河村雅隆: bien construit

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

大学院国際言語文化研究科のメディ アコースに籍を置く私は、大学の教養課程でも『比較報道・放送論』という一般教養科目を担当している。授業は縦軸に放送メディアの歴史を置き、横軸には日 本、アメリカ、ヨーロッパの比較を設定し、「放送というマスメディアの誕生、興隆、衰退は20世紀という100年の中にきれいに収まる」ということを説明 していく内容である。

学期の終わりには当然、試験を行うことになるが、試験を実施するたび不思議でならないことがある。問題を配って5分経 つか経たないかのうちに、カタカタと鉛筆を走らせる音が聞こえてくるのだ。90分の試験時間があれば、ふつう最初の四分の一か三分の一かは何を書くかを考 えて構成を立て、然る後に執筆し、最後の何分の一かの時間でもう一度内容を点検するというのが当たり前ではないかと思うのだが、毎回かなりの数の学生が、 試験が始まったか始まらないかの段階で筆を動かし始める。

百歩譲ってこれが法律の試験で、例えば「債権について論ぜよ」とかいうのだった ら、試験前、頭に詰め込んできたことが「こぼれ落ちない」うちにと、スタートダッシュするのも分からなくはない。しかし、私の設問は授業で説明した欧米日 のメディアの歴史を踏まえ、それぞれの特徴の分析などを求めるといった内容なのだ。そんな問題に対して、どうして直ぐに答案を書き出せるのだろう。

理由を学生たちに聞いてみたが、よくわからない。ただ何人かの学生から興味深い話を聞いた。それは、就職試験の作文の部門を受験する場合は、自分なりにあら かじめいくつかの答案のパターンを作っておき、実際の作文は当日出題されたテーマに合わせて微調整するかたちで書いていくという話だった。へーつと思っ た。でも、そんなことって本当に出来るのだろうか。そうしたやり方は就活の参考書にでも書いてあるのだろうか。

提出された答案のうち、すぐ に書き出した人の文章がどれなのかは勿論わからない。しかし、全体に構成が弱いなと感じさせられるものは少なくない。もちろん私だって人のことは言えな い。ひょっとして、構成と論理の脆弱さというのは日本人共通の弱点なのかもしれない。少なくとも「感じたままを書きなさい」式の作文教育が、こうした傾向 につながっていることは間違いないだろう。

ここで、昔、フランス人のプロデューサーと付き合った時、彼等が番組を論じる際、bien construit という言葉を何度も発していたことを思い出した。この言葉は、元々は文章に関して用いられる最高の褒め言葉らしいが、その表現は放送の 世界でも使われることがあるようだ。

フランスの放送局に日本の番組を販売しようと、ドキュメンタリーの試写テープを見せたところ、「映像詩」と評されたこともある。これは褒め言葉ではない。外国に向けて番組を売ろうという時は、日本国内向けの番組に手を入れて、論理を強化したりコメントの 量を増やしたりすることは珍しくないが、それでも彼等にとって日本のテレビ番組の構成は異質だったのかもしれない。試験の立ち会いをしながら、そんな昔の体験を思い出した。

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2014年春ストラスブール研修速報

速報です。

名古屋大学の協定校であるストラスブール大学でのフランス語研修の日程と、参加費用の大枠が決まりました。今後、詳細は、決まり次第当HPにてお知らせします。説明会は11月初旬に行われる予定です。

日程:
2月23日(日)―3月8日(土)(13泊14日)

集合場所:
フランクフルト空港

参加費用:
750 ユーロ程度(約 98,000 円)
授業料(全30時間)+見学費用+宿泊費(朝夕食つき)+空港・ストラスブール間のバス代を含む
(*最終的な金額は調整中)
※往復の航空券代及び海外旅行保険は、別途実費負担。

募集人数:
15名

協定大学:
ストラスブール大学 (http://www.unistra.fr/index.php?id=accueil

受入機関:
Maison Universitaire France-Japon(http://mufrancejapon.u-strasbg.fr)
語学学校:
I’IIEF(http://iief.unistra.fr)
宿舎:
AMITEL(http://www.amitel.eu)

実施主体:
名古屋大学国際部国際企画課

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カンボジアのフランス語

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国際開発研究科 藤村逸子 国際開発研究科の海外実地研修(OFW)の引率で、カンボジアへ2週間行ってきました。ご存知のとおりカンボジアはインドシナ半島にある小国で、フランスの旧植民地(=旧保護国)です。フランス統治下(=保 … 続きを読む

