フランス・ポピュラー音楽 (1980-現在)

Musique pop française (1980- )

 フランス語圏のポピュラー音楽の曲をピックアップして紹介します。今回は1980年代から現在までを扱います(「1960-1979」編はこちら)。曲の選定は、飯野和夫(名古屋大学大学院国際言語文化研究科)と棚橋美知子(愛知工業大学・名古屋市立大学非常勤講師)が話し合って行いました。二人ともふだんは日本に住みフランス語・フランス文化を教える教員であり、ポピュラー音楽の専門家ではありません。また、何らかの客観的指標にもとづいて選曲したわけでもありません。学生の皆さんはフランス語圏のポピュラー音楽にはあまりなじみがないと思います。このページはそうした皆さんにこの音楽に興味を持ってもらうきっかけになることを目指すもので、それ以上のものではありません。

紹介したい曲については、歌手名、曲名、発表年を順に掲げ、ビデオあるいは音声、次いで歌詞にリンクさせました。さらに、歌手についてWikipedia の項目、活動全般が把握できる音楽サイトのページ、オフィシャルサイト、へのリンクを掲げました。Wikipedia は日本語か英語のページにリンクさせましたが、そのページの左側にあるリンクから他の言語のページに移れます。Wikipedia の記述は参考程度に考えて下さい。このページの末尾には参考になる若干のサイトと文献を掲げています。

注意事項

 このページでは見る人の便宜のために、他のサイト上のビデオ、歌詞へのリンクを張っています。これらネット上のコンテンツは個人での利用に限って下さい。また、リンク先のビデオなどを自分のパソコンなどへ保存することは禁じられています。リンクの作成は次のような考え方にもとづいて行いました。

(1) リンクさせるビデオは、1. プロモーション用など公式のビデオ (« vevo » が提供するビデオを含む)、2. フランス国立視聴覚研究所(L’Institut national de l’audiovisuel、通称INA)が運営する ina.fr というサイト上のビデオ、を優先しました。1, 2でカバーできない曲については、著作権を遵守することを表明しているネット上の主要な音楽サイトを利用し、若干のビデオにリンクさせ、適当なビデオがない場合には試聴ができるようにリンクを張りました。

(2) 歌詞についても、主要音楽サイトは同様の立場を取っています。ただし、このページでは念のため、個々の歌詞に著作権についての記載がある Lyrics.net と、「出版社、著作権保有者との協定によって100%適法」であると明記している Paroles.net という二つの歌詞サイトに優先的にリンクさせました。(Pareles.net は使い勝手が悪いかもしれませんが、こうした事情ですのでご了承ください。)

このページの内容についてのご意見は、直接飯野(ino@nagoya-u.jp,送信時には@を半角に変更)に送るか、このホームページの「Contacts お問い合わせ」のページのフォームを使って下さい。

 

 1980年代

Jean-Jacques Goldman ジャン=ジャック・ゴルドマン (1951- )    Quand la musique est bonne  1982
ビデオ歌詞。現在に至るまで長く活躍している人気歌手ゴルドマンの最初のヒット曲。
J.-J. Goldman : Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site

Jane Birkin ジェーン・バーキン (1946- ) Quoi     1985
ビデオ歌詞。J. バーキンはロンドン生まれ。デビュー後ほどなくフランスに移った。この曲はパートナーだった Serge Gainsbourg (セルジュ・ゲンズブール) 作詩・作曲の名曲。
J. Birkin : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

Sandra Kim サンドラ・キム (1972- )      J’aime la vie    1986
ビデオ歌詞。「S. キム」はステージ・ネーム。ベルギー出身。13歳の時のこのデビュー曲で、当年のユーロビジョン・ソング・コンテストで優勝した。歌詞は平易。
Sandra Kim : Wikipedia(日本語) ; Official Site

Elsa エルザ (1973- )      T’en va pas     1986
ビデオ歌詞。エルザ13歳の時のデビュー曲。歌詞は平易。エルザには他に、Jour de neige (1988) (ビデオ歌詞) など。今日も活躍。
Elsa : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

Vanessa Paradis ヴァネッサ・パラディ (1972- ) Joe le taxi       1987
ビデオ歌詞。やはり今日まで活躍するV. パラディの14歳の時のデビュー曲。1998年から2012年までジョニー・デップのパートナーだった人。
V. Paradis : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

Patricia Kaas パトリシア・カース (1966- )         Mademoiselle chante le blues 1987
試聴(+ビデオ)(アルバム所収の曲目から選択)。歌詞。エディット・ピアフの再来とも言われるカースのデビュー曲。カースには他に、Mon mec à moi (1988) (ビデオ歌詞) など。
P. Kaas : Wikipedi(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

1980年代には Michel Berger ミシェル・ベルジェ (1947 – 1992)  (Wikipedia(English)) がソングライターとして多くの歌手に曲を提供しました(France Gall のパートナー、心臓麻痺で早世)。1980年代から90年代にかけては Julien Clerc ジュリアン・クレール (1947- ) (Wikipedia(English)) も活躍しました。

 

1990年代

Patrick Bruel パトリック・ブリュエル (1959- )     Qui a le droit…              1991
ビデオ歌詞。ブリュエルは82年のデビュー。他に Combien De Murs? (1994) (ビデオ歌詞) など。
P. Bruel : Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site

