びうる存在かもしれないが、ここではそういう人たちを含めて「難民」という言葉を使っていくことにしよう。

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さて、粗末な小舟に乗ってやってきた北アフリカなどからの難民の多くがまず辿りつくのは、イタリア南部の島や海岸である。その数はあまりに多く、イタリア政府や自治体は最近では彼等の上陸を、もはやコントロールできない状態に陥っている。つまり勝手に上陸してしまうケースが多く発生している。これまで、国家とは国境によって厳しく規定され、国と国、国民と国民の間にははっきりした線が引かれていたのだが、その壁が確実に溶解しつつあるのである。

イタリア南部への上陸に成功した人たちの多くは、イタリア半島を北へ目指す。もちろん南部で農場や果樹園などで不法に働き始める人間もいるが、農場などは不法に入国した人を雇うことに強い警戒感を持っており、難民たちの多くは首都のローマをめざすと言われている。

先日、ヨーロッパのテレビを見ていたら、ローマ市内の老朽化し、無人のまま放置されていた高層住宅が、首都に流入してきた難民たちによって勝手に占拠されている事態をリポートしていた。この高層住宅はヨーロッパをめざしている北アフリカの人たちの間で有名になっており、彼等の間では「そこに行けばリビアやチュニジアなどから脱出した同胞と会える。そして、そうした人たちが後からやってきた人間を助けてくれる」という噂が飛び交っているのだという。

難民の中にはイタリア国内をさらに北上して、隣接する国々へ行こうと思う人たちも少なくない。その一方で、かなりの人間はローマやイタリア国内に留まろうと考えている。その理由は、EU加盟国の間には「ダブリン規則」と呼ばれる取り決めが存在しているからである。この規則によれば、難民としての正式の認定を受けたいと考える人間は、最初に入国したEU加盟国に対して申請を行わなければならない。つまり、北上して行き、仮にイタリア以外の国に入国できたとしても、彼等は2番目以降入国した国に対しては、難民認定の申請をすることが出来ない。この規定によって、難民が最初に入国した国(その多くはイタリア、スペイン、マルタなどの国々だが)に留まるケースが多く、それが地中海沿岸の諸国に大きな負担をもたらしているのである。

ローマ市内の老朽化した住宅を勝手に占拠して暮らしている人たちに対し、イタリアの政府や自治体は、彼等を拘束するという手段も取れないと同時に、劣悪な住宅環境や衛生環境の下に人々を放置しておくこともできないという、難しい立場に追い込まれている。

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難民への対応という問題を難しくしているのは、言うまでもなくヨーロッパ経済の不振という状況である。流入してきた難民のために最低限の住宅環境や衛生環境を整えるには、大変な金が掛かる。経済の不振が続く中、南ヨーロッパの政府や自治体にとって、それはきわめて大きな負担である。また、納税者や有権者がそうした支出に納得してくれるかという問題もある。先に行われた欧州議会の選挙で、ヨーロッパ各国において、移民や難民の排斥を訴える極右政党が大きく議席を伸ばしたことは、我々の記憶に新しいところである。

そうした事情を背景に、現在、難民たちに対する援助は、行政当局よりむしろ慈善団体やボランティアの手によって行われている。難民を支援する団体は、日常生活に欠かせない用品の提供を市民に呼び掛け、集まった品物を難民に配布している。医師たちのボランティ活動も始まっている。しかし、個人や団体による支援には限界があると同時に、そうした支援が難民たちを地域に留めてしまっている、という批判も現われている。

難民をめぐるヨーロッパのテレビや新聞の報道を見ていると、この問題がどんどん深刻さを増していると同時に、誰ひとり抜本的な解決策を見出せていない、ということを痛感する。究極的にこの問題を解決するには、アフリカや中東地域など、難民を送り出している国々を安定させ、その地域で経済と雇用を確保するしかないことは明らかだが、そういったことが実現するまでに一体何年かかるかは誰にもわからない。