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10月23日(水) フランス留学 日本縦断プロモーションツアー 名大来訪

フランス留学 日本縦断プロモーションツアー2013

フランス政府留学局・日本支局「Campus France」が、名大にてフランス留学の魅力についてご紹介します。フランス留学に関する資料などを入手することができます。

日時

20131023日(水) 11:3013:30

場所

留学生センター前 (雨天:留学生センター・ラウンジ)

申込

予約不要(直接会場にお越しください)

URL

http://www.japon.campusfrance.org/ja/tournee_promotions_etudes2013

問合

海外留学室 (主催:キャンパスフランス)

 

ツアーのHPによると、「奨学金」や「フランスで英語をつかって留学するプログラム」についての説明も聞けるそうです。後者は、「約700以上のプログラムが全てのジャンルで用意されている」とのことです。

また、同じ23日には、ツアーの一環として南山大学で次の講演会が開かれるそうです。

10/23(水) 南山大学 名古屋キャンパス
講演会:R31教室 15:00-16:30
テーマ:フランス留学 - 英語プログラム

 

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川島慶子:”genre”が市民権を得た日

川島慶子(科学史、名古屋工業大学准教授)(元の記事はこちら

2013年の夏にフランスの本屋から Emilie Du Châtelet et Marie-Anne Lavoisier : science et genre au XVIIIe siècle (Honoré Champion, Paris) という本を出した。これは原題を『エミリー・デュ・シャトレとマリー・ラヴワジエ、18世紀フランスのジェンダーと科学』といい、東大出版会から2010年に出した拙書の仏訳である。さて、ここで「ジェンダー」という言葉がどう訳されているかというと、genre (ジャンル) で、要するに英語の gender をそのままフランス語にしただけである。これを読んでいる人の大部分は、だからなんだというところだろう。しかし、30年ばかりフランスの研究をしている私としては、この訳語には特別の感情を持ってしまうのである。

もともと言語上の性を意味するジェンダーという言葉を、生物学的性差とは違う社会的・文化的性差を意味する言葉として最初に使用したのは、英語圏の研究者である。日本ではそれをそのまま「ジェンダー」と記し、適宜説明をつけてきた。しかしフランス語圏、特にフランス本国では、フェミニストたちですら、長いことこの用語を使わずに論文を書いてきたのである。

したがって、フランス語で書く場合、私は genre が使えなかった。「sexe でいいでしょう」「inégalité des sexes とかすれば」などなど、フランス人から忠告を受けつつ、なんとか自分の主張をフランス語にしてきたのである。正直不便だった。「フランス語が英語に侵食される」というところに、プライドの高いフランス人としては抵抗があるのだろうなあ、とか考えたりして妥協点を探ってきた。

ところが、いつの頃からか、フランスの本屋に「Genre」というコーナーができるようになった。もちろん「ジェンダー本」のコーナーである。いったん使い始めたら、さしものフランス人もその便利さに味をしめたに違いない。かくして私の本のタイトルも、そのまま genre として世に出ることになった。この本にはフランスを代表するフェミニスト哲学者、Élisabeth Badinter が序文を寄せてくれ、彼女は私の研究がアメリカのジェンダー研究と関係していることを明言している。

味をしめると言えば、メールの普及もフランス語のスタイルを変えはじめている。アメリカのスタイルが明らかにフランス語の書き言葉の中に侵入している。それも「言葉の侵入」という形ではなく、「フランス語の簡素化」という形で影響されている。我々外国人にはありがたい。わかりやすく、簡単で短い文章が増えている。フランス人にとってもラクだろう。

けれど私は、この事態に少しばかり複雑な気分になってしまう。それは、今までのフランス語での苦労は何だったのか、という怒りではない。この気持ちは、日本の地方都市がみんな同じようになってきたことにがっかりする気持ちとどこか似ている。

どこに行っても同じというのは、確かにとてもラクなのだけれど、変化がなくなると面白味もなくなる。「ジェンダーなんてアメリカ的な表現は使わない」「フランスの書き言葉は、断固フランス的であるべき」という意見に全面賛成ではない。けれど、みんなおんなじではつまらない。こうしたバランスはとても難しい。かくして私は、自分の本に genre という言葉が堂々と印刷されているを見て、うれしいのか残念なのかよくわからない今日この頃なのである。