Mylène Farmer ミレーヌ・ファルムール [milɛn faʁmœʁ] (1961- )      Désenchantée  1991
試聴(アルバム所収の曲目から選択)。ビデオ歌詞。「M. ファルムール」はステージ・ネーム。カナダのフランス語圏、ケベック州モントリオール近郊の出身。パリに出て84年にデビュー。Laurent Boutonnat ローラン・ブトナ (1961- ) が作成する、曲自体よりも長い映画風プロモーションビデオで知られる。
M. Farmer : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Mylène.net(Unofficial Site)

Céline Dion セリーヌ・ディオン (1968- ) Pour que tu m’aimes encore     1995
試聴(アルバム所収の曲目から選択)。関連ビデオ歌詞。C. ディオンはカナダ・ケベック州の出身。北米で活躍。映画「タイタニック」の主題歌を歌ったことで有名。この曲は80年代の項で見たゴルドマンの作詩作曲。この曲を含むディオンのアルバム D’eux (1995) は、ゴルドマンが作詩作曲した曲を中心にフランス語曲を収めたもの。フランスで最も売れたアルバムであり (約440万部)、世界で最も売れたフランス語アルバム (約1000万部) でもある。同じアルバムの J’irai où tu iras試聴 [アルバム所収の曲目から選択]、歌詞)はディオンとゴルドマンのデュエット。
Céline Dion : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

Alain Souchon アラン・スション (1944- )             Foule sentimentale       1995
ビデオ歌詞。スションは70年代から活躍。他にLe baiser (1999) (ビデオ歌詞) など。
A. Souchon : Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site

Princess Erika プランセス・エリカ (1964- )         Faut qu’j’travaille        1996
ビデオ歌詞。プランセス・エリカはラガ、レゲエ系の歌手。他に Calomnie (1992)(試聴〔アルバム所収の曲目から選択〕)など。
Princess Erika : Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site

フランス語以外の曲も紹介しておきましょう。
Khaled, Rachid Taha et Faudel ハレッド (フランスではカレッドとも)、ラシッド・タハ (フランスではタアとも)、フォデル  Abdel Kader     1999
ビデオ歌詞。アルジェリア起源のポップ音楽ライの曲。ハレッドはアルジェリアで生まれ育ったライの歌手(ライの歌手はファーストネームだけで呼ばれる習慣がある)。ラシッド・タハは幼少期にアルジェリアからフランスに移住したロック系の歌手。フォデルはアルジェリア系だがフランスで生まれ育ったライの歌手。3人のコラボによるこの曲はフランスとマグレブ〔北アフリカ地域〕で共に大ヒットした。
Khaled (1960- ): Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site(大音量自動再生注意)
R. Taha (1958- ): Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site
Faudel (1978- ): Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site

なお、90年代初めに日本では、Carole Serrat キャロル・セラ (Wikipedia(French)) が松任谷(荒井)由実の曲をフランス語でカバーしたアルバムが発売されました。1998年には、Alain Bashung アラン・バシュング (1947 – 2009) (Wikipedia(English)) が、La nuit je mens を含むアルバムFantaisie militaire をヒットさせました。Bashung は2009年に61歳で惜しくも亡くなりました。  また、Florent Pagny フロラン・パニィ (1961- ) (Wikipedia(English))、Zazie ザズィ(1964- ) (Wikipedia(English)) が90年代、さらには2000年代以降と長く活躍を続けます。90年代を中心に、ロックグループ Noir Désir ノワール・デズィール (Wikipedia(English)) も活躍しました。

 

2000年代

Garou ガルー (Pierre Garand) (1972- ), Céline Dion セリーヌ・ディオン (1968- )  Sous le vent 2000
ビデオ歌詞。ガルーはカナダ・ケベック州を中心に活動する歌手。この曲はガルー初期のヒットアルバムから。同じケベック出身のC.ディオンとのデュエット。
Garou : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

Daft punk ダフト・パンク           One more time              2001
ビデオ(松本零士によるアニメーション)。歌詞(英語)。ダフト・パンクはフランス人男性2人組。衣装が特徴的で、公では二人とも常にフルフェイスのヘルメットをかぶる。この曲は世界的に大ヒットした。2013年には Get Lucky (2013) (ビデオ+歌詞[英語])(歌手Pharrell Williams、ギタリストNile Rodgersとのコラボ曲)も世界的に大ヒットし、2014年度グラミー賞、最優秀レコード部門賞(Record Of The Year)を受賞した。
Daft punk : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

Jenifer ジェニフェール (1982- )      Des mots qui résonnent!           2002
ビデオ歌詞。ジェニフェールはこの曲を含むアルバム Jenifer でデビューを飾り、2000年代を代表する歌手の一人となった。このアルバムには他に Au soleil, J’attends l’amour など。Jenifer の最後の「ル」は、口腔の奥で舌の背を口蓋に近づけて出す摩擦音だがほとんど聞こえない。
Jenifer : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

M– エム (Matthieu Chedid) (1971- )      Qui de nous deux         2003
試聴歌詞。-M- は芸術系の家庭環境で育った才人。
-M- : Wikipedia(English) ; 音楽活動