中期的な解決策としては、欧州にやってきた難民が仕事の場を得られるように、彼等に職業訓練の機会を与えるべきだという意見も聞かれるが、そうした考えは、ただでさえ厳しいヨーロッパの雇用情勢をさらに悪化させるだけだという声にかき消されがちである。そうした中、イタリア南部の海岸には北アフリカからの難民を乗せたボートが今日も到着している。

 

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日程決定:2015年3月フランス語短期語学研修

日程が決まりました。
2015年3月1日~3月14日(現地集合、解散日)

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今年度もフランス、ストラスブール大学でのフランス語短期語学研修が行われます。この研修は、言語文化Ⅲ「文化事情(フランス)2」として開講され、「文化事情(フランス)1」と合わせて履修することにより単位認定されます。

期間:2015年3月1日~3月14日(現地集合、解散日)

定員:20名

参加資格:
1. 学部1、2年生
2. 本学教養教育院にて「フランス語」科目の規定の単位を取得済み
3. 今年度後期火曜5限「文化事情(フランス)1」を履修

オリエンテーション:
9月30日5限に全学教育棟CALL1教室にて、研修の詳細と履修登録に関する説明会を開催します。研修に興味のある学生は必ず参加してください。

費用:
850ユーロ(12万円)程度(以下1, 2, 3を含む;航空券は含まれない)
1. 学費:
ストラスブール大学付属語学学校にて授業(月から金):9時-12時、午後は市内見学、ヨーロッパ議会見学、文化・スポーツ催しなど
2. 宿泊:
レジデンス・アミテル、語学学校から徒歩15分、シングル個室、2食つき
3. 家庭訪問、ストラスブール大学の学生との交流

費用補助:
日本学生支援機構からの奨学金(8万円、16名分)に応募できる。名大奨学金を得られる可能性がある。(どちらも、成績評価係数2.3以上の学生が対象)

★研修の最新情報や昨年度の様子は、「名古屋大学 フランス語科のHP」(本HP)をご覧下さい。教養教育院HPより、言語文化Ⅲ「文化事情(フランス)1、2」のシラバスを参照してください。

言語文化Ⅲ「文化事情(フランス)1」
http://www.kyoiku-in.nagoya-u.ac.jp/syllabus2014/201252/syllabus/20140082502.html
「文化事情(フランス)2」
http://www.kyoiku-in.nagoya-u.ac.jp/syllabus2014/201252/syllabus/20140080003.html

★問い合わせ先:
・研修内容 フランス語科問い合わせフォーム
・事務手続き 国際部国際事業掛 <otsuka.haruka@adm.nagoya‐u.ac.jp>

本研修のチラシはこちらです。

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新刊書紹介『テレビは国境を越えたか』

「メディアとフランス」を連載していただいている河村雅隆先生が、『テレビは国境を越えたか』と題するご著書を上梓されました。

以下、河村先生に自著紹介の文章を書いてもらいましたので紹介します。興味を持たれた方はぜひ手にとってみて下さい。
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私ごとで恐縮ですが、このたび、『テレビは国境を越えたか~ヨーロッパ統合と放送~』を出版することができました(ブロンズ新社、本体1600円)。ヨーロッパの放送の歴史とこれからを、アメリカとの比較を含めて論じたものです。当初書きたいと思ったのは、1990年代のはじめにロンドンで経験した、国境を越えようとするテレビの動きだったのですが、今のことだけを記述したのでは、現代の問題は読者に何も伝わっていかないということに気付きました。その結果、内容は「今を成り立たせているもの」の方へとどんどん遡っていき、出来上がったものは歴史とも時評ともエッセーともつかないものになってしまいました。

ヨーロッパのことを論じると言いながら、フランスなど大陸のことや21世紀以降のことについては記述が限られたものになってしまい、忸怩たる思いです。それらは今後の宿題としたいと考えています。これまで一緒に勉強に付き合って下さった大学院、学部の皆さんに心から感謝しています。大学の図書館にも入れますので、ご興味のある方はどうぞよろしくお願いいたします。

『テレビは国境を越えたか』表紙

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