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河村雅隆: 足の裏の米粒

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

何事もそうだが、継続ほど大事なものはない。特に語学の勉強はそうだろう。外国語の勉強はザルに水を注いだり、下りのエスカレーターを登ったりするようなものだとつくづく思う。私は山が好きで良い季節に何日か山中を縦走したりすることがあるが、下りてくると、ほんの数日日常から離れていただけなのに、元々なかった外国語の力がさらに落ちていることを実感する。物事を良くしていくには無限の努力が必要だが、悪くするのは一発だということなのだろう。

昔、ある大先生が「勉強なんて、足の裏にくっついた米粒を取るようなもんだよ」と言うのを聞いたことがある。何のことだろうと思って耳をそばだてていたら、「取ったって食えないけれど、取らなきゃ気持が悪いじゃないか」。もちろん偽悪的な冗談だったろうが。

大先生に比較するのはおこがましいが、その気持は多少わかるような気がする。私は勤勉な勉強家ではないが、それでも新聞や雑誌を読んでいて知らない単語に出会うと(というか、いつまでたっても分からない言葉のオンパレードだが)、それを紙の切れっぱしに書き出して、喫茶店や電車の中で眺めたりする。こんな単語を記憶したところで、残りの人生でもう二度と出会うこともあるまいと思うが、そのままにしておくといつまでも米粒がくっついたままになっているような気がするのだ。

ラジオのフランス語講座に耳を傾けることも随分続けてきた。いくらやったところでリスニングは一向に良くならないが、これも下りのエスカレーターを登ろうというようなことなのだろう。ニューヨークで仕事をしていた時も、日本からCDを送ってもらって聴いていた。

アメリカでフランス語が多少でもしゃべれてよかったのは、いつも行った食料品店の若い店員が西アフリカのブルキナファソの出身だったことだ。彼は私のフランス語をいたく喜んで、果物などをいつも多くおまけしてくれた。

最初にフランス語講座に接したのは1970年代冒頭、テレビの方の番組で、今でも覚えているが、講師は基礎編が丸山圭三郎先生、応用編が渡辺守章先生という超重量級。しかもスキットの演出と出演はニコラ・バタイユという豪華版だった。

その語学講座も随分変わった。テレビもラジオも外国語を勉強するための教育番組というより、「知らない言語に興味を持ってもらうためのきっかけ作り」というふうに、番組のねらいが変化してきたようだ。放送という「商売」はとにかくチャンネルを合わせてもらわなければならければ話にならないから仕方がないが、タレントを無暗に起用したり、最初からあまりくだけた表現ばかりを取り上げたりするのはどうかと思う。いつでもどこでも使えるオーセンティックな表現をまずは身につけさせるべきだと思う。

根っ子を深く張らなければ木は大きく育たない。単語の数を増やす、正確な文法を身につける、勉強した成果をどんどん実際に使って見るというのは、どんな時代でも変わらない語学学習の王道だと思うが、最近ではそんなことを言っても多勢に無勢のようだ。

今大学の中では、英語以外の外国語を学生にどのように教えていくかという議論が盛んに行われている。私の経験から言えるのは、若いうちに色々な言葉を齧っておくというのは本当に大事だということだ。人間、年を取ったら厭でも応でも間口が狭くなっていくのだから、若いうちにとにかく可能性を広げておくということが大事だろう。間口を狭めることなんていつだってできる。

担当している一般教養科目の授業の中でいつもそんなことを言うのだが、もちろん反応はない。若い人たちの外国語に対する苦手意識、というか嫌悪感が年々強くなっているようで気懸りだ。

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河村雅隆: フランスは資本主義と相性が良くない?