Diam’s ディアムス (1980- )          La Boulette       2006
ビデオ歌詞。ディアムスは、キプロスのギリシア人の父とフランス人の母を持ってキプロスに生まれた。フランス語によるラップ歌手。2012年秋に音楽活動からの引退を表明した。
Diam’s : Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site

Christophe Maé クリストフ・マイ (Christophe Martichon) (1975- )   On s’attache           2007
ビデオ歌詞。2000年代後半から活躍する歌手のファーストアルバムから。”Maé” の発音は「マエ」より「マイ」に近い。
C. Maé : Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site

ファッションモデル出身のシンガーソングライターCarla Bruni カルラ・ブルーニ (1967- ) は 2008年初め、当時のフランス大統領ニコラ・サルコジと結婚して話題をさらいました。2000年代は、ベテランLaurent Voulzy ローラン・ヴルズィ (1948- ) (Wikipedia(English)) や Renaud ルノー (1952- ) (Wikipedia(English)) が息の長い活躍を続けます。また、気鋭のソングライターで音楽プロデューサーでもあるBenjamin Biolay バンジャマン・ビオレ (1973- ) (Wikipedia(日本語)) が活躍します。

 

 2010年代

Zaz ザーズ (Isabelle Geffroy イザベル・ジェフロワ) (1980-) Le long de la route       2010
ビデオ歌詞。ファーストアルバム”Zaz”より。このアルバムは世界的にヒットした。他に Je veux (ビデオ歌詞) など。
Zaz: Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

M. Pokora エム・ポコラ (Matthieu Tota) (1985- ), Tal タル (Tal Benyerzi) (1989- )  Envole-moi       2012
ビデオ歌詞。2000年代の中盤から活躍を続けるポコラと、2010年代に入ってデビューしたタルという二人のトップ歌手のデュエット。「ポコラ」は祖母の故国ポーランドの「謙遜」を意味する単語から。タルはイスラエルに生まれ、幼少期に一家でフランスに移り住んだ。この曲は J.-J. Goldman が自ら作詩・作曲して1984年に歌った曲のカバー。
M. Pokora: Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site
Tal: Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site

Stromae ストロマエ (1985- )       Formidable       2013
ビデオ歌詞。2013年後半のヒット曲。受賞多数。ストロマエはブリュセル生まれで、ルワンダ人の父とベルギー人の母を持つ。Stromae は « maestro » の逆さ言葉。同じアルバムから Papaoutai (2013) (ビデオ歌詞) もヒットした。
Stromae : Wikipedia(日本語) ; 音楽活動

Dimie Cat ディミー・キャット (1984- )      La voiture         2013
ビデオ歌詞。この曲を含むセカンドアルバム Zig Zag (2013) は日本盤も出た。英語曲も多い。ディズニー・ソングを英語で歌った最新アルバムOnce Upon A Dream (いつかまた夢で) (2014) も日本で発売。Dimie はブルガリア出身の父方の祖母の旧姓 Dimitroff-Apostoloff から由来するという。
D. Cat : Wikipedia(English) ; 音楽活動 ; Official Site

フランス語以外の曲も紹介しておきましょう。
Nolwenn Leroy ノルウェン・ルロワ (1982- )        Tri martolod     2010 (Single 2011)
ビデオ歌詞。曲は大ヒットアルバム Bretonne から。ブレイス語 (ブルトン語) の伝統曲のカバー。他にフランス語伝統曲のカバーである Dans les prisons de Nantes (試聴〔アルバム所収の曲目から選択〕、歌詞) という曲も。
N. Leroy: Wikipedia(日本語) ; 音楽活動 ; Official Site

 

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リアルタイムのフランスにおけるヒット状況は、たとえば Charts in France のサイトの次のページで見ることができます。
Top Singles en France
Top Albums en France

参考になるサイトと文献には以下のようなものがあります。
Music of France” (Wikipedia)
French pop music” (Wikipedia)

現代のフランス音楽事情」-フランス観光開発機構オフィシャルサイトの中の記事。

フランス語 Chocolat! Podcast: Musique 音楽」-オンライン・フランス語教室の音楽紹介のページ。

音楽雑記帳: フレンチポップ」-音楽関係のブログのフレンチポップのカテゴリー。

ルゼルの情報日記 シャンソン/フレンチポップ・カテゴリ」-現在も更新されて新曲を紹介しているページ。

フレンチポップ100年史」-現在も更新されて新曲を紹介しているページ。10年ごとの「データベース」もあり、「試聴付き」とされていて目を引くが、実際に曲を聞くことができる場合は限られている。

Demari,長野,西山,Calvet『ヌーヴェル・シャンソンで楽しむ 現代フランス語スケッチ』 (2枚組CD および 別冊日本語版付き),第三書房,1996.

大野,野村『シャンソンで覚えるフランス語』1-3,第三書房,1 : 2003, 2 : 2004, 3 : 2005.

永島茜『現代フランスの音楽事情』,大学教育出版,2010.
この書は現代フランスのいわゆるクラシック音楽について扱っている。

田所光男「エンリコ・マシアスの歌うアラブ=ユダヤ共生」,平成16年度-17年度日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(C)「20世紀ポピュラー音楽の言葉:その文学的および社会的文脈の解明」報告書,2006年2月

田所光男「ショアー後のフランスに生きる東欧ユダヤ移民のアイデンティティ――革命家ピエール・ゴールドマンと歌手ジャン=ジャック・ゴールドマン――」,『敍説』第2巻第3号 p.101-114,花書院,2002年1月

 

(二回にわけてフランス・ポピュラー音楽を紹介します。次回、「フランス・ポピュラー音楽(1960-1979)」は9月末日に公開する予定です。)

 

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河村雅隆: 私にとってのモラリストたち

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

フランス語科の先生方も読まれるHPにこんなことを書くのはおこがましい限りだが、昔私も多少、フランスのモラリストと呼ばれる人たちの文章を読んだことがある。ラ・ロシュフコーとかモンテーニュとか。ウィキによれば、モラリストとは「現実の人間を洞察し、人間の生き方を探求して、それを断章形式や箴言のような独特の非連続的な文章で綴り続けた人々のこと」とされている。つまり人間観察者といった存在がモラリストなのであり、それは日本語の道徳家とは意味が違う。

フランスのモラリストの本はそのようにいくつか読んだが、むしろ私に大きな影響を与えたのは、フランスのモラリストから影響を受けたであろう、日本のモラリストたちの方だった。『人間素描』を書かれたフランス文学者の(と言うにはあまりに大きな存在の)桑原武夫氏や、『人はさびしき』を著した編集者の小林勇氏は、文章の形式こそ断章や箴言ではなかったが、私にとってまさに人間観察者と言うべき存在だった。それらはクールで鋭利ではあっても、決して冷淡ではない文章だった。

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ご本人は意識されていたかどうかは知らないが、評論家の臼井吉見氏も私にとってのモラリストだった。硬直したイデオロギーが跋扈し、「正義は我のみにあり」といった言説が流行する中、物事を色々な角度から見ていこうという氏の姿勢は、臼井氏が単独編集し、筑摩書房から出ていた「現代教養全集」からはっきりと読み取ることができる。

昔、私はこのシリーズを古本屋で見掛けるたび買い足して、かなりの数を揃えていたが、引越しを繰り返す中で、ほとんどどこかへ行ってしまった。いずれにせよ、私の知識やものの見方は臼井氏の編んだこの全集によって、かなりの部分規定されている。臼井氏は「社会や体制を変えたら人間はたちまち幸せになれる」といった考え方に強い疑念を呈していたが、それは私自身の思いでもあった。

私にとって、もうひとりのモラリストは作家の石坂洋次郎氏である。私の世代の人間なら、誰でも一度は氏の原作を映画化した日活映画を見たことがあるだろう。そして、その原作の何冊かには目を通したことがあるだろう。しかし今、氏の小説は全くと言ってよいくらい読まれない。今の学生諸君はその名前さえ知らないだろう。

氏の小説の中で、私が事あるごとに思い出す一冊がある。氏が教師を務めたことのある、秋田県横手市を舞台にした『山と川のある町』という作品である。その小説の中で、登場人物のひとりは自分の人生観をこんなふうに語っていた。

「人間は小数点以下の感情を切り捨てなければならない、と思うんだ」

それはたしかこんな意味だった。人間誰だって、毎日の生活を生きていく中で、自分が思ってもいなかったことを口にしてしまったり、自分の思いとは反対の振る舞いをしてしまったりすることがあるだろう。しかしそんな時、ひとつひとつの失敗に拘泥するのでなく、自分が「トレンド」としてどのような方向を目指し、どのように努めていくかということことこそが大事なのだ・・・。

石坂氏は登場人物にそんなことを語らせていたように記憶する。その小説を読んでから、もう何十年も経ってしまったが、相変わらず自分は毎日のように、自分の言ったことや思いがけずしてしまったことを悔い続けている。そしてそのたびに石坂氏の文章を思い出す。その一行を書かれただけでも、石坂氏は私にとってモラリストであり、人生の師である。

 

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9月26日:オペラ白峯

フランス在住50年の音楽家、丹波明氏の作曲によるオペラがもうすぐ名古屋で上演されます。世界初演です。

楽劇(オペラ)白峯(演奏会形式)
2014年9月26日(金)18:30開演
三井住友海上しらかわホール

丹波明氏については、次のページの最下部に詳しく記載されています。
楽劇(オペラ)白峯

また、日仏現代音楽協会のHPでは次の記事を読むことができます。
作曲家・丹波明特別インタビュー
フランス国立科学研究院(CNRS)の主任研究員を永年勤められた研究者でもあります。

どうぞ奮ってご鑑賞ください。

 

 

 

 

 

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フランス国立図書館HPで幕末~明治初頭期の日本の写真公開

名古屋大学大学院国際言語文化研究科修了生である棚橋美知子さんは、2013年10月から2014年3月までほぼ半年間、フランス国立図書館(BnF, パリ) においてカタログ作成のアシスタントとして働かれました。

幕末から明治初頭にかけての日本を撮影した写真アルバムの説明文(légende) の作成にもたずさわられ、このほど、そのお仕事の一部、アルバム5冊分の画像データがBnFの電子データのサイトGallicaにアップされました。