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

1990年代初め、ヨーロッパで放送の仕事をしていた時からずっと、ルモンド紙とは長いお付き合いである。フランスの外では週間版の直接購読を続けてきた。読み方は昔に較べると随分粗っぽくなってしまったが、それでも東京、大阪・奈良、札幌、ニューヨークで読み続けてきたのだから、ルモンドからは「永年購読者表彰」をしてくれたっていいくらいのものだ、と思う。ところが、現実はどうもそれとは正反対である。

先日、ルモンド紙から「まもなく直接購読の契約期間が終了する。更新の意志はあるか」という問い合わせの手紙が来た。もちろん続けるつもりだったが、申し込み書類の「購読期間を何年にするか」というところでちょっと迷った。毎年更新手続きをするのは面倒だし、長期間の契約を選択すれば料金の割引率もかなり高くなるので、最長の2年という期間は魅力的だったが、「いや待てよ」と考え直した。「もしその2年の間に引越しをするようなことになったら、厄介だな」という思いが頭をよぎったのである。新聞の住所変更手続きについては、あまり愉快な思い出がない。

名古屋に来る前はニューヨークでルモンドを直接購読していた。名古屋に転入するにあたって、NYからフランスの新聞社に新聞の送り先の変更を依頼した。ただその時点では、新しい住居の番地は知っていたが、正確な部屋番号までは承知していなかった。こちらに落ち着いてから変更の連絡をすればよかったのだが、「空白の期間」が生じるのがいやだったので、部屋番号まで書かない通知を、「所番地が間違っていなければ届くだろう」と新聞社に送った。こちらに着いて部屋番号が確定してから、すぐに正確な住所表示を送り直したのだが、いくら連絡しても正しい住所に更新されない。その間、新聞は毎週、同じ集合住宅にいる私とよく似たお名前の方のところに届いてしまい、キツイお叱りを頂戴してしまった。

毎年この時期のルモンドを見ていると、「直接購読をしている方のために、海でも山でもレジャー先に新聞を転送するサービスあり」などというお知らせが出ている。しかしその時の経験から、本当にそんなきめの細かいサービズができるんだろうか、と思ってしまう。

毎年のことだが、直接購読の延長手続きを取った後になっても、新聞社からは「あなたの契約はまもなくexpirerする。契約を延長しないのか」という通知が何度も届く。そうすると、こちらも「こちらからの手紙は未着なのかな」とだんだん心配になってくる。(最近では、先方からはこちらからの手紙を受け取ったという、確認のメールが届くようになった。大変な進歩である!)

たかが新聞の直接購読のことで何と大袈裟な、とお思いの方もあるだろう。しかし、こういったことは実際のビジネスでも同じように起こっていることなのだ。以前、フランスの放送局と放送番組の販売や購入の仕事をやっていたが、フランスの担当者から届く伝票のあて先には、私がそのポジションに着く何代も前の人の名前が記されていた。何度、宛名を変更してくれと依頼しても、はかばかしい効果はなかった。フランスの組織は横の連絡が非常に良くないから、放送現場は経理セクションにしっかり依頼や指示をしないのだろう。おかげでこちらは、会社の経理セクションから「いつになったらちゃんとした伝票が来るようになるんだ」と、ここでもお目玉を食ったものだ。

また、担当者が交代した場合の引き継ぎも、フランスの企業はきわめていい加減だ。日本の企業では当然行われる申し送りとかいうものは、行われているのだろうか。それどころか、後任の人は前任者のやり方をすべて変えよう、ひっくり返そうという傾向がきわめて強いように感じる。

ルモンドの住所変更の一件は、パリ在住の友人に泣きついて、直接連絡を入れてもらい、何とか片がついた。ホッとしたけれど、「金を払っている方の人間が何でこんなに苦労するんだ」という思いは、ここでも感じた。

新聞の予約のことや番組の購入や販売のことから一気に大きな話になってしまうけれど、フランスという社会は資本主義と相性が良くないのではないだろうか。フランス人、特にフランスのエリートと話していて、彼等の頭の片隅に(?)あるらしい「国家性善説、企業性悪説」みたいなことを感じたことは何度もある。とまれ、基本的にエリートの社会であるフランスは、「全員が知恵を出して汗をかいて」といった仕事の進め方は苦手なのだろう。日本に暮らすフランス人が、日本の宅配システムをmiracleと言うのは、けだし当然だろう。いつも学生に言っていることだが、どの国や社会が良いというのでなく、それぞれが違っているということを認識することは大事なことだろうと思い、こんな文章を書いてみた。

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河村雅隆: 統合をめぐるフランスとドイツの微妙な関係

河村雅隆(メディア論、名古屋大学大学院国際言語文化研究科教授)