Japonais / [réalisé par Stillfried & Andersen] ; [d’après des négatifs de Raimund von Stillfried, Felice Beato et autres photographes] –1877-1878
というアルバムです。

http://gallica.bnf.fr/Search?adva=1&adv=1&tri=&t_relation=%22cb40589691z%22&lang=fr

このリンクで直接当該のアルバム5冊にたどりつくことができます。

Gallicaはfacebookのアカウントを運営しているそうですが、そのページを見る限り、これらの写真がGallicaにアップされたという告知に対するフォロワーの反響はかなり大きいそうです。
時代劇の中から飛び出してきたような人たちが実際の写真に写っていて、不思議な印象を与えます。とてもきれいな写真ですので、是非ご覧ください!

(参考ブログ:http://blog.bnf.fr/gallica/index.php/2014/07/30/des-photographes-au-japon-autour-de-lalbum-stillfried-andersen/

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言語文化Ⅲ「文化事情(フランス)1」の開講について

今年度(2014年度)より、後期に言語文化III「文化事情(フランス)1」という授業が開講されます(今年度は火曜5限)。名古屋大学の多くのフランス関係専任教員が協力して開講する充実した内容です(下のシラバス抜粋を参照)。

この「文化事情(フランス)1」の2単位の認定を受けた上で、今年度のフランス語短期語学研修に参加し、課題提出による評価を受けた学生には、「文化事情(フランス)2」として1単位が認定されます。

一方、「文化事情(フランス)1」は研修参加希望者以外にも開放されています。研修への参加を希望しない学生が本授業を履修し、「成績評価の方法」にしたがって S, A, B, C いずれかの評価を得た場合 2単位が認定されます。フランス語を既習かどうかを問わず、フランスとフランス文化に興味を持つ多くの人の受講を歓迎します。

(⑦11月18日と⑧11月25日の授業担当教員が、シラバスやポスターに示されている当初の予定とは入れ替わっております。ご注意ください。)

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「文化事情(フランス)1」の授業プログラムについては、以下のシラバス抜粋を参考にしてください。

言語文化Ⅲ「文化事情(フランス)1」後期火曜5限(シラバス抜粋)

◆授業内容:本学専任教員によるオムニバス形式で行う。

①10月7日: 飯野和夫(国際言語文化研究科)「ローマの継承者フランス?」
②10月14日: 石井三記(法学研究科)「フランス革命と人権宣言」
③10月21日: 米山優(情報科学研究科)「フランス哲学と心身二元論について」
④10月28日: 川平友規(多元数理科学研究科)「フランスの数学者たち」
⑤11月4日: 鶴巻泉子(国際言語文化研究科)「国境を越えて?:アルザス・フランス・ヨーロッパ」
⑥11月11日: 渡邉雅子(教育発達科学研究科)「フランスの思考表現スタイルと学校文化」
⑦11月18日: 町田健(文学研究科)「フランスの言語‐フランス語とオック語」
⑧11月25日: 奥田智樹(国際言語文化研究科)「フランス語史への誘い」
⑨12月2日: 藤村逸子(国際開発研究科)「フランス語によるWebからの情報収集」
⑩12月9 日: 田所光男(国際言語文化研究科)「『ヨーロッパ言語共通参照枠』に準拠してのフランス語学習、及びフランスのサブカルチャー入門」
⑪12月16日: 河村雅隆(国際言語文化研究科)「放送メディアとフランスの政治」
⑫1月13日: 木俣元一(文学研究科)「フランス・ゴシックの聖堂を訪ねる」
⑬1月20日: ボーメール、ニコラ(教養教育院)「フランスの食文化: 料理、作法、風景」
⑭1月27日: 新井美佐子(国際言語文化研究科)「ジェンダーから見るフランス社会」

なお、本授業の単位認定には、14講終了後の指定の期日までにレポートを提出することが求められる(レポート試験)。レポートの課題、分量、提出期限、提出方法等は授業中に説明する。

◆履修条件あるいは関連する科目等:
フランス・ストラスブール大学での短期語学研修(2015年3月実施)に参加希望の学生を対象とする。但し、上記研修に参加を希望しない学生の受講も可能。

◆成績評価の方法:出席50%、レポート試験50%。レポート不提出の場合欠席扱いとなる。

◆注意事項:
本授業2単位の認定を受け、ストラスブール大学での語学研修に参加し、課題提出による評価を受けた学生は、「文化事情(フランス)2」の1単位が認定される(「文化事情(フランス)2」のシラバスも確認すること)。また、上記研修への参加を希望しない学生には、「成績評価の方法」に従ってSABCいずれかの評価を得た場合、本授業の2単位を認定する。

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II期(1年後期)からの履修言語の変更について

I期に「英語以外の外国語」としてフランス語ではない言語を履修した場合も、II期に履修言語をフランス語に変更することができます。入学時に他の言語に配属されたがフランス語を勉強したい、と考える学生は規則に従ってフランス語を履修できます。『全学教育科目履修の手引』2014年度版では p.76 以下に記載されています。
この場合、II, III期の5時限に開講されるクラスで受講し、あらためてフランス語1, 2, 3, 4を合計した6単位を履修することになります(この中にはフランス語3, 4を合計した3単位を含まなくてはなりません)。なお、この場合、II期の学部指定オビで受講することはできません。
文系学部(情文<社>を含む)の学生はIII期、IV期に「言語文化II 中級フランス語」の授業を履修する必要がありますが(法学部は事情がやや異なります)、II期の初めに言語を変更した場合の「中級」の授業も含めての履修例は『履修の手引』のp.78-79 を参照して下さい。

なお、変更を希望する場合は、事前に、変更前の言語科の主任とフランス語科の主任に相談して下さい。

この「言語変更」については、「平成26年度後期 履修手続きに関する注意事項」p.21でも図解入りで説明されています。

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河村雅隆: 人生3びっくり

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

亡くなった丸谷才一さんに『人生三びっくり』という愉快な随筆があった。「第二次大戦が終わって間もない頃、ある人の家を訪ねたら、食卓にサイコロ形の小さな氷がたくさん出てきた。どうすれば氷をこんなに小さくきれいに切れるんだろうと不思議だったが、それらは冷蔵庫の冷凍庫というところで出来るものだと知って腰を抜かした」というような文章だった。丸谷さんが経験したという、あとふたつのびっくりについてはここでは書かない。

私にも人生3びっくりという経験はある。長く生きてくる中で、上位3つが更新されていくかと思うと、実はトップスリーの顔ぶれはほとんど変わらない。その中で不動のトップは次のような出来事である。

社会に出て働き始めた地方の放送局の職場で、外国の新聞か雑誌に目を通していた時のことである。当時は今みたいに簡単にインターネットで海外の本など購入できなかった。苦労してやっと手に入れた印刷物を早く見たいと、休み時間か何かに横文字の印刷物を広げていたのだろう。

そんな私のところに地元出身の上役がつかつかと歩み寄って来て、こう言った。「君は外国語が達者だとか聞いていたが、読む時、字引ばっかり引いているんだね」

言われた言葉の意味がわからず、私はその人の顔をまじまじと見返してしまった。しばらくしてその意を理解した私は、こんなふうに答えたように記憶する。「いつまで経っても知らない単語ばっかりで、いい加減厭になりますよ」

世間知らずで生意気盛りだった私だが、「外国語のできる人ほど頻繁に辞書を引くものでしょう」と言い返さないくらいの世間知はあった。その後、職場の若衆頭みたいな先輩からは、「お前、ああいう本はあんまり職場で読むな。自分の家で読め」とも言われた。多分上役の人が言わせたのだろう。

別に腹も立たなかったが、こんな人が職場の幹部なのかという驚きはあった。さすがに今はそういった管理職はいなくなっただろう。

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時間はそれから10年以上経過する。

日本の放送においてニュースキャスターという存在を創造し、それを定着させた磯村尚徳さんというジャーナリストがいる。今はメディアコースの学生ですら知らない人間が多くなってしまったが、1980年代のブラウン管の中で磯村さんは常に光り輝いていた。その磯村さんと一緒に海外を舞台に取材や番組制作にあたれたことは、私の放送人としての誇りである。磯村さんから学んだことは山のようにあるが、中でも最大のものは「こんなに秀れている人がこんなにも努力するのか」ということを目の当たりにできたことである。

磯村さんと言えばフランスである。戦前、駐在武官だった父君に従ってフランス語圏で育った磯村氏のフランス語のことは、フランス人も「フランス人の話すフランス語より美しい」とよく言っていた。

そんな氏は移動する飛行機や列車の中で、それこそひっきりなしに辞書を引いていた。単に単語を調べるだけでなく、より適切な言い回しはないか、常に探していた。また、現地の新聞を毎日大量に買い込んでは、新しい表現はないか、現地の人は今何に関心を持っているのか、探求を怠らなかった。

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後に私は放送局の中でプロデューサーという立場になって、スタッフを集めて番組を作る仕事にあたることになった。プロデューサーとして私が実行したのは、新人や若手が番組を作る時は、カメラマンやアナウンサーや編集グループのデスクに頼み込んで、一流のスタッフを出してもらうことだった。そうした人たちは売れっ子で、常に予定が詰まっているから、デスクには随分文句を言われたが、それでも押し通したのは、磯村さんと仕事をする中で、一流の人と付き合うことが若手にとって最大の研修の場になると確信していたからだ。一流の人たちと付き合えば、自分がそれまでいかに自己流で自己満足だったかが分かる。そうした人たちに触れても何も気が付かない人間は、それまでのことだ。

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外国で何十年暮らしていても、自分の中身と表現を高めて行こうという意欲を持たない人たちのフランス語や英語は、いつまで経ってもブロークンのままである。私はヨーロッパやアメリカで、そうした人たちを随分見て来たように思う。出来る人はやはりちゃんと勉強して、その成果を仕事や生活の場で積極的に使おうとしている。外国語の力は、細部にこだわる、ある種神経質なところがないと、ブレイクスルーしないものなのかもしれない。「いいやいいや」の人には、いつまでたってもそれがない。かく言う私は、いつか自分もブレイクスルーしたいと思いながら、フランス語や英語の字引を引き続けて何十年も経ってしまった。