ギリシャやキプロスの経済危機をきっかけに、このところヨーロッパでは、これまでの一体化、統合の流れとは逆行する動きが目立って来ている。

そもそも戦後ヨーロッパの政治の流れは、第二次大戦の惨禍を教訓として統合をスピーディーに推進していこうという動きと、伝統的な国民国家、主権国 家の枠組みを維持しながら、徐々に一体化を進めようという考え方との対立の歴史だったと言えるだろう。両者の考え方の相違は長年解消せず、統合は決して一 直線では進展しなかった。一体化の動きは前に進んだかと思うとまた後退するといった過程を繰り返した。ヨーロッパには単一の国家のような中央政府は存在し なかったから、例えばEUの執行機関である欧州委員会と、議会である欧州議会の動きが矛盾するなどといったことも珍しいことではなかったのである。

そうしたことは、放送行政の分野を見れば最も明らかだろう。現在のヨーロッパの放送の世界では、国境というものがなくなっており、EUの加盟国はい ずれの加盟国から発せられた放送を無条件で自国でも見られるようにしなければならない(つまり受け入れなければならない)ことになっている。それを規定し たのは欧州委員会が1989年に定めた「国境なきテレビ指令」である。しかしこの指令が出された後も、欧州議会は各国の放送が国や地域の独自性を追求する ことを求める決議を採択している。議会は放送というものに、何よりも多様性を求めたのであり、欧州議会は「国境なきテレビ指令」とはかなりニュアンスの 違った政策を求めてきたということが出来る。このように、欧州委員会と他の機関が摩擦を起こすということも決して珍しくなかったのである。

そもそも、ヨーロッパやアメリカの政治や社会においては、「摩擦」というものは決して否定的にとらえられていない。物事を進めていく上で摩擦が生じ るのは、この世の中に多くの人間や組織が存在している以上当然のことだし、摩擦というものがあることによって少数が暴走して事を進めてしまうということが なくなる・・・。そうした考え方が欧米にはまちがいなく存在しているのである。そのことは有名な三権分立という考え方を見れば明らかだろう。立法、行政、 司法をそれぞれ相互に監視させることによって、特定の権力が強大になるのを抑制するという考え方は、まさに摩擦というものを肯定的にとらえている。戦後の ヨーロッパにおいて統合が一直線で進んできた訳ではないというのも、摩擦というものを決して否定的にとらえないという考え方の反映だったように、私には思 える。

しかし、そう考える私にとっても、最近のヨーロッパの動きを見ていると、ちょっとこれは・・・と感じさせられることが少なくない。

4月フランスの新聞・ルモンドのインタビューの中で、国民議会(下院)の議長であるバルトローン氏が、南ヨーロッパの国の経済危機に対する仏独の姿 勢の違いを取り上げて、「ドイツとの対決」を呼び掛けるという事件があった。バルトローン議長の主張は、「緊縮財政一本やりで欧州経済の再建を進めようと するドイツの姿勢は、ヨーロッパ全体の利益には決してつながらない」という点にあった。後に氏は、「ドイツに対し政策の変更を迫るために confrontationという言葉を用いたのであって、仏独がこれまでともに行ってきた施策を否定するつもりはない」と釈明したが、国会議長という要 職にある人が、他国に対しそのような表現で発言を行ったことはヨーロッパの各国に大きな衝撃を与えた。

バルトローン議長は与党社会党の出身で、社会党は同じ4月に欧州問題に関する文書というものを発表していた。実はこの社会党の文書にも、基本的にバ ルトローン氏の発言と同様の考え方が表明されていた。そこには「ドイツとの民主的対決」というものの必要性が掲げられていたのである。しかもこの文書は草 案段階ではもっと遥かに過激な内容で、そこにはドイツのメルケル首相の「自己中心的な非妥協性」を非難する文言が含まれていたと言われている。最終的に発 表された内容は違っていたとしても、こうした内容が与党の作成する文書の中に含まれていたというのは驚くべきことだろう。

フランスのオランド大統領自身、3月末の発言の中で、「メルケル首相との間で友好的緊張」を維持すると述べているが、与党社会党の文書やバルトロー ン議長の発言は、それよりさらに踏み込んだ内容になっている。こうした社会党や大統領の文書や発言については、フランス国内の経済不振の問題から国民の目 を外国にそらそうとしているのだ、「身代わりの生贄のヤギ」を作り出そうとしているのだという批判も出ている。

一方、ドイツはと言えば、「ギリシャや南欧の国々のためにどこまで金をつぎ込めばいいのか」という声が高まっている。ヨーロッパの一体化のために、 ドイツはマルクという欧州、いや世界最強だった通貨を放棄してまで、欧州の統合にコミットした。その結果がこのザマか、という不満が高まっているのであ る。「いくらギリシャやキプロスに金をつぎ込んだところで、彼等が自分たちのように働くようになるわけではない」という覚めた思いが、ドイツ国内では高 まっているように見える。ギリシャでは多くの人々が緊縮財政によって福祉や各種の給付が削られることに抗議の声を挙げ続けているが、そうした動きを伝える ドイツ発の記事を見ていると、「よその国に支えてもらっているくせに、主張するところだけはよく主張するな」といった、冷ややかな目線を感じることもあ る。

ドイツ国内のそういった反応は、いわば「想定の範囲内」のことと言っていいだろうが、最近のフランスの動きを見ていると、ヨーロッパの一体化の動き をめぐってこれまでとは違った流れが生じているのではないかという気はする。フランスとドイツはヨーロッパの統合の推進にあたって、文字通り機関車として の役割を果たしてきた国である。そして言うまでもなく大国である。このふたつの国の関係がどうなっていくのかは、21世紀のヨーロッパと世界のこれからに 重大な影響を与える問題である。この秋に予定されているドイツの総選挙では、南ヨーロッパの国々への財政支援や、対EUの政策が大きな問題になるだろう。 フランスとドイツをめぐるヨーロッパの動きを注視していきたいと思う。

 

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オランド大統領、国賓として来日 Visite d’État au Japon du Président François Hollande

フランスのフランソワ・オランド(François Hollande)大統領(58)とパートナーのヴァレリー・トリエルヴェレール(Valérie Trierweiler)さん(48)が、6月6日(木)から8日(土)まで国賓として来日されました。フランス大統領の国賓としての来日は、1996年のジャック・シラク(Jacques Chirac)氏以来17年ぶりのことです。オランド氏は7日(金)午前に天皇、皇后両陛下と皇居・宮殿「竹の間」で会見され、その後安倍晋三首相と首相官邸で首脳会議を行い、原発輸出など原子力の分野での協力強化を柱とした共同声明を発表しました。この方は、中国寄りとされた前大統領のニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)氏と異なって対日関係も重視されており、日本側としてはフランスとの関係強化を期待しているようです。

ところで、今回の来日で注目が集まったのは、オランド大統領と同伴されたヴァレリーさんとの関係です。このお二人は正式な結婚をしていない“事実婚カップル”で、ヴァレリーさんはフランス史上初の未婚のファーストレディーとして来日されたのです。また、日本側にとっても事実婚のパートナーを国賓として迎えるのは今回が初めてで、そのため日本政府内でも当初この方を正式に結婚した夫人として接遇するかどうかが議論になり、外務省側が関係省庁にこれまでの諸外国の対応などを説明して、最終的に夫人と同じ扱いをするとの結論を出すに至ったのだそうです。

このヴァレリーさんという方は「Paris Match」という情報誌に携わるジャーナリストで、2度の離婚歴があり、3人のお子さんをお持ちです。かつて女性を軽蔑する発言をした男性の同僚を平手打ちにしたという逸話が残っており、非常にきっぱりとした性格の持ち主のようです。この未婚問題について、ご本人は「そこまでの(大きな)ことなのか私には分からない。ローマ法王を訪問する際にはもしかしたら問題になるのかしら ? 率直に言って、私はあまり気にしていない。結婚に関するこの問題は、何より私たちの私生活の一部なのだから」(「AFP通信」)と語っておられたそうです。一方、オランド大統領は、2007年の大統領選挙にも出馬されたセゴレーヌ・ロワイヤル(Ségolène Royal)さんと約30年間にわたって事実婚関係を続けてこられ、この方との間に4人のお子さんをお持ちなのですが、2007年にこの事実婚関係を解消されて、その後ヴァレリーさんと事実婚関係になっています。

大統領カップルが事実婚であることによって、今後フランスの外交に影響が出るのではないかという見方もあります。特に婚外での男女関係に厳しいイスラム諸国や、インドなどの保守的な国や、ローマ法王庁を公式訪問される際には、問題視される恐れもあるようです。(「AFP通信」) 現に、サルコジ前大統領が2008年にアラブ諸国を訪問された際には、当時はまだ結婚されていなかった恋人で元スーパーモデルのカーラ・ブルーニ(Carla Bruni-Sarkozy)さんを同行させることが出来ず、サルコジ氏は一人で行かざるを得ませんでした。ただ、オランド氏は、昨年5月の大統領就任直後の訪米の際に、すでにヴァレリーさんを同伴させられており、その際にも彼女は未婚のファーストレディーとして紹介されています。このお二人は、上述のヴァレリーさんのご発言の通り、そうしたことは「あまり気にしていない」のでしょうね。