 

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フランス語研修2014春 概要(実施報告)

昨年度(2013年度)の第1回フランス語短期研修の概要(実施報告)です。昨年度は、大学の授業とは関係のない研修旅行で、参加しても単位にはなりませんでした。今年は単位になります。また、日本学生支援機構の奨学金を受ける可能性があります。

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河村雅隆: 統合のイメージ~英仏の違い~

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

近世以降のヨーロッパの歴史は、基本的にイギリスとフランスの間の覇権争いの歴史と言っても過言ではないだろう。もちろん英国は大陸諸国の間に展開される争いに対し、極力balancerとしての立場を保とうとしたし、第一次、二次世界大戦において、両国は協商国・連合国として手を組んで戦ったけれど、植民地の争奪戦に象徴されるように、英仏の間には常に一定の緊張が存在したのである。こうした両国の間にあった緊張感は、イギリスがEUの一員となった今日も、本質的には失われていない。

そもそも英国には同じアングロサクソンを源とし、英語を共通の言語とするアメリカとの深い結びつきがある。また、大英帝国以来のCommonwealth(英連邦)諸国との関係も有している。だから、20世紀のイギリスの外交政策は長い間、まず対アメリカ、次いで対コモンウェルスが重視され、極端に言ってしまえば、大陸諸国との関係はその後の課題だった。

ヨーロッパ大陸と一定の距離を保ってきたイギリスも、第二次大戦の後は相対的な自国の国力の低下と植民地の独立などによって、そうした態度を貫くことはできなくなった。1973年、英国はEEC(欧州経済共同体:当時)に加盟し、大陸における経済の一体化に参加する道へ大きく舵を切った。しかし、当初英国の考えていた欧州の一体化とは関税同盟のように、国家が自らの主権を維持したまま共通の経済政策に参加するというイメージのもので、フランスなどEECの原加盟国が考えていた、外交などの一体化まで視野に入れた構想とは異質だった。

メディアに関する政策の分野でも、両国のスタンスは異なっていた。イギリスは英語という資源を使って、世界商品としての映像ソフトを制作することができたのに対し、フランスなど大陸諸国はそうしたパワーを必ずしも有しておらず、1970年代80年代以降、アメリカからの大量のソフトの流入という事態に直面していた。したがって、後者の方が域外からの映像ソフトの流入などに関してずっと厳しい姿勢を示してきたのである。イギリスとフランスのそうしたスタンスの相違は今も続いており、それは欧州の共同体が共通のメディア・放送政策を打ち出すにあたっての大きな障害となっている。

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イギリスのEEC加盟以降、欧州ではジグザグを繰り返しながら統合が進行したが、イギリスと大陸諸国との考え方の溝は依然として埋まっていない。イギリスのキャメロン首相は今年1月、「2015年に行われる予定の総選挙で与党保守党が勝利した場合、イギリスがEU(欧州連合)にとどまるかどうかを問う国民投票を実施する」という考えをあらためて表明した。

その中でキャメロン首相は、EU側とイギリスがヨーロッパ共同体に加盟した時の条件について再交渉を行った上で、英国がEUに残るか、それとも離脱するかを投票で選ぶことにしたいとも述べている。つまり、EUとの再交渉の結果次第では国民投票を行わない可能性もあるという含みを残したのだが、イギリス以外のEU加盟国がそのように、イギリスだけを特別扱いすることを認めるとは考えにくいだろう。そうなるとイギリスは近い将来、EU残留を問う国民投票を、本当に実施する可能性が高いということになる。先日、キャメロン首相と会談したフランスのオランド大統領は、EUから距離を置こうとする、こうしたイギリスの姿勢に強い懸念を表明したと伝えられている。

このように遅れてEEC(当時)に加盟したイギリスは、原加盟国との間で不協和音をもたらしがちで、英語でawkward partner(ぎごちないパートナー)とかTrojan Horse(トロイの木馬)とか言って、揶揄されることがよくある。トロイの木馬とは、「イギリスがアメリカとの言語や歴史的なつながりを使って、アングロサクソンの利益を欧州全域に持ち込もうとしている」といったような意味である。また、フランスとイギリスの関係をfrère ennemis(敵対的兄弟)と呼んだ学者もいる。

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ただ歴史を振り返ってみると、イギリスのEEC(当時)への参加が遅れたのは、英国のせいばかりではなかった。フランスは1961年、63年と英国のEEC(当時)加盟申請を、二度までも拒否しているのである。

63年、当時のドゴール大統領は、イギリスはヨーロッパ共通のvocation(使命、天命)を受け入れていないと指摘して、英国のEEC加盟に対し拒否権を行使した。

「イギリスは、世界中に展開している交易や商品や、遠くの国々との結びつきによって成り立っている島国であり海洋国家である。そういうイギリスを、どうして欧州の共同市場に一体化することなどできようか」

1958年から69年まで続くドゴール大統領の治世を特徴づけるのは、フランスの栄光の追求とアメリカに従属しない独自外交の展開だった。イギリスのEEC加盟を拒否したのはそうした姿勢のあらわれだが、1966年にはなんとNATO(北大西洋条約機構)を脱退し、本部をそれまであったパリからブリュッセルへと「駆逐」したのである。