今回来日されたお二人を通じて、フランスが“事実婚”先進国であることが、奇しくも日本で広く知られる形になったように思います。先月にはフランスで同性婚が合法化され、初の同性婚カップルが誕生したことも考え合わせて、結婚のあり方に見られるフランスの“自由さ”が、今後諸外国にどのように評価され、どのように浸透していくのか(あるいは、いかないのか)に注目していきたいと思っています。(2013.6.10-2013.6.14)

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山田鋭夫(経済学):フランス語の香り

フランス語の香り

       山田鋭夫(経済学、名古屋大学名誉教授)

 

私は大学を定年退職しましたが、それでもいま、仕事盛りのみなさんといっしょに経済学の共同研究プロジェクトに参加し、忙しい毎日を過ごしています。そんななかで外国語といえば、英語のほかにフランス語にもよく接します。

経済学というと「英語」というイメージが強いかもしれませんが、どうも英語圏の経済学はあまりに「市場」中心的な視野の狭い経済学が多い。これに対してフランスの経済学は、政治・経済・社会・歴史を切り離さずに、広い視野から問題としており、そこに魅力を感じています。私がかかわっている「レギュラシオン(調整)理論」という新しいフランス経済学は、抽象的な一般理論ではなく、経済社会を歴史的に「変化」していくものとして具体的に把握しようとします。きっとみなさんも親近感を感じる経済学だと思います。

現代経済の動きを解明しようと、いまフランスの研究者たちとの共同研究を進めています。フランス語メールのやり取りや会話も、毎週毎月のように必要になります。会話はなかなか上達しませんが、ある程度のフランス語の基礎を学べば、少々まちがったフランス語でも通じるものです。送ったメールを後で読み直してみると、まちがいだらけで冷や汗ものですが、それでもちゃんと返事は返ってきます。

若いみなさんには「失敗を通じて学ぶ」という特権があります。私など若い頃、パリのカフェレストランで「マス(truite)のムニエル!」と頼むつもりが、どういうわけか「カメ(tortue)のムニエル!」と言ってしまい、それを聞いたギャルソンが、大変に上手な日本語で「わしゃ知らんでぇー!」と叫んで、店の奥へすっ飛んで行ってしまいました。おかげで以後、私はこの2つの単語をしっかりと覚えることになりました。

英語では「マス」はtrout、「カメ」はtortoiseですね。ことほど左様に、英語とフランス語は語源を同じくする語が多いのです。だから、他のどの言語を学ぶよりもフランス語を学んだ方が、英語そのものにも強くなることができるのではないでしょうか。それに、フランス語の発音はきれいですね。意味はわからなくても、聞いているだけでまるで音楽のように心地よい気分に誘われることもしばしばです。香りがあるのです。

かく言う私は大学入学時、語学の選択で大いに迷いました。いろいろ悩んだあげく、私は「第二外国語」をドイツ語にし、フランス語を「第三外国語」としたのです。「第二」は必修で週4コマほどありましたが、「第三」は選択科目で週1コマです。がんばって2年間続けました。あまり力がついたとは思いませんでしたが、それでも細々ながら2年間つづけたことは、以後のフランス語の勉強に大いに役立ってくれました。

「カメのムニエル」から「レギュラシオン」まで、取りとめなく書きましたが、フランス文化には何といっても「華」がありますね。料理、ファッション、現代思想、芸術……。フランス語を通してそういった文化の香りに触れることは、きっとみなさんを人間として大きく育ててくれることと思います。

山田鋭夫(やまだ  としお)
現在、名古屋大学名誉教授。専門は経済理論・現代資本主義論。
名古屋大学経済学部卒業、名古屋大学大学院経済学研究科博士課程中退。経済学博士。
主な著書に『レギュラシオン・アプローチ』藤原書店(1991)、『レギュラシオン理論』講談社現代新書(1993)、『さまざまな資本主義』藤原書店(2008)などがある。

(2013年6月11日公開)

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