当時のフランスの考えは、ヨーロッパの統合によって米ソ以外の第三軸を形成し、世界に影響を及ぼしていこうというものだった。そのために「統合」というカードを使おうとドゴールは考えたのである。そしてその頃のフランス人にとって、ヨーロッパの統合や一体化とは、フランスがヨーロッパ全域に拡大していくくらいのイメージでしかなかったのかもしれない。

しかしその後の統合の進展は、フランスの目論見を裏切るものとなった。1980年代、ヨーロッパ統合のめざしたのは何よりも「一体化」だった。1989年に制定され、欧州の放送の世界から国境というものを取り去ったEC(当時)の「国境なきテレビ指令」は、そうした姿勢を現実のものとした施策の典型だろう。しかし90年代以降、ヨーロッパの動きを特徴づけているのは性急な一体化の追求というより、「多様性こそヨーロッパをヨーロッパたらしめるものだ」という考え方となりつつある。現在のEU(欧州連合)は、フランスが全欧州に拡大したようなものでは全くない。

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それにしても、1960年代の全盛期のドゴールの言動を振り返ると、政治家あるいは政治的人間というのはすごい存在だとあらためて思う。第二次世界大戦中、ドゴールはフランスを逃れ、イギリスに移ってそこで臨時政府「自由フランス」を組織した。BBCの国際放送を通して、本国に暮らすフランス人たちに、ドイツに対する抵抗を呼び掛けたのは、あまりに有名な話である。実際にフランス本国でどれだけの数の人間がその演説を聞いたかは定かではないが、彼はロンドンからの電波を通じて祖国の人々に訴えたことを、戦後、自身の神話として最大限活用したのである。1968年のいわゆる5月革命の時、ドゴールはテレビではなくラジオを通して国民に呼び掛けたが、それには大戦中、自分がロンドンから行ったラジオ演説のことを国民に想起してもらおうという狙いがあったと言われている。

第二次大戦中、イギリスの首相だったチャーチルは、フランスから逃れてきたドゴールのあまりの尊大さに閉口したとも伝えられている。しかしチャーチルにとって、唯一無二の目標はナチスドイツの打倒だったから、彼はドゴールの態度には目をつむった。アメリカも臨時政府の首班の首をすげ替えることを画策したというが、結局それを実行に移すことはなかった。しかし、アメリカの計画を察知したドゴールは、後年に至るまでそのことを快く思っていなかったという。

第二次大戦中、ドゴールがイギリスやアメリカに対して、様々な感情を抱いたのは確かだろうが、自分がいちばん苦しい時に曲がりなりにもお世話になった国に対して、後年EECへの加盟を拒否したり、NATOから飛び出したり、政治家というのは随分思い切ったことができるものだな、と素朴に感心してしまう。

昔、あるアメリカの学者とヨーロッパの戦後史について話していて、話題がフランスのNATO脱退に及んだ時、その人の口から、「フランスは戦争中誰に助けてもらったと思っているんだ」という言葉が飛び出したことがある。大戦中にアメリカの兵士たちがフランス国内で流したおびただしい血のことを思えば、アメリカ人のそうした反応には無理からぬものがあっただろう。しかし政治家にとっては、そんな感想は一片の感傷にすぎないのだろう。現実の政治の世界には、凡人の感傷を許さない冷厳な現実があり、冷酷なまでの判断があるということなのだろう。

東京の下町の生まれだった私の祖母は、小さかった私に「人様から受けた御恩は死んでも忘れちゃいけないよ。人にした親切はすぐに忘れなければいけないよ」とよく言っていた。ドゴールの行動を見ていると、自分は逆立ちしても政治家にはなれないなと思う。最後は、英仏両国の統合に関するイメージの話から大きく脱線してしまった。

 

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7月22日(火) 討論会「和食とガストロノミー 無形文化遺産としての食を考える」

使用言語:フランス語(同時通訳付き)
日時:2014年7月22日(火) 18:00~20:00
場所:日仏会館フランス事務所 1階ホール
〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿 3-9-25 TEL. 03-5421-7641

【要旨】
近年、フランスの美食術や和食がユネスコの無形文化遺産として登録されたことにより、人類の文化における「食」の重要性があらためて強調されている。食習慣の画一化が進む一方で、食という文化遺産はどのように守ることができるのか。その課題や展望を日仏の視点から考える。

【趣旨説明】 ニコラ・ボーメール(名古屋大学、日仏会館協力研究員)

【登壇者】
石毛直道(国立民族学博物館名誉教授・元館長)
ジャン= ロベール・ピット(フランス学士院会員、食の遺産と文化のフランス委員会委員長)
熊倉功夫(静岡文化芸術大学学長、「和食」文化の保護・継承国民会議会長)

【司会】西川恵(毎日新聞客員編集委員)

【共催】 日仏会館フランス事務所、アンスティチュ・フランセ東京、Sopexa Japon 【後援】 在日フランス大使館、フランス農林水産省

詳しくは、下記のサイトをご覧ください。

(フランス語) http://www.mfj.gr.jp/agenda/2014/07/22/
(日本語)http://www.mfj.gr.jp/agenda/2014/07/22/index_ja.php